第19話 怪人・青木春人
目が覚めたのは、病院のベッドの上だった。
ぼんやりとした視界のまま天井を見つめて、すぐにここが見慣れた警察病院だと気づく。
「おっ、目が覚めたな」
聞き慣れた声。
視線を横に向けると、館山さんが飄々とした顔で立っていた。
「寝起きに館山さんの顔は効きますね」
「生意気言う元気がありそうで安心したよ」
館山さんはニッと笑うと、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。
「俺……どれくらい寝てました?」
「三日だ。今回は随分と頑張ったみたいだな」
三日も……。
やっぱり、あの広範囲の盾生成が無茶だったか。
「まあね。それで、みんなは……」
「安心していい、全員無事だ」
そう言ってから、館山さんは淡々と続ける。
「金目君は腹部の傷が深かったが、幸い急所は外れていた。まだ入院中だが命に別状はない。九条先生も毒さえなければ大した怪我じゃない。もう学校に復帰してるよ。先生は大変だな」
「……そっか」
胸の奥に溜まっていたものが、少しだけ軽くなる。
館山さんは脇に置いてあった籠からリンゴをひとつ取り出すと、皮ごとガブリとかじった。
「それ、お見舞いですか?」
「おお、そうそう。鴨川とかいう女の子が置いていったよ。彼女かい?」
「違います」
そこは即答だった。
しばらく彼氏彼女の関係は、もうお腹いっぱいだ。
「はは、そうかい」
館山さんは楽しそうに笑いながら、またリンゴをかじる。
人の見舞いを勝手に食べている……。
「すまんね、美味しそうだったから。それで、旭野のことだが――」
一拍、間が落ちた。
「ここ数日の記憶が、すっぽり抜けてたよ」
「記憶が……?」
「ああ。嘘をついてる様子でもなかった。本人も相当反省してたし、協力的だったよ」
「何も覚えてなかったんですか?」
「カプセルのことは、ぼんやり“何かある”って感覚だけは残ってたみたいだがな」
「……そうですか」
複雑な気持ちが胸に広がる。
館山さんはリンゴをかじりながら続けた。
「旭野も思春期の不安定な状態に、カプセルの影響が重なったんだろうな。失恋もあったみたいだし」
シャク、シャク、と小気味いい音が病室に響く。
「まあ幸い、怪我は九条先生と金目君の二人だけだ。死者が出るような最悪の事態にはならなかった。もちろん、罪を償う必要はあるがな」
そこで館山さんは、少しだけ真面目な顔になった。
「それでも、この程度で済んだのはお前のおかげだ。ありがとう」
そう言って、軽く頭を下げる。
「俺これまで、責任だけで怪人と戦ってました」
光太郎さんの代わりになるために。
街や人に被害を出さないために。
「でも、ずっと頭の隅にはあったんです。怪人になった人を救うこと……光太郎さんがやってたみたいに」
館山さんは何も言わない。ただ黙って聞いている。
「これまでもいたんですかね。救えた人……」
「さあな……」
館山さんは胸ポケットから煙草を取り出しかけて、病室だと思い出したのか、ぐしゃっと潰した。
「光太郎には特殊な力があった。完全融合した怪人でも分離できる力がな。でもな、今の警察にそんな真似ができる奴はいない」
静かな声だった。
「だから警察が怪人に対処する時は、生死を問わない“駆除”になる。お前だけが背負う罪じゃない」
そう言って立ち上がると、館山さんは俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「本当に頑張ったよ。救えたな……」
「偶然ですよ」
「それでもだ」
撫でる手に、少しだけ力がこもる。
「気持ち悪いからやめてください。マジで」
「おいおい、昔は喜んでただろ!」
「俺、何歳だと思ってんですか!」
俺はその手を払いのける。
「寂しいねえ」
館山さんはニヤニヤしながら、わざとらしく肩を落とした。
「まあ、お前も成長してるってことか」
「そりゃそうですよ」
「どうだかなぁ。少なくとも、まともな学校生活が送れるようになった方がいい」
「まともなって……どういう意味ですか?」
「聞いたぞ。九条先生と会長さんから」
「あの人たち……」
一体何を話したんだ。
そこまで変な学校生活を送ってるつもりはないんだけど。
「もう“まともな人間の振り”はやめたらどうだ?どうせ上手くできてない」
「なんですかそれ。でも、俺は怪人だし、人間の振りしないと嫌われますよ」
「……前から言いたかったんだがな」
館山さんの声が、少しだけ低くなる。
「お前のそういうところ、直した方がいい」
「直すって……何を」
「怪人であることに負い目を感じることだ」
はっきりと言い切られた。
「お前は怪人だ。人間じゃない。だがな、それが自分を押し殺して、生きづらくする理由にはならない」
言葉が、まっすぐ落ちてくる。
「……なんですか、それ」
「少なくとも、九条先生や生徒会の連中には、もっと素で関わっていいんじゃないかって話だ」
館山さんはそう言って、窓の外へ視線を向けた。
「自分らしく生きろよ、春人」
その言葉が、妙に胸に残った。
俺はしばらく何も言えず、天井を見上げる。
胸の奥に絡まっていた何かが、少しずつほどけていく気がした。
ここにいていいのかもしれない。
そう思えたのは、きっと初めてだった。
◆
結局、学校に戻れたのは週明けからしばらくしてからだった。
体がまともに動かなかったのだから仕方がない。
久しぶりの学校は――特に新鮮ということもなく、驚くほど変わっていなかった。
蜂怪人が暴れていた場所が封鎖されていること。
そして、旭野先輩の姿がないこと。
それ以外は、まるで何事もなかったかのように日常が戻っていた。
俺は屋上の手すりに肘をつき、ぼんやりとグラウンドを見下ろす。
「屋上には行かない約束だったよな」
背後から声がした。
振り向くと、ムスッとした顔の九条先生が立っていた。
「そうでしたっけ?」
「そうだ」
短く言い切ってから、九条先生は俺の隣に並ぶ。
同じように手すりに肘を置き、視線だけを前に向けた。
「久しぶりだな」
「そうですね」
会話が途切れる。
風の音だけが、やけに大きく聞こえた。
少し迷ってから、俺は口を開いた。
「先生は……俺が怖くないですか?」
聞くつもりはなかった。
でも、胸の奥に引っかかっていた言葉が、勝手にこぼれた。
「怖かったら君を探してこんなところまで来たりしないさ。私は生徒指導室に来いと言ったはずだが?」
「でも、生徒指導室より屋上のほうが青春って感じしません?」
わざと軽く言うと、九条先生は深いため息をついた。
「私は君の話を真面目に聞きたいんだが?」
「これからする話なんて真面目にするようなものじゃないです」
そう言って、俺は全部話した。
自分が怪人であること。
これまで何をしてきたのか。
なぜ怪人と戦っているのか。
どうやって生きてきたのか。
途中で何度か言葉が詰まったけど、全部吐き出した。
隠す気も、取り繕う気もなかった。
九条先生は一度も遮らなかった。
ただ黙って聞いていた。
話し終わる頃には、空はすっかりオレンジ色に染まっていた。
「どうです、先生?なかなか刺激的な人生でしょ」
冗談めかして言うと、九条先生は小さく笑った。
「ああ、そうだな。私には想像もつかない世界だ」
困ったような、でもどこか優しい笑みだった。
けれど次の瞬間、その表情がすっと引き締まる。
ゆっくりと俺の方へ向き直る九条先生。
「だがな、青木」
真っ直ぐな声だった。
「それでも君は、私の生徒だ」
思わず言葉を失う。
「怪人だろうが何だろうが関係ない。学校にいる以上、私は教師として君を見る」
風が吹く。
夕焼けの光が、先生の横顔を赤く染めた。
そして九条先生はニッと笑う。
「それにな。この話は、私だけが聞く話でもないな」
そう言うと、ポケットからスマホを取り出す。
画面は――通話中だった。
『やっほ~。せっかく生徒指導室で待ってたのにさ~。話するなら私たちにも聞かせてよね~』
スピーカーから聞こえてきたのは、東雲会長の声だった。
『わ、私もいるからね! 金目君はいないけど……』
鴨川先輩の慌てた声も重なる。
金目先輩がいないのは、別に薄情だからじゃない。
あの人はまだ入院中だ。
「金目には見舞いがてら自分で話してこい。きっと喜ぶさ」
九条先生はそう言って、スマホを俺に渡した。
「先輩たちにも話そうとは思ってましたよ」
『君はそう言いながら、なかなか話さない人でしょ~』
東雲会長の声は、呆れ半分、笑い半分。
『それでいつの間にか生徒会にも来なくなって~、フェードアウトするタイプ』
『そ、それは嫌だよ……私、寂しいし……』
「そんなことしないですよ、多分」
そう言いながら、目が泳ぐ。
館山さんに言われて、自分をさらけ出すと決めた。
だけど――そう簡単に変われるわけじゃない。
もう少し整理してから、なんて思っていたのに。
どうやら、そんな猶予は最初からなかったらしい。
しばらく沈黙が流れる。
スマホの向こうも、こちらも。
やがて、東雲会長が少しだけ真面目な声で言った。
『ねえ、青木くん』
「はい」
『君さ。生徒会続ける気、ある?』
「……生徒会ですか?」
『うん』
短い返事。
だけど、それだけで十分重かった。
『臨時雑用係、私は解任した覚えはないからね?』
冗談っぽい言い方だったけど、胸が少し痛む。
「……あれ、正式な役職じゃないじゃないですか」
『じゃあさ』
少しだけ間があってから、東雲会長は言った。
『正式な役職、作っちゃう?』
「え?」
思わず間抜けな声が出た。
『今回の件で分かったでしょ。この学校、普通にカプセルが流れ込んでる』
その一言で、空気が変わる。
『偶然じゃない。誰かが持ち込んでる。そんな気がする』
軽い声なのに、言葉は鋭かった。
『だからさ――必要だと思うの~、裏で動ける人』
「裏で……」
九条先生が、静かに頷いた。
「……監視役、ですか」
『違う違う』
東雲会長は、くすっと笑う。
『もっとカッコよく言おうよ』
一拍。
『生徒会監査員』
その言葉が、胸の奥に落ちた。
監査員。
『表向きは学校の備品管理とか、環境チェックとか、そういう名目』
『でも実際は――』
鴨川先輩が、小さく続ける。
『怪人カプセルの調査と回収……だよね』
怪人で。
生徒で。
戦ってきた側で。
全部、俺だ。
しばらく何も言えなかった。
グラウンドから聞こえる部活の声。
遠くで鳴るチャイム。
全部、俺が守ろうとしてきたものだ。
「……やりますよ」
気づけば、そう言っていた。
「雑用係のまま終わるのも、なんかダサいですし」
沈黙のあと――
『ははっ、言うようになったじゃん』
東雲会長が楽しそうに笑った。
『じゃあ決まり。青木春人――』
少しだけ芝居がかった声で。
『本日付けで、生徒会監査員に任命します』
スマホ越しの拍手が聞こえた。
鴨川先輩の、小さな拍手。
隣で、九条先生が呆れたように笑う。
「本当に……騒がしい連中だな」
でも、その声は優しかった。
オレンジ色の空が、少しずつ夜に溶けていく。
「……監査員、か」
小さく呟く。
怪人として生きる俺に与えられた、新しい役割。
夕焼けの中、静かに息を吐く。
物語は、まだ終わらない。
でも今は――
少しだけ胸を張って言える。
俺は、ここにいる。
お読みいただきありがとうございました。
物語は一旦ここで区切りとさせてください。
ここまでのご感想、評価など頂けますと今後の励みとなります。
何卒よろしくお願いいたします。




