第17話 似た者同士
とても眠い。
ずっとこのまま、何も考えずに眠っていたい。そんな気分だった。
「は……る……」
体に力が入らない。指先一つ、動かすのも億劫だ。
「は……る……ひ……」
もう、このまま目を閉じてしまおう。
そう思ったとき——
「春人!!」
鋭い声に呼ばれ、反射的に目を開く。
視界に飛び込んできたのは、そこにいるはずのない人物だった。
「……光太郎さん?」
「ん? 何だ、寝ぼけてるのか?」
黒いコートを着込んだ光太郎さんは、今にも外へ飛び出していきそうな雰囲気で立っていた。
その姿は、記憶の奥底に焼き付いている——あの日のまま。
「光太郎さん……なんで? どうして、ここに……」
「何を言ってる。早く起きろ。怪人が出た」
「え……? そ、そうだ……蜘蛛怪人が……」
言葉にした瞬間、頭の奥がズキリと痛む。
「蜘蛛かどうかは知らん。だが急がないと不味い。融合が進めば、分離が難しくなる」
「……分離?」
「おい。ここ数ヶ月の記憶でも吹き飛んだか? いいから来い、春人。時間がない!」
光太郎さんが、苛立ったように腕を掴もうとした——
その瞬間。
ハッと、意識が浮上した。
体中の感覚が、一気に現実へと引き戻される。
同時に、全身を引き裂くような激痛が走り、思わず息が詰まった。
「……っ!!」
天井。
白くて、やけに見慣れた教室の天井。
喉がひくりと鳴る。
「……夢、か」
そう呟いた途端、胸の奥に重たい違和感が残った。
どうやら、刺されたダメージで気絶していたらしい。
腕も脚も思うように動かず、体の芯がじんじんと熱を持っている。
——けど。
(融合……分離……?)
夢の中の言葉が、やけに生々しく頭に残っていた。
俺は体をゆっくりと起こす。そこに蜘蛛怪人の姿はない。
(どれくらい気絶していた?)
壁の時計を見る。
針は、ほんの数分しか進んでいなかった。
(蜘蛛……旭野先輩はどこに)
嫌な予感が胸を締めつける。
俺は感覚を研ぎ澄ませ、怪人の気配を探した。
——すぐに、見つかる。
これは……。
(生徒会室の方角か!)
咄嗟に拳へ力を込める。
いつもなら、体の底から湧き上がるあの感覚があるはずなのに——
(怪人化、できない……!?)
体の修復に力を使い過ぎたのか、怪人化するだけのパワーが回復しきっていないようだ。
息を整えようとしても、胸の奥が焼けるように痛む。
——それでも。
このまま回復を待つわけにはいかない。
「……くそ」
俺は壁に手をつき、無理やり立ち上がる。
足がもつれそうになるのを必死にこらえ、そのまま教室を飛び出した。
◆
青春とは何か。
ここ数か月、そんなことを真面目に考えることはなかった。
きっと、生徒会での生活が思っていた以上に居心地よかったのだろう。
これが青春なんだ、と。
憧れていたものを、ようやく手に入れたのだと——どこかで思い込んでいた。
だけど……。
胸の奥には、ずっと小さな違和感があった。
踏み込もうとすれば、見えない境界線に阻まれるような感覚。
一歩、踏み出せない。踏み出さない。そんな自分。
もし、この問題を——
この戦いを終わらせることができたら。
俺は、その境界線を越えられるのだろうか。
そんなことを考えながら、俺は蜂怪人の背に向かって全力でタックルを叩き込んだ。
衝撃で相手の体が前のめりになる。そのまま正面に回り込み、渾身の蹴りを顔面へ叩き込む。
蜂怪人は小さな悲鳴を上げ、大きく後退した。
俺は即座に後方を振り返る。
そこには、九条先生と生徒会の面々が床にへたり込んでいた。
瓦礫と血の匂いの中で、ただ呆然とこちらを見ている。
「青木……?」
九条先生の声が震える。
「先生、大丈夫ですか⁉」
問いかけると、九条先生は一瞬、状況を理解できないといった顔をした。
だが次の瞬間、その表情が恐怖に歪む。
「青木!後ろ!」
反射的に振り向いた瞬間、鋭い針が振り下ろされていた。
間一髪で両腕を交差させて受け止める。
だが、そのまま横薙ぎに払われ、俺の体は壁へと吹き飛ばされた。
鈍い衝撃。肺の空気が一気に吐き出される。
「私、幻でも見てるのかしら。あなたは殺したはずよね?」
蜂怪人——旭野先輩の声が、冷ややかに響く。
俺は歯を食いしばり、なんとか立ち上がった。
「生憎、頑丈な体なんでね」
強がってみせるが、全身がズキズキと悲鳴を上げている。
正直、泣きたい。というか、普通に痛い。
そのとき、九条先生が俺の腕を掴み、強引に後ろへ引いた。
「何をやっているんだ、お前は! 早く東雲たちと一緒に逃げろ!」
九条先生は俺と蜂怪人の間に立ち塞がる。
震えているのに、それでも退かない。
蜂怪人は目を細め、けだるそうに口を開いた。
「先生に恨みはないのだけれど。邪魔するなら……殺すね」
その言葉に、空気が凍る。
「金目君!金目君!!」
鴨川先輩の悲痛な叫びが響いた。
視線を向けると、金目先輩が床に倒れている。
顔は青白く、生気がない。二の腕からは赤い血が滲み出し、東雲会長が必死に制服を押し当てて止血していた。
「青木、動けるなら早く金目を病院へ! 救急車は呼んである!」
九条先生の声が飛ぶ。
だが——。
金目先輩の症状を見て、俺は歯噛みした。
「先生、残念だけど……金目先輩は病院に行っても治らない」
「えっ?」
「蜂だもんね。そりゃ、毒使うか」
俺は九条先生越しに、蜂怪人へ問いかける。
「ええ。あなたにも打ち込んであげたはずなんだけどね」
蜂怪人はくすりと笑う。
「なるほど……どうりで体の治りが遅かったわけだ」
胸の奥に鈍い違和感があった理由が、ようやく腑に落ちた。
俺は九条先生の肩を掴み、後ろへ引く。
「おい、青木!」
「先生、あの怪人を倒さないと金目先輩は助からないよ」
ゆっくりと、再び蜂怪人へ向き直る。
「毒はすぐに死なない程度にしてあるわ。ほら、そのほうが長く楽しめるでしょ?」
「違うね」
俺は静かに首を振った。
「殺す勇気がなかっただけだよ。好きだった人を、そんな簡単に——」
「何言って……」
蜂怪人の声が揺らぐ。
その瞳に、一瞬だけ迷いが走った。
よかった。
やっぱり——目の前の怪人は、旭野先輩だ。
まだ、全部を失ったわけじゃない。
「お、おい青木。それはどういう……」
九条先生が困惑の声を上げる。
「先生、下がってて」
俺は短く告げる。
蜂怪人——旭野先輩が、怒りに歪んだ声を張り上げた。
「本当に生意気。生徒会に来てから、あなたが嫌いだった。私とどこか似ている気がして!」
「俺もです」
即答だった。
「でも、今は出会えてよかったって思ってます。ここで旭野先輩を止められる!」
体の奥底から、あの感覚が込み上げる。
血が沸騰するような、骨が軋むような衝動。
黒い外骨格が、ゆっくりと体を覆っていく。
「貴方……」
蜂怪人の目が見開かれる。
「俺と旭野先輩。踏み出せないところ、似てましたよね。でも——怪人なのも同じになっちゃいました」
「青木……?」
九条先生の声が、かすれる。
「ごめん、先生。説明は後で」
俺は拳を構えた。
目の前にいるのは、蜂怪人。
そして——旭野先輩。
光太郎さんみたいに、うまくできるかは分からない。
でも。
殺さない。
怪人と、旭野先輩を分離させる。
そのために——。
俺は地面を蹴った。




