プロローグ
街の外れにある、古びた廃工場。
割れた窓から差し込む月明かりが、埃まみれの床や錆びた鉄骨を淡く照らしていた。
……雰囲気だけなら、ちょっとしたアート作品みたいだ。
でも今の俺にそんな感傷に浸ってる余裕はない。
「……っ」
目の前で、何かがうめいた。
人間のようで、人間じゃない“それ”が、床に膝をついていた。
八つの目を持つ顔。背中には巨大な蠍の尾。
見た目は完全に化け物。けど、血を流して苦しむ姿はどこか哀れでもある。
「ま、待て……頼む……」
蠍怪人が震える声を絞り出す。
全身はすでにボロボロで、息も絶え絶え。
それでも、よろよろと立ち上がろうとしていた。
「見逃してくれ……っ。あいつらは、俺をいじめてた連中なんだ……! 俺は、正当な仕返しをしただけだろ!?」
目に浮かぶのは怒りか、涙か。
だけど――そんな理屈、もう通用しない。
「……いじめられてたのは、気の毒だと思うよ。でもな」
俺は怪人を睨みつけた。
「お前が殺したのは五人。そのうち、二人は小学生だった。……そいつらも、お前をいじめてたのか?」
怪人は何も言わない。
答えは沈黙の中にあった。
「もう……お前は、ただの殺人鬼だ。人じゃない」
その瞬間、怪人の目が見開かれた。
叫び声とともに、蠍の尾がこちらに振り下ろされる。
「だから――」
俺は拳を握った。
「もう、眠れ」
振りぬいた拳が、怪人の顔面を叩き砕く。
骨が砕ける感触と、手にまとわりつく生臭さ。
そして怪人は、そのまま力なく崩れ落ち、ボロボロと黒い灰になって消えた。
……何度やっても、この瞬間だけは慣れない。
怪人とはいえ、元は人間だった存在。
俺がやってることは、ある意味“人殺し”と変わらないのかもしれない。
床に残された灰の中から、ひときわ光る何かが見えた。
そっと拾い上げると、それは小さなカプセル。
透明な中に、蠍のような影がゆらりと浮かんでいる。
「……こんなもので」
苦い気持ちを噛み殺して、カプセルを握りつぶす。
カシン、という音とともに、中身はただの粉になって風に舞った。
ふぅ……と息を吐くと、体から白い煙が立ちのぼる。
――人間の姿に戻っていく。
怪人退治を始めて、もう三年。
そして今日からは、晴れて高校生になった。
だけど、こんな生活で“普通の高校生活”なんて送れるのか。
そんなことをぼんやり考えながら、俺は夜の工場を後にした。