3.無意識のゼロセンチ
緋岐×紗貴(中三:秋)
瑞智古武術道場の朝は早い。
近所の子ども達にも開かれた町道場としての役割も果たしているため、休日の日は特に朝から賑わっている。
そんな賑やかな道場の中で、黒袴を着用しているのはたったの5人。師範である瑞智 正宗を筆頭に、4人の師範代が黒袴の着用が認められているのだが、その中の紅一点が紗貴その人だ。
ちょうど2年前……中学に進学した4月、紗貴の実力に疑問を抱いていた門下生を次々と薙ぎ倒したことは、今ではちょっとした伝説として語り継がれている。そんな紗貴は生粋の姉御肌ということもあり、ちびっ子たちに大人気だ。
「おねえちゃんせんせい!!」
呼びながら、今日も今日とてちびっ子たちに取り囲まれていた。道場のある長い石段を下った先にある、児童養護施設の子たちは総じて門下生で。
「のりくん、ちゃんと背筋を伸ばしてごらん?」
言いながら、優しく背中に手を当てながら、指導に当たっている姿が朝日に照らされている様は何とも美しい。
(っていうか、俺の、彼女なのにッ……)
心中穏やかじゃないのは、緋岐その人だ。
容姿端麗
文武両道
冷静沈着
だなんて、巷では誉めそやされているが、結局欲しいのはたった一人の心だけで。
「ふう君、えらいね。今日は上手に出来たじゃない」
言いながら、ちびっ子たちの頭を撫でている紗貴は、同い年とは思えない色香を放っている……ように見えるのは、きっと勘違いではないはずだ。
最初は、“ニセモノ”からはじまった歪な関係ではあるものの、紆余曲折を経て今では心が通じ合っているはずなのに……
(俺ばっかり、何か……振り回されてないか?)
時々、自信がなくなる。
不安になってしまうのだ。
好きだからこそ、自分ばっかりが相手に翻弄されているのではないか……と。同じだけ気持を返してほしいと、情けなく縋りたくなる時がある。
—— なんて、ちょっとオマセな感慨に耽っていた、その時だ。
「危ない!!」
誰の声だろう。危険を知らせる声と一緒に、側頭部に言葉に出来ない衝撃と共に痛みが走った。ちょっと視線を下に向けると、真っ青なちびっ子二人組がいる。どうやら、木刀の打ち合いをしていところ、汗で滑ってすっぽ抜けたようだ。
「緋岐くん、大丈夫!?」
慌てて駆け寄って来る紗貴に苦笑で答える。
「大丈夫だよ、俺もちょっと注意力散漫だったし」
—— わざとじゃないもんな?
付け加えながら、少年の頭を撫でれば、「ごめんなさい」と謝りながら泣き出した。そこに現れたのは師範であり紗貴の祖父でもある正宗その人で。
「紗貴、小僧の手当をしてやれ」
「判った。行こう?緋岐くん」
頷くなり、紗貴は緋岐の手を握って歩き出す。
向かう先は、道場から少し離れたところにある家だ。玄関からは上がらず、そのまま裏手に回れば、紗貴は縁側に座るよう、緋岐を促した。
「ちょっと見せて?」
言われて、ずっと打撲痕を自分の右手で押さえていたことに気が付いて、そっと手を離せば、紗貴が症状を確認するように優しく髪の毛を掻き上げる。そのひんやりとした感覚に身体が反応しそうになるが、グッと耐えた。
「良かった、血は出てないみたい……でも、ちょっと腫れちゃってるから、冷やしとこうか。ちょっと待っててね?」
言うなり、紗貴は緋岐をその場に残して家の中に入ってしまう。
(俺ばっかり、意識してるよな……)
紗貴の仕草ひとつひとつに、いちいち反応してしまう……そんな自分が少し悲しくなってきて。
「……不公平だ」
思わず零れた自分の言葉に虚しさを感じてそのまま脱力したように縁側に横たわる。
実は、緋岐は朝に弱い。だけど、早起きを頑張って道場に来るのは、紗貴に一日のはじまりに会いたいからという願望と、自分がいない間に紗貴を盗られてしまうのではないかという不安があるからだ。だけど、そんな緋岐の気持に紗貴は気付く様子もなく。
ちびっ子たち相手とはいえ、気安く異性に触れて、楽しそうに笑っていて……
「不毛だ……」
縁側に射し込む温かな朝の陽に誘われるように、緋岐の意識は薄れていった。
どれくらい経ったのだろう?意識が浮上した緋岐は、自分の置かれている状況に思わず息を吞み込んだ。声を上げたり、過剰反応しなかった自分を心底褒めたのは、これが初めてではないだろうか。
「うーん。まだちょっと、腫れてるかな?」
言いながら真上から声がしたかと思うと、優しく髪を撫でられる。そして、ひんやりとしたものが患部に当てられる。
「でも良かった。随分引いたみたいで……」
安堵の溜息と共に吐かれた言葉に、緋岐はゆっくりと目を閉じた。優しく頭を撫で続ける感触が何とも心地よい。
いつの間にやら、紗貴の膝の上に頭を置いている、いわゆる膝枕をされている状態で。
「……生れてはじめて、男の人の頭を太ももに乗せちゃった……」
そんな爆弾発言が投下されて、緋岐は思わず目を見開く。
「まあ、いいよね。今だけは……私だけだし。……か、彼女だもんね!」
誰に対する言い訳なのか、その声は照れを帯びていて。
「いっつも、余裕で……なんか悔しい……私ばっかり、いっつもドキドキして……ズルい……」
頭を撫でる手を止めずに、そっと呟かれた紗貴の本心を聞いて、緋岐はそっと目を閉じた。そして、その頭を撫でらるその心地よさに身を委ねた。
心の澱が晴れていく。胸の奥深くでとぐろを巻いていた、鈍くて重たい感情を溶かしていくのを感じて、緋岐は知らずに笑みを零す。
(不安なのは、俺だけじゃなかったんだ)
そのことが、何よりうれしくて……心の隔たりがなくなった気がしたのだった。
END
@確かに恋だった




