Chapter.6"You're welcome"
Chapter.6"You're welcome"
「随分買ったわね……」
「あぁ。俺はまとめ買い主義だからな。一週間分一気に買うんだ。しかも、今回は2人分だからな」
そう言って、俺は改めて自分が押すカートを見た。会計を終えたカートの中は、食品と飲み物で一杯になっていた。成瀬は、今回なぜ連れてこられたのかちゃんと分かっているらしく、その重そうなカートの中身を見て嫌そうな顔をする。
「さて、袋につめよう。そのくらいなら手伝ってやる」
俺と成瀬は、せっせとカートから袋に移し変える。袋の数合計して3袋。なかなか買ったな。買い物袋3個ってのは、なかなか持つのは辛いはずだ。だがしかし、ここからは、成瀬の仕事。俺には関係無いので、口笛を吹きながら自動ドアをくぐろうとすると。
「ちょ、ねぇ、ホントに持ちあがんないんだけど…」
成瀬はなんとか2袋までなら持ち上がっているのだが、どうやら最後の一袋が持ち上がらないらしい。
「おいおいおい、しっかりしてくれよ。居候」
「あんた、本当嫌な性格してるわね」
「まぁな」
とは言え、ここでこうしていても、持ち上がらない事実は変わらない。流石の俺だって、ここを2往復しろというほど鬼畜ではないわけだし、その一番小さいやつならもってやらないこともないのだ。
「あんた、一番軽い袋もって行くってどういうことよ」
「俺は別に何も持たなくたっていいんだけどな」
「……」
もはや成瀬は何も言い返さず、ただ大きな溜息とともに俺を一睨みしたあと、一番大きな袋と二番目に大きな袋を重そうに持ち上げた。その時だった。俺を見るレジのおばさんの目が、まるで氷のように冷たかったのだ。いや、氷なんて生易しいものじゃない。あれはまさに……。
「メデューサ……! おばちゃんの」
「何意味不明なこと言ってんのよ。バカじゃないの?」
成瀬が文句を垂らしているその間も、おばちゃんは目で訴えてくる。「そんな可愛い子に荷物持たせて……。食ったろうかぁ!? あぁ!?」と。まずい、飲まれる――!
「あ……っと。じ、じゃあ、そっちの一番でかいやつも持ってやる……よ」
「いいわよ、もう」
ふてくされたように成瀬は一番大きい袋と、二番目に大きい袋を持った成瀬は、俺に目をくれることもなく、さっさとスーパーから出て行った。吹き出る汗を拭いながらレジのおばさんがもうこっちを見ていないことを確認してから、成瀬を追いかける。
「食われるところだったぜ……」
追いついてからは、特に何を話すこともなく、ただただアパートを目指して歩いていく。道のりの半分ほどを過ぎたあたりの曲がり角で、成瀬が家とは逆の方向に曲がり始めた。
「おい、家はこっち……」
そう主張しようとした時、成瀬の鋭い眼光が俺を睨みつけた。そして、聞き取れるか聞き取れないかギリギリの声で、こう言った。
「静かに」
その成瀬の眼と声には、有無を言わせない説得力のような強制力に、俺は恐怖する。そして、本能的に従うことを選ぶ。そうしないければ、俺が危ないと思った。ただ危ないんだと。しかし、一瞬だけ出た張り詰めた雰囲気の成瀬は、次の瞬間にはいつもの成瀬に戻っていた。そして、成瀬が小声で呟く。
「落ちついて聞きなさい。今、私たちはつけられてる」
「何? どこにいる?」
「探ろうとしないで。相手はたぶん素人だけど、あんたは絶対気付かれる。自然に、いつも通りにしてなさい」
「それはそれで難しいけどな」
「これからは、私の話に合わせて、私の言うとおりに動きなさい」
成瀬の言葉には、表情や雰囲気と違って切羽詰ったものが含まれていた。俺は、少し冷や汗をかきながら答える。
「わかった」
「いい? おそらく狙いは私。私とあんたがわかれれば、確実にあいつは私に付く。あんたは、さっさと家に帰りなさい」
「お前だけ残して? そんなわけには……」
足手まといだ。目でそんなことを言われたような気がした。
「じゃあ、ここでいいわ! 送ってくれてありがとね! あと、食べ物もサンキュー。本当、感謝してる。もう少し家には帰りたくないからさ」
成瀬のいきなりの振りに、俺は一瞬戸惑ったが、すぐに言われたとおりに話を合わせた。言うとおりに動くとはこういう意味だろう。
「あぁ、お前も色々大変なのかもしれないけど、頑張れよ」
「ありがとう、じゃあね」
そう言って成瀬はその道をそのまま進んでいった。俺は、成瀬の言うとおりに家に帰るために来た道を戻っていった。『能力』それが、あいつの自信の源なのだろう。
***
家についてから、俺は後悔する。成瀬は、あのまま消えるつもりだったのではないだろうか? 彼女だけで本当に大丈夫なのだろうか? そんな思考が頭を駈けるが、今となってはもう遅い。今の俺に出来ることといえば、成瀬の邪魔にならないようにしていることのみだ。
……というか、もしこのまま消えられたら食材を持ち逃げされたってことになるんだ。俺だってそんなに余裕があるわけではないし、少し困ったことになる。
そんな思考に耽っていた時、玄関のチャイムを鳴らす音が鳴る。俺は急ぎ足で玄関に駆け寄り、鍵を開けた。
「成瀬!」
しかし、そこには成瀬の姿は無く、代わりにいけ好かない野郎の姿があった。
「残念、僕です」
と、柊がニッコリと笑う。
「……なんだ、お前かよ」
「私も居るわよ」
柊の後ろから、ひょこっと成瀬が顔を出した。
「……どういうことだよ」
イマイチ状況が掴めない。
「立ち話もなんですので、中に入れてもらえませんか?」
俺の返答を待つこともなく、成瀬は柊を押しのけて、勝手に家の中に入っていった。柊は柊で、「失礼しますね」とか言ってもの珍しそうに入っていく。溜息が漏れるね。成瀬はベッドに。柊はソファーに座った。
「で、どういうことなんだ? 説明しろよ」
「どうもこうも、私たちを尾行してた犯人、こいつだったのよ」
成瀬が履き捨てるように言った。
「そんな、僕はただ優さんから連絡が来ないので、直接様子を見に来ただけですよ。そしたら、御2人が仲良く買い物してるではありませんか。これは邪魔しちゃいけないと思い、後ろから眺めていただけです」
「別に仲良くなんか無いわ!」
「……」
内心同じ事を思っていた俺だが、ハッキリと大きな声で言われると思いのほかダメージはデカイ。お陰で、何も言い返せなかったぜ。
「まぁ、そういうことにしておきましょう」
「お前、どれだけこっちが焦ったと思ってるんだ。ふざけんな」
「別にふざけてなんかいませんよ。純粋に邪魔したくなかっただけです。それにしても、成瀬さんの迅速な対処には驚きました。僕の一瞬の隙にできるだけ情報を集め、対策を練った……。流石ですね」
「いやまぁ……。そうかもしれないけど、そうじゃなくてだな………。あぁ、もういい!」
「それに、あなたも随分の楽しそうな顔をしていたじゃないですか」
「楽しいわけないだろうが」
「さて、雑談はさておき、そろそろ本題に入りましょうか」
こいつ……。ころっころ話題を変えやがって……。そんな柊に苛立ちつつ、柊の表情がいつもの微妙な笑顔から、急に真面目で真剣なものになっていることに気付く。そして、俺と成瀬は柊の一言を待った。柊は、気持ちも意地も悪い笑みを浮かべて、こう言った。
「成瀬さん。あなたがまだここにいるということは、つまり、交渉は成立したということでよろしいんですよね?」
少なからず、柊のお陰で小田桐宅。まぁ、俺んちだな。そこに居ることのできた成瀬。まだここにいるということは交渉成立。つまり、知っている情報を全てよこせということなのだ。
「お前、まさか最初からこれを狙って俺に押し付けたわけじゃないだろうな?」
その質問に、またまた気持ち悪い笑みで答える柊。
「否定はしませんが、肯定もできませんね。ただの思い付きと結果オーライです。そもそも、優さんの家を所望したこと自体、予想外でしたから」
思い付きと結果オーライね。つまり、大体お前の思惑通りなんじゃねーかよこの野郎。それと、否定と肯定はお前と成瀬くらい異色コラボで、全くの真逆で相容れない存在なんだけどな。そんなことを考えていたら、柊と成瀬で勝手に話が進められていた。
「兎に角、何も話すつもりは無いわ。あんた、分かってるんでしょ? どれだけ危険なことなのか……。小田桐巻き込んでないで、一人でやってみたら? 怖いわけ?」
「いやはや、痛いところを突かれましたね。しかし、僕には僕の考えがあるので…」
「余計なお世話。といいたいわけ?」
「はい。では、洗いざらい話してもらいますよ。お互いの利益になることです。有意義に話を進めたい。ご協力願えますか?」
お〜、俺にはよくわからんが、成瀬が押されているみたいだ。どうも、気に入らない。どうしてだろうな、なんで俺が巻き込まれる前提で、しかも俺には情報が全然回ってこない? やってられないって。成瀬は随分苦しい顔をしているし、それに比べて柊は、もはや勝ったとも思っているのだろうか、余裕の笑みというやつを顔全体で表現している。実に腹が立つ。以上の理由から、俺は成瀬を勝利への道へ導くべく、ある意味自殺行為とも言える言葉を口にすることを決意する。
「なぁ柊、その前に1つ言っておくことがある」
俺が急に口を挟んだことに、少し柊が驚いたように答える。
「何でしょう?」
「悪いが、成瀬は俺の意思でここに滞在してもらっている。つまり、俺の好意と気まぐれが起こした奇跡ってわけだ。だから、成瀬は交渉を決裂したとしても、ここにいてもいいことになる」
数秒の沈黙があたりを包んだ。しばらくして、柊が声を上げる。
「……ふう。なるほど、あなたに成瀬さんをあずけたのは失敗だったようですね。まさか、あなたがそんなことを言うとは……。いやはや、かんぜんに予想外ですよ。どういう心境の変化です?」
柊が、驚いたような困ったような顔で言う。それどころか、成瀬まで目を見開いている。それはそうだろう。俺が一番驚いてる。
「言っただろ。ただの気まぐれさ」
「だといいんですが」
含みのある言い方だな。気に入らない。
「どういう意味だ?」
「何も」
全くこいつは、何を考えてるんだろうな。そもそも、こいつはどうしてこう、面倒ごとに自ら突っ込むんだ? こいつの家庭は裕福だし、自己のスキルを活かせば、何不自由なく一生をまっとうできるだろう。そんな柊が、何を望んでいる? 何がしたい?
「柊、お前、何がしたいんだ? どうして成瀬にそこまでこだわる?」
「別に成瀬さんだからということではありませんよ。ただ、僕の周りにいた物語の重要人物が成瀬さんだったというだけです。それ以下でも、それ以上でもありません」
そう言って、柊は自分の腕時計を確認した。
「すいません、ちょっと用があるので今日は出直すとします。それと、成瀬さん。僕はあなたを追い詰めるつもりはありません。もしあなたに火の粉が降り注ぐのであれば、身を呈してでも護りましょう。あなたを狙う者がいるのならば、あなたに被害が及ぶ前に僕が始末します。それだけは、覚えておいてください」
そうクソ長い映画か何かで設定されてそうなクサイセリフを言い残し、さっさと帰っていった柊。しかも、一回も息継ぎをしなかったのだからまた凄い。俺たちはあまりに長いセリフに圧倒され、何も言えずに突っ立っていた。
「それにしてもよくあんな長いセリフ、ぺらぺらと話せるわね」
「ごもっともだな。しかも一回も息継ぎしてないし、噛んでもいない」
俺たちはもう一度顔を見合わせてから、柊の消えていった方向を見る。
「何考えてるんだ?」
「何考えてるのかしら?」
もしかしたら、俺が一番気になるのは、あいつかもしれない。そう思うと、自分の置かれている状況が謎だらけで、妙におかしかった。口元が少し緩むことが更におかしいと思いながら、ベッドに寝転がる。成瀬が俺に続いてソファーに座った。
「さっきのは、どういうつもり?」
「さっきのって?」
「あれだけ嫌がってたのに、私を追い出すチャンスだったと思うけど?」
あぁ、その話か。
「追い出されたかったのか?」
「そうじゃないけど……ちっ……」
成瀬が舌打ちしたのが聞こえた。まぁ、ふざけた返答をしてるんだ、当たり前か。
「気にするな。ただの気まぐれさ。強いて言うなら、柊の思い通りにことが進むのが気に入らなかった」
「あんたも、柊が気に入らないってクチ?」
「否定はしない。肯定もしないけどな」
どっかでやったような問答。無論、成瀬はそれに気付いている。
「……ちっ」
全くこいつは、よほど舌打ちが好きらしい。それにしても、今日の柊は随分引きが早かったな。あいつのことだ、成瀬が返答を拒否することくらい分かっていただろうし……。まさか、俺が成瀬を引き込むことすらあいつの計算だったってことはないよな? ……考えすぎか。その時、成瀬が何かを呟いた。
「……ありがとう」
「え? 何だ?」
「なんでもない! 一回で聞けよバカ!」
「おいおい、仮にも女の子だろう。そんな言葉遣いは…」
そう言って、やめた。この反応から、簡単に何を言ったのか連想できたから。
だから、俺も小声で呟いた。
「You`re welcome」