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幕間:天魔の雑談<2>

◇◆◇ 天魔神教(てんまじんきょう) 教祖大殿(きょうそだいでん) 謁見の間 天魔神教教祖 崩月天魔(ほうげつてんま) 天武宗(てんぶしゅう) ◇◆◇


 さらに時は流れて3年。

 度重なる騒動の末、この3年はまさしく光陰矢の如く過ぎ去った。


 事の発端は3年前。

 仙界への推挙が決まっていた逸材【百雷(ひゃくらい)鳳雛(ほうすう)麻夢蝶(まむちょう)の誘拐に始まり、その実行犯の追跡と犯人の調査に追われ、さらに判明した襲撃関係者であるポタラ宮に戦争を仕掛けた。


 当然そうした調査や戦争の最中にも、仙界の太初神教(たいしょしんきょう)からの使者は参られ、余は太初神教へ推挙された人材が奪われたという天魔神教開派以来の大失態を謝罪しなければならず、その心労が絶える日はない。

 一応すでに襲撃者の中にいたポタラ宮の先代法王の存在から、この一件には別仙界勢力が関わっていることが判明しているゆえ、それほど深く責められたわけでは無いがそんなものは慰めにもならないだろう。


 余がそのような心労絶えぬ日々を送っている一方で、襲撃者との戦いにより悟りを得た父上は、この俗界では前人未踏の境地と言われる生死境の先、【自然境】への突破を試みるための閉関修練(へいかんしゅうれん)に入っていた。加えて娘を誘拐された麻空燕(まくうえん)も、ポタラ宮との戦争で1年ほど暴れたのちに、余の父を追うように閉関修練に入った。


 正直なところ、仙界からの使者に対してすら顔を見せない父上には言いたいこともあったのだが、父が仙界へ昇り直接謝罪するためにより高い境地を目指していることは容易に察しが付くゆえ、黙認するしかないのが現状だ。


 ……口には出さないが、おそらく空燕も父に付き従って仙界へ行き、自らの足で娘を探しに行くことにしたのだろう。

 これに関しても余が言えることは何もない。夢蝶の母である我が妹・雪梅(せつばい)の沈鬱とした有様を見れば、余が自ら赴きたいほどなのだから。


◇◆◇


 余と天魔神教にとっての忙しない日々の中でも、外界から隔離された幼魔・潜魔両館は特に変化のない通常業務で日々を過ごしている。

 そして先月の終わりを以て、六公子であり末子である日月慶雲(じつげつけいうん)は幼魔館から潜魔館へと移り、それと入れ替わるように余の子らの中でも最年長となる二公子と三公子が潜魔館を卒業した。


「なるほど、なかなか悪くない。――斬拳魔君(ざんけんまくん)


「はっ! 教祖様のお言葉ありがたく頂戴致します!」


 端木宮(たんもくぐう)の端木神女の長男であり二公子と呼ばれる端木武閃(たんもくぶせん)

 百里宮(ひゃくりぐう)の百里神女の長男であり三公子と呼ばれる百里朱岳(ひゃくりしゅがく)

 この二人こそ大公子・日月武雷(じつげつぶらい)亡きあとの、余の長子とも言える者たちである。


 どちらも優秀な子で、13歳にして絶頂の極の境地にあるため現在生じているポタラ宮との戦争においても、出陣すれば相応の功績を収めることは間違いないだろう。もっとも潜魔館の通例として卒業者はそのまま閉関修練に入るため、実際に公の場に出て剣を振るうのはおそらく数年先のこととなる。

 潜魔館を卒業し閉関修練を超えたのちに元服し、位階と職位を与えられるのがこの天魔神教の習わしなのだ。

 この閉関修練で運よく悟りを得ることができれば、余がそうであったように元服前に超絶頂の境地、すなわち巨魔の位階に至れるかもしれない。


「二公子と三公子ともに同じ年の頃の余に匹敵する強さと言えよう。見事だ、よくやった」


「ははぁ!」


 ちなみに二人ともが長子のような者とは言ったものの、一応二公子である端木武閃の方が兄である。ただ誕生した年も月も同じくし、日も数日程度しか違わぬため便宜上以外では特に次男三男の差をつけていない。

 そもそも天魔神教は長子相続ではないし、儒教における長幼の序もそれほど重んじられているわけでは無いからな。


「フッ――夢瞳魔尊(むどうまそん)。続けよ」


「はっ! ……鉄筆魔君(てっぴつまくん)


「御意! 幼魔館管理者統括、鉄筆魔君にございまする。昨年度の幼魔館全体の卒業者は9843名。特に優れた成績を残しましたのは幼魔館新疆(しんきょう)本館にございます。中でも六公子様である七号生徒は、他の追随を許さぬ結果にてご卒業成されました」


 現在この謁見の間には、潜魔館の管理者統括である【斬拳魔君(ざんけんまくん)】と幼魔館の管理者統括である【鉄筆魔君(てっぴつまくん)】、そして幼魔・潜魔両館の最高責任者である【夢瞳魔尊(むどうまそん)】が謁見に来ている。

 斬拳魔君の報告から年長の子供たちの活躍を聞き、多忙で(すさ)んだ心を慰めていたのだが、鉄筆魔君からそれ以上の衝撃的な報告がなされた。


「鉄筆魔君、真か? 今の言葉、余には慶雲が幼魔館序列一位で卒業したという意味にしか聞こえなかったが……?」


「はっ、その通りにございまする。六公子様は魔泉心法(ませんしんぽう)五成の成就を成され、神教開派以来の前人未到の記録を残し、潜魔館へと上がられました。つきましてはこの偉業に相応しいだけの褒賞を検討していただきたく、併せてご報告に参りました所存」


 ……あの慶雲が魔泉心法の五成を成しただと? しかも幼魔館で?

 馬鹿な……余が自ら二度にわたってその武骨を確かめたのだぞ?

 確かに二度目に確認した時には、聖火の儀の時よりもそれなりにマシな武骨になっていたとはいえ、それでも幼魔館では魔泉心法の二成すら難しい程度の武骨であったことは間違いない。

 ましてや五成など、その生涯を費やしてたどり着けるかどうかという程度だったはずなのだが……?

 …………何が起きた?


「ああ、褒賞であったな。……ふむ、そういえば今の成就ごとの褒賞はどうなっている? それと此度の幼魔館全体で三成と四成に至った者は何人だ?」


「はっ! まずは現在の魔泉心法成就の褒賞にございますが、三成の者には少魔丹(しょうまたん)を一粒、四成の者には少魔丹を四粒与えることとなっております。続きまして、今回の卒業者の成績の内訳ですが、四成の成就を成した者は343名、三成は1988名。このうち新疆本館の――」


 鉄筆魔君の報告を聞きながらも、余の頭の中を一つの言葉が巡り続けていた。


 『奇縁(きえん)


 何があったのかは定かではないが、慶雲の身に何かが起こりその武才は天魔神教の公子として相応しいそれに、あるいはそれ以上の代物へと進化を遂げたのだろう。

 聖火による伐毛洗髄(ばつもうせんずい)であってもまともな武骨とならなかった肉体であるというのに、いったい何があったのか。いかに余であっても大層気になるところではあるが、それはともかくとして流石は我が子よ。神教の吉兆を背負って生まれてきただけのことはあるな。


 出来損ないとも蔑まれた末っ子の思いもしなかった活躍に、若干思考が呆けかけていた余であるがそれでも天魔として聞き流してはいけぬ情報もある。


 四成が343名? 

 例年であれば30名に達すれば多い方であろう。それの十倍以上とはなんの冗談だそれは?


◇◆◇ 天魔神教(てんまじんきょう) 内宮 私室 天魔神教教祖 崩月天魔(ほうげつてんま) 天武宗(てんぶしゅう) ◇◆◇


 数日前の謁見で語られた末子・慶雲の起こした奇跡の数々は、瞬く間に噂として流れ数多の場所で話題となった。

 慶雲の悪評を垂れ流していた者は皆一様にその口をつぐみ、その様子はさながら貝の如しである。


 まあどこの誰であろうとも、八歳で魔泉心法の五成という神教開派以来の結果を残し、さらに自身の下に就いた者たちの成就も助けて幼魔館創設以来最高の結果を残したという話を聞いたならば、その反応こそが至当であろう。


 さらに慶事というものは重なるものであるのか、噂が流れた数日後、麻空燕が閉関修練を終え出関(しゅっかん)したという報告が入った。というか本人が来た。


 詳しく話を聞いた限りでは、噂を聞いた我が妹・雪梅が閉関修練中の空燕に慶雲の身に起きたことを無理矢理伝え、それを聞いた空燕が心魔を打破し壁を乗り越えて玄境の境地に至ったそうだ。

 空燕がその様なそぶりを見せたことは無かったが、実の妹が残した一粒種という自身が守るべき存在を残して仙界へ行くというのは、心に突き刺さった針となり境地の突破を妨げる心魔となっていたのだろう。

 ……ちなみに今回は吉と転じたようだが、本来閉関している者に無理やり外の情報を伝えるというのは、全く褒められたことではないということも追記しておく。


 さらにこの慶事はそれだけでは終わらなかった。

 余の父上である太上教祖(たいじょうきょうそ)も【自然境】への突破に成功し閉関修練を終えて出関したのである。

 先代教祖の境地突破という大きな慶事は、ポタラ宮との戦争が始まって以来緊張漂うこの神教において、久しぶりに大騒ぎとなるほどの祝宴となり、その祝宴は疲弊していた民心を安んずることとなった。


 ……あるいは慶雲は真に吉兆の化身であるのかもしれぬな。


◇◆◇


 武林の歴史において、当然であるがその時代が進むにつれて武人たちが到達する境地も上昇している。

 かつての超絶頂こそが人という種の最高到達点といわれた時代、化境(かきょう)の境地はある種の幻想や伝説の類であった。

 これは玄境(げんきょう)生死境(せいしきょう)が伝説であった時代でも同じ現象が起き、そのたびに武林人は一歩一歩の武学の積み重ねにより高みへと昇りつめていったのだ。


 ――まあこの数多の時代の中でも、化境の境地こそ人の最終到達点と言われた時代に、玄境を飛び越えて生死境の境地に達した武林界の逸脱者こそ初代天魔であるという自慢もあるのだがそれはさておき。


 化境・玄境・生死境。これらの境地において誰がそう名付けたのかは不明であるが、自然境にはその名の由来と推測されるモノが存在する。


 それすなわち自然剣である。


 気と剣の境地において、剣を気で満たす充剣(じゅうけん)の境地を一流、剣から気を発する剣気(けんき)の境地を絶頂とし、剣気を束ねる剣糸(けんし)の境地を超絶頂、剣糸をさらに凝縮させた剣罡(けんこう)の境地を化境とする。

 さらに無形の真気をつないで繰り広げる以気馭剣(いきぎょけん)の境地を玄境とし、無形の真気を実体化させる無形剣(むけいけん)の境地を生死境とした。


 そして自然剣は、大自然の気を操り森羅万象を剣とするとされている境地である。

 風を剣としたならば突風で首が落ち、雷を剣としたならば雷速で敵を襲い、雨を剣としたならば小雨で敵に数多の刺傷を負わせることとなる。


 で、だ。

 何故急に余がこのような説明を始めたのかというと、まさに先日その自然剣の力が振るわれたからに他ならない。


 父上の出関からすでに一月。

 出関した父がまず行ったのはポタラ宮の殲滅であった。

 ポタラ宮の武僧たちは戦場に舞う塵となり、ポタラ宮の寺院は瓦礫へと姿を変え、神教の教徒達はポタラ宮の殲滅と西蔵(さいぞう)の奪取に沸いていた。


◇◆◇


「では武宗(ぶしゅう)よ。いろいろと面倒を残して済まんが後は頼むの」


「はい、こちらのことはお任せください。なので父上は蝶姫のことを……」


「ああ、任せよ。……しかしまさか小教祖も決まらぬうちに昇界することになるとは思わなんだ。先の襲撃といい、お主には真に苦労を掛けるの」


「いえ、さほどのことでは。――空燕、そして他の魔尊たちよ。その方らは父上をしかと補佐せよ」


「「「御意!!!」」」


「では父上。いえ太上教祖様、武運長久をお祈り申し上げます」


「うむ、せめてお主が昇界するまでには見つけておこう。達者での」


「……はっ」


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