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幕間:【鳳雛】の激動人生<俗界編・中>

◇◆◇ ポタラ宮 吉祥(きっしょう)八僧 宝傘(ほうさん)上師(じょうし)◇◆◇


師兄(しけい)! 宝傘師兄!」


「これは蓮華(れんげ)上師(じょうし)、南無阿弥陀仏。如何(いかが)なされましたか?」


 南無阿弥陀仏。

 今慌てた様子で声を掛けてきたのは、拙僧と同じ吉祥八僧(きっしょうはっそう)の一人である蓮華(れんげ)上師(じょうし)でございます。


 そもそも【吉祥八僧(きっしょうはっそう)】とは、他の門派で言うところの長老に相当する地位です。

 このポタラ宮は【大宝法王(たいほうほうおう)】を頂点に、その下に長老とも言える【吉祥八僧(きっしょうはっそう)】が存在し、さらにその下に【法輪(ほうりん)八十僧】が置かれます。これらの地位は世俗における行政官としての立場も兼ねており、実際の統治機構の一員でもあるのです。

 そして我らとは別に、ポタラ宮の守護を司る祭祀としての立場を持つ護法僧も存在し、大護法である【双金(そうきん)二僧】とその部下である【金剛十八僧】がその任を務めます。


 【吉祥八僧】・【法輪八十僧】・【双金二僧】・【金剛十八僧】


 これらポタラ宮の高位を占める全ての役職を合わせて【百八上師(じょうし)】と呼ぶのです。


 蓮華(れんげ)上師(じょうし)の表情を見る限り、どうやら悪い知らせではないようでございますが、不惑(40歳)を過ぎたばかりとはいえポタラ宮でも有数の地位にある蓮華(れんげ)上師(じょうし)がこれ程慌てるとは何事でございましょうか?


「南無阿弥陀仏。これは失礼を致しました。ご挨拶が遅れ申し訳ありません、師兄。つい先ほど急報が入りまして、これはぜひとも師兄にお伝えせねばと」


 師弟(してい)は快活に挨拶を返します。仏学を学んだとは思えないほどの活発さで、陽気な笑い声まで聞こえてくるようです。

 ……声が弾んでいたのは慌てているわけではなく、師弟は常にこんな感じでございましたね。昔、師弟がまだ法輪八十僧の地位にあった時に少々世話を焼いたのですが、その時のことに大変な恩を感じているようで長らく慕ってくれているのです。あの時も変わった人だと思っていましたが、まさかこれほど付き合いが長くなるとは思いもよらぬことでございました。


「何も気にしておりませんよ、師弟。ですから落ち着いてください。それで何事でございましょう。蓮華(れんげ)上師(じょうし)ともあろうお方が随分な慌てようですが、その急報は吉報を期待しても宜しいのでしょうか?」


 この師弟が落ち着きがないのはいつもの事でございますので、この言葉も別に皮肉という訳ではありません。ただ、拙僧が不快に感じているわけではございませんが、他者の眼もあれば吉祥八僧(きっしょうはっそう)の面子もございますので、もう少しだけ落ち着きを持って貰いたいと思うのは強欲でしょうか?


「左様! まさに吉報です。ご承知の通り、以前より青海(せいかい)の調査のため、『蓮根(れんこん)』より人を遣わしていたのですが、その手の者が崑崙派(こんろんは)の残党……いえ、新崑崙派(こんろんは)との接触に成功いたしました。崑崙派(こんろんは)はかつての九派一幇(きゅうはいっぷう)の一派にして、中原五大道門のひとつ。すでに滅亡から80年が経過した今では戦力としては少々怪しいところですが、囮としてはなかなか目を引く者たちかと」


「……なるほど、それは吉報でございますね」


 此度の出兵計画では、拙僧ら【吉祥八僧(きっしょうはっそう)】からだけでも六名。【法輪八十僧】も最低限を残して動員され、その上金蝉寺(きんせんじ)の使者様もご参加されることが決定してございます。

 それほどの大戦力であるならば、失敗など考えられようはずもございませんが、如来(にょらい)ご救出後に憂慮(ゆうりよ)される天魔神教(てんまじんきょう)からの報復を考えるならば、我らが目立つことは控えたいところです。


「現場での陽動としてだけでなく、身代わりや生贄としても役に立つかと。過去においてポタラ宮の中原進出を長らく阻んだ崑崙派(こんろんは)の残党です。使い潰せるのであればそれに超したことはありません」


 かつて正派の領域であった甘粛(かんしゅく)青海(せいかい)ですが、甘粛は400年前に、青海は200年前に侵略を受け、天魔神教の支配地となりました。

 特に青海は長きに渡り天魔神教やポタラ宮などの塞外(さいがい)武林勢力から中原武林を守ってきた地であり、かつてその地に存在した崑崙派(こんろんは)は中原の守護を成してきた大門派。かの大門派が封門に追い込まれ青海が天魔神教の支配下に落ちた時、当時の武林は相当な騒ぎであったと伝わっております。


 このような策を思いつくとは……さすがは吉祥八僧の一人、蓮華上師ですね。

 ……しかし師弟。素晴らしい働きであることは言うまでもないのですが、何故それほどの謀略を操る貴方があのように落ち着きがないのですか? 仮にもポタラ宮の諜報を預かる立場でしょうに。……まあ十中八九、あの姿は韜晦の一種なのでしょうが。


 拙僧ら【吉祥八僧(きっしょうはっそう)】はそれぞれ、蓮華(れんげ)宝傘(ほうさん)組紐(くみひも)勝幢(しょうとう)法輪(ほうりん)宝瓶(ほうびょう)金魚(きんぎょ)螺貝(らがい)の号が与えられております。

 それぞれに世俗の役割が存在し、例えば拙僧が賜っております宝傘上師(じょうし)という役職の業務は国土の防衛であり、特に天魔神教の報復に対して注意を払っておりますのはそのためでございます。さらに蓮華(れんげ)上師(じょうし)という役職の業務は、表向きには国土の交通・流通を管理することでありますが、裏向きには諜報を司っております。手の者を調査に遣わしているとはそういうことでございますね。


「真にお見事なお働きでございますね、蓮華(れんげ)上師(じょうし)。これでまた如来ご救助の成功率が上がりました。法王様もお喜びになられたのではございませんか?」


「……宝傘師兄。師兄にお褒め頂くとは大変恐縮ですが、今の話はあくまで前座です」


 少し含み笑いを漏らしたあと、師弟は言いました。


「……ほう?」


蓮華(れんげ)上師(じょうし)麾下(きか)蓮根(れんこん)』は今回の調査をもって、我らの計画に必須となる情報収集を完了しました。そしてその旨も法王様にご報告申し上げております」


「…………」


 ではまさか……?


「法王様よりお言葉がございました。今より一月後、如来ご救出を決行するとのことです」


「……南無阿弥陀仏」


 ついにこの時が来ましたか。


◇◆◇ 青海 ポタラ宮外征軍 吉祥(きっしょう)八僧 宝傘(ほうさん)上師(じょうし)◇◆◇


 仏説摩訶般若波羅蜜多心経

 観自在菩薩行深般若波羅蜜多時……


 ついにこの日がやって参りました。

 今晩は計画実行前夜、参加者全員で読経を行ってございます。

 ……明日は何名が生きて帰れるでしょうか?

 自らの冥福を祈るはめにならないことをただ願うのみです。


 今回の計画にはポタラ宮の戦力に加え、仙界の金蝉寺(きんせんじ)からも代表の使者様を除いた全員にご参戦いただくことになりました。

 その数は四名、その中には先代の法王様もいらっしゃいます。

 四名の境地は生死境(せいしきょう)一名、玄境(げんきょう)三名。かつては玄境の境地であられた先代法王様ですが、仙界に登られた後で境地の壁を越え、生死境に至られたそうでございます。


 次に吉祥八僧(きっしょうはっそう)より六名。

 六名の境地は玄境が一名、化境が五名。

 拙僧、宝傘上師(じょうし)を含め、蓮華(れんげ)組紐(くみひも)勝幢(しょうとう)法輪(ほうりん)螺貝(らがい)の号を授かった僧たちが参加いたします。

 中でも勝幢(しょうとう)上師(じょうし)は、吉祥八僧(きっしょうはっそう)の中で唯一玄境の境地にあり、我ら八僧の筆頭の座にある人物でございます。勝幢(しょうとう)上師(じょうし)役職の業務は外征であり、今回の計画の実質的な指揮を任されております。


 最後に法輪八十僧より五十六名。

 当然のごとく精鋭で固められており、全員が絶頂(ぜっちょう)達人以上で、中には次代の吉祥八僧(きっしょうはっそう)とも言える超絶頂(ちょうぜっちょう)の達人もおります。


 今回の計画参加者は計六十六名。その戦力には不安も不足もございません。


 おまけで身代わり(肉壁)の新崑崙派(こんろんは)の者たちが十四名ほどおりますが、こちらはほとんど二流から一流で、絶頂が三名ほど、門派の代表者である掌門人(しょうもんじん)であっても超絶頂程度であるようなので特に気にしなくともよいでしょう。

 ……しかし如何(いか)に没落したとはいえ、かつての九派である崑崙派(こんろんは)の掌門人まで参戦するとは……。

 いったいどのような交渉を行えばそのようなことが可能なのでしょうか。彼らよりも、むしろ蓮華(れんげ)上師(じょうし)手練手管(てれんてくだ)に興味が湧きますね。


『今回の作戦行動の目的は、とある貴人を天魔神教の手から救出することである! 同時にこの作戦において、我らポタラ宮の関与が露見することは避けねばならない! 故にポタラ宮が誇る上師たちよ! ポタラ宮の武功の使用を控えよ! やむを得ず使用する時は別の武功と誤認されるような痕跡を残すのだ! 皆、留意せよ!』


 全武僧に対して訓示を述べたのは、今回の作戦の指揮官である勝幢(しょうとう)上師(じょうし)でございます。


 ……みなまで言うことは無いでしょうが、別の武功の痕跡あるいは新崑崙派(こんろんは)の仕業に見せ掛けるように、と言ったところでございましょうか。……すぐ近くに野営をしている新崑崙派(こんろんは)には聞かせられない言葉ですので口に出すことはありませんが。

 訓示を告げる勝幢(しょうとう)上師(じょうし)の声は、我らポタラ宮の僧には大きく張り上げているように聞こえていますが、実際は内功(ないこう)を使って大きく聞こえるようにしつつ、ポタラ宮の野営地すべてを包み込む気膜(きまく)を貼り、外に音が漏れないように遮断しているようです。

 ……一体どれ程の内功があればこのような真似が出来るのかという感嘆と、わざわざ訓示にここまでの手間をかけるのかという疑問が生じますが、ここは素直に称賛しておくと致しましょう。

 流石は我ら吉祥八僧(きっしょうはっそう)の筆頭でございます。


 戦力は充分。

 士気は万全。

 作戦は練りあげられている。

 撤退経路も、陽動人員も、生贄の羊も、確保済み。

 如来の転生体をシャンバラへと連れて行き、仙界の使者様へとお預けすれば我らポタラ宮の役目は終わりでございます。


 ……いよいよ明日です。

 …………南無阿弥陀仏。


◇◆◇


 ついに計画が始まります。

 ここまで来たのですから、いい加減計画の流れをご説明するといたしましょう。

 この計画の肝となる部分は、新崑崙派による陽動と波状襲撃による敵戦力の分散にございます。

 まず新崑崙派が陽動として巡行者一行に対して正面から襲い掛かり、ある程度の護衛を引き付けます。

 次に二手に分かれた吉祥八僧の三名が加勢に入り、天魔神教の護衛側にさらなる戦力の逐次投入を強制させます。

 その後、本命と見せかけた金蝉寺の僧による横撃で巡行者一行で最も厄介な魔尊・魔君の注意を引きつけ、如来をすぐ傍で守る護衛の数を可能な限り減らします。

 最後に、その隙を突いた残りの吉祥八僧の三名が如来を救出……いえ攫うというものです。法輪八十僧は各部隊の下へ配置される形となりますね。


 救出後は新崑崙派の者たちを残して全面撤退となり、我らはポタラ宮ではなく仙界との連絡の地であるシャンバラを目指すこととなります。

 ……様々な経典にその名を遺す伝説の理想郷シャンバラとは、俗界の一都市ではなく仙界そのもののことです。かの地において病気や飢餓と無縁であり、住まう者が容姿に優れているということは、病にかからず飢餓とも無縁である強者の身が存在している場所というだけのことでございまして、そしてそれほどの強者であれば武学の【大道】へと近づくことにより、換骨奪胎(かんこつだったい)を繰り返しその容姿も整ってきます。


 とにかく新崑崙派が大きく注意を引いてくれなければ、計画の遂行に問題が生じかねません。

 我らポタラ宮とは比べるべくもないような、そんなどうにも頼りない戦力としか思えないせいか、熾火(おきび)のような焦燥感が沸き起こります。


「我が名は太虚子(たいきょし)! 大崑崙派の掌門である! 卑劣なる魔人どもよ! 今日こそは西王母(せいおうぼ)より我ら崑崙が賜った神物(しんぶつ)! 屠龍剣(とりゅうけん)を返してもらうぞ!」


「「「ウオオオッ!!!」」」


 ……問題はなさそうですね。実力はともかく、威勢だけは素晴らしい限りでございます。

 …………しかし、蓮華上師がどのようにして崑崙派の掌門人を引き入れたのかと考えておりましたが、まさか屠龍剣を餌にしていたとは……。

 かつての大門派の神物の奪還ともなれば危険度は推して知るべしともいえますが、同時になんとか脈を保っているような門派の掌門人がこれほどの好機を見過ごしては、やはり求心力の低下によりすでに虫の吐息ともいえる崑崙派が崩壊しかねません。……正直なところ、この巡行者一行が屠龍剣を保有しているという情報自体、どれ程の信ぴょう性があるのかわかりませんが。


元始天尊(げんしてんそん)照覧(しょうらん)あれ! 雲龍大八(うんりゅうだいはち)式! 雲龍三現(うんりゅうさんげん)!」


「雲龍大八式! 雲龍行功(うんりゅうぎょうこう)!」


「雲龍大八式! 龍昇九天(りゅうしょうくてん)!」


 ……偽の情報だとすればあまりにも哀れでございますが、計画遂行のためですから放っておいても良いでしょう。

 既に新崑崙派は動きましたが、我らポタラ宮と金蝉寺の戦力は未だに隠れて戦況を観察しております。

 ここからはそれぞれの部隊に分かれ計画を遂行せねばなりません。


『宝傘上師、蓮華上師、ゆくぞ。皆も行動を開始せよ』


 拙僧は勝幢(しょうとう)上師(じょうし)伝音入密(でんおんにゅうみつ)で呼ばれ、蓮華上師とともに移動を開始いたしました。

 我ら三名の役割は、如来の身柄の救出でございます。



伝音入密(でんおんにゅうみつ)


 気を用いた技術の一つ。喉仏と舌の付け根の間にある経穴・廉泉穴(れんせんけつ)を気で震わせることで音を出す。その音は基本的に意図した相手にのみ聞こえ、他者に秘密裏に話すことに適している。短く伝音とも呼ぶこともある。



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