【幼魔館】
◇◆◇ 天魔神教 幼魔館上級洞 七号生徒 日月慶雲 ◇◆◇
「さて、そろそろよかろう」
「……? なにがよろしいのですか?」
「そろそろしゃべり始めても良い、という意味だ」
「…………? いえ、ご歓談中でいらしたのでは?」
「……………………」
そういう意味ではないのだが、第四の壁は容易く触れるものではない。
またしても瞬く間に過ぎさりし三年。
今日はどこかの六公子が『転機』だとか抜かしていた日から、ちょうど三年の月日が経過し、あと九日ほどで潜魔館へと移動することになる。
……いや転機と称したは良いのだが、この幼魔館、入ってみればまともに会話のできる相手がほとんどいなかった。
まあ、考えてみればこれは当然のこと。ほかの子らは皆、小学生にもならぬ身なれば、無茶を申しておるのは本座の方だ。
身近にある参考資料が、本座本人と麻夢蝶という規格外その一とその二であったゆえ、いささか呆けておったようだ。
「いろいろと思うところあってな」
「はぁ、何かお気に障るようなことでもございましたでしょうか? 我が君」
もちろん、ライフスタイルがガラリと変わったという意味では、あの言葉に間違いがあったというわけでは無い。
ないのだが、もっとこう血沸き肉躍るとまではいかないまでも、日々降りかかる試練と脱落の危機、そんな物騒な日々が始まることを想像していたのは間違いない。
ここ幼魔館では、下級洞で千字文の習得と基礎心法である魔泉心法を学び、中級洞から上級洞にかけて天魔神教の教理・歴史・律法の教育が追加される。また、すべての洞を通して肉体鍛錬が存在するが、その鍛錬強度は本座の体験したあの焔刀地獄とは比べ物にならぬほどの軽いものだ。
「……ふぅ、なにもない。なにもないが我が君はよせ。神教の主は天魔であり、本座は唯の七光りよ。若様、あるいは公子様だ。七号生徒でもよい」
「何を仰せられます我が君。我ら臣下の身でございますれば、そのようなこと出来ようはずがございません。この幼魔館上級洞に在籍する1426名、我が君から頂いた御恩に応えようと忠義に励む者ばかりでございます」
「ハハッ、世辞がうまいな、百八号」
「お褒め頂きましたところ恐縮ではございますが、これは世辞ではございません。我が君よりご教授頂きました【玄魔養生功】は、現実的に見て素晴らしい功法でございます。自らの武骨の格を上げる心法など、他に類を見ない神功絶学と言えましょう。我ら臣下が、我が君を我が君と敬うのも、その御恩への奉公にございます」
「……そうか。だが、本座は天魔の末子よ。後継者争いという意味では最下位からの始まりと言っても過言ではない。家門の存続を第一に考える者もいよう。これから先、皆の忠義がそのままの筋を通すとは限らぬのではないか?」
実際、この問題は本座が特に検討したことだ。
本座の勢力を作るのであれば、その戦力の底上げは必須。そのための土台として武骨自体を鍛える【玄魔養生功】はまさにうってつけであり、この功法を勢力形成の材料とすることに躊躇うことは無かった。
同時に、裏切り・離反による情報漏洩で本座とその勢力が被害を受けることは避けるため、功法を段階ごとに分割して伝授するなどの対策も忘れておらぬ。
その上でこの対策の問題点を挙げるならば、裏切り・離反自体を直接的に制限する効果はなく、せいぜい多少のけん制程度にしかならないということであろう。
「恩を忘れる者は人にあらず、ただの畜生にございます。さればその畜生の命は、一罰百戒の範を示すため、我が君に捧げられたものかと」
「……そうか。もしそのような時が来たならば、罰と同時に賞も与えねばな」
「ご賢察、恐れ入ります。信賞必罰は世の常。我が君が明確なる規律を持って、賞罰を下賜されるのであれば、皆もより一層忠義に励みましょう」
「ふむ……」
……なんでこんな話を始めたのだったかな?
……あと本座は我が君という呼び方を辞めろと言ったと思うのだが?
またぞろ言いくるめられたか。どうにもこいつは忠義が強すぎる割にこちらの話を聞かぬところがある。
親子で本座に仕えている身なれば、その忠誠心に疑いはないのだが……。
ああ、この百八号生徒の本名は、白刻影。
日月宮の侍女頭である【飛刀月影】白華憐の一人息子だ。
もっとも、今のこやつにはその記憶はないぞ。封印されておるからな。
◇◆◇
ここで改めて、幼魔館と潜魔館について簡単に説明しておこう。
この二つの館は天魔神教の教育機関だ。
幼魔館は潜魔館のための下積みと言える場所であるが、潜魔館は当然のごとく平凡な教育機関ではない。
その実態は、生きて出られるものは一握りと称された死者率九割の【潜魔洞】という修練場が前身となっているような過酷な場所である。
現在の潜魔館は教育内容の改良と錬丹術の進化により、排出される人材の質と量を増加させたうえで、死者数や致命的な障害を負う者は大幅に減少したそうだが、それでも例年において死者率が一割を切ることは無いという。
この二つの館は神教の領域全土の子供が対象となり、九陰絶脈などの特殊な例でもない限り、すべてを免除されることはあり得ない。
一応、家門で十分な教育が成されると認められた時は、潜魔館からの入館が認められているが、天魔の御子はこの例外に含まれず、結果すべての子供が五歳から、あるいは八歳から十三歳まで親元を離れて鍛えられることになる。
先ほど、白刻影の記憶が封印されていると言ったが、それはそういうことだ。
この二つの館で求められるのは、家門や血筋によらぬ己の力。
その力量のみを評価するため、家門を示す名と血筋を示す身分に関する記憶を封じられ、番号でのみ呼称されることになる。
……ん? ああ、本座にはほら、【三頭千魔】の【冷徹無欠】があるし、【理智海賢神功】による魂魄の強化も効いておるようでな、この館に仕掛けられている三つの禁制、洗脳・術法・呪法どれも効かぬ。
◇◆◇
「しかし、時が過ぎるのは早いな、百八号。本座は昨日この上級洞に入ったばかりのような気がしてならんぞ」
むしろ、昨日幼魔館に入った気さえする。
こやつらがまともな会話もできなかった日々は、そのストレスで一日が三十時間とも思えたものだが、心法の修練と共にこやつらの自意識の確立が進むと日々の巡りも共に加速した。気づけばあと数日だ。
「あと数日もすれば潜魔館に移ることになる。皆に与えた課題の進捗はどうだ?」
「はい、まず魔泉心法の成就でございますが、四成が95名、他1331名は三成にあります。もっとも、あと数日もあれば四成に達する見込みの者もおりますので、幼魔館を四成で終了する者は、おおよそ100人と言ったところかと。次に玄魔養生功ですが、……申し訳ございません、我ら臣下の資質が足りないばかりに、ひと月前のご報告から進展がございません。八成が2人、後の1424名は六成のままでございます」
「そうか、魔泉心法の進捗は悪くないな。玄魔養生功については仕方がないか、おそらくだが皆、武骨の壁を迎えたのであろう。何らかの奇縁があればその限りではないと思うのだが……、まあ、こちらは本座が検討しよう」
実際、その進捗は悪くない。
聞くところによれば、例年であれば二成がほとんどで、三成で優秀と評価され、四成の成就を成したものは天才と称されるほどなのだ。
優秀な武骨を持つ高位層の子女たちは、潜魔館からの編入であるため、この幼魔館の歴史の中で四成で卒業するような才能のある者は、そのほとんどが天魔の血統であり、今回の四成が約100名というのはその歴史を覆すものと言っても過言ではない。
おそらく、玄魔養生功により武骨の格が底上げされたこともさることながら、玄魔養生功の効果である潜在能力向上と穴道打通も大きな要因と思われる。そうでもなければこれ程の成果は有り得ん。なかなか嬉しい誤算だ。
この幼魔館は、潜魔館と比べると競争の要素はだいぶ低いのだが、それでも関門とそれに対する褒賞が用意されている。
今回の場合であれば、卒業時の魔泉心法の境地により褒賞が与えられ、当然だがより上の境地を達成するほど褒賞の格は上がる。できる限り多くの者を四成まで引き上げるに越したことは無い。
「魔泉心法についてだが、後ほど本座が得た解釈について講義する場を設けるとしよう。皆にも何か得ることがあるかもしれぬ」
「ありがたき幸せ。我が君のお心遣い、皆に代わって御礼申し上げます」
「ああ……いやだからせめて若君な」
一方で、玄魔養生功の方は少し手に余る。
魔泉心法は本座の講義によりわずかな悟りを得られる者もおるやもしれぬが、玄魔養生功の方は武骨進化の限界だ。
本座が長きにわたり、Cランクの優良之体で留まっていたように、あの状態から一人でできることは何もなく、何らかの奇縁を待つしかない。
玄魔養生功が七成に達するにはBランクの武骨が必要であり、九成に達するにはAランクの武骨が必要なのだ。
……うむ、やはりこの方法が最も手っ取り早いか。
本座は【蓬莱商店】を開いた。
〇【洗髄丹】
<分類>:丹薬
<ランク>:特級
<概要>:身体の奥深くまで洗い流し、毒素や不純物を排出させ武骨を若干強化する。極稀に潜在体質・潜在血脈・潜在天賦の開花を引き起こす。
<効果>:【武骨強化(弱)】【潜在開花(確率・微)】
<価格>:10P
これは【蓬莱商店】に売られる丹薬の一種、【洗髄丹】である。
……この商品は、【蓬莱商店】でこれ見よがしに、『おすすめ!』と紹介されており、『今なら1424個一括購入で10000Pぽっきり!』との宣伝文句も表示されているような、今一押しの商品であるらしい。
この1424個というのは、現在武骨の進化限界を迎え、玄魔養生功が六成で止まっている者たちの数と同じであることは言うまでもない。
となると、好意的に解釈して、これは本座が頭を悩ませている問題に対して、システムが解決の道筋を提示してくれたとみてよいのだろうか?
……ただ、この宣伝文句のせいか、どうにも舐められておるような気がしてならんよな。特に、本座が武骨の限界を迎えた時はこのようなことは無かったのだがどういうことだ?
まあ、よいか。
過ぎたことを言っても仕方がないというものだ。
玄魔養生功八成で頭打ちになった残りの二人には【洗髄丹】の上位の丹薬【洗髄高丹】を与えればよかろう。
〇【洗髄高丹】
<分類>:丹薬
<ランク>:希少級
<概要>:身体の奥深くまで洗い流し、毒素や不純物を排出させ武骨をそれなりに強化する。稀に潜在体質・潜在血脈・潜在天賦の開花を引き起こす。
<効果>:【武骨強化(中)】【潜在開花(確率・弱)】
<価格>:100P
……む、100Pか。これがあれば武骨をBランクからAランクへと進化させることができようが、いささか高価だな。
二人分であれば問題はないが、皆の武骨が限界を迎えるたびに、本座が購入するようでは話にならぬし、今後のことを思えば、次の段階に必要な丹薬の価格は十倍上がりの1000Pということも十分考えられる。少なくとも安くなるようなことはあるまい、最低数倍であろうな。
これは、【蓬莱商店】に頼らぬ丹薬の供給源を探したほうがよいだろう。潜魔館にそのような場所があるのかは知らぬが。あるいはこのシステムが、いっそ皆にも【試練】を適用してくれれば話は早いのだがな。まあ、これも新しい課題だな。
とりあえず、今後の課題は残る結果とはなったが、現状の臣下の問題は目途が立ったと考えてよかろう。
……そう、臣下の、である。
実は今、本座は一つの問題を抱えておるのだ。
「百八号(白刻影)よ」
「はっ」
「本座の魔泉心法はすでに五成に到達した」
「はっ、お祝い申し上げます」
「うむ。だが、本座の今の境地は一流のままだ」
「……我らがこの幼魔館で学んだ魔泉心法は、五成までしか記されておりませんが、それでも絶頂武功。五成に至れば絶頂の境地に達するのが道理と言えましょう」
「左様、その通りである」
つまり、そういうことだ。
本座の玄魔養生功は十成、魔泉心法は五成の境地にある。
にもかかわらず、境地の壁を越えることができぬ。
いったい何故であろうか?
リザルト
混元値 650(前回)
日々修練(3年分)+21920
計 +21900
丹薬購入-10200
計 -10200
混元値 12370