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霧の中

作者: 灰庭 太郎

 私は霧の中を歩いている。辺りはすべて靄に包まれており、少しの先も見通すことはできない。

 視界はまるで機能していない。どちらに、どこに進めばいいのかさえ分からない。あるいは進むべきなのか、止まるべきなのか。もしかしたら歩いているというのは私の錯覚で、一歩もその場から動いていないんじゃないかという気さえしてくる。もっと悪いことに堂々巡りをしている可能性すらあった。同じところをぐるぐると、延々と回り続けているだけなのかもしれないかった。

 一体いつからこうしていたのだろうか、始まりを思い出すことはできない。ふと後ろを振り返ってみても、一瞬今まで歩いてきた道が走馬灯のように映るだけで、またすぐ靄に包まれてしまった。どれぐらいこうしているのだろうか。あとどれぐらいこうしているのだろうか。はっきりとしたことはなにも分からなかった。

 それでも私は歩き続けることにした。時々座って休みながら、それでも自分が前だと思う方向へと歩き続けることにした。なぜだろうか。ただ不安だったのかもしれない。そのままでいることが嫌なだけだったのかもしれない。あるいは単純に、座り心地が良くなかっただけなのかもしれない。もしくは、自分の直感というものを信じてみたくなったのかもしれない。理由はたくさんある。それと同じくらい、衝動的な行動なようにも思える。

 しかしなんであれ、私は事実として歩き続けてしまった。先が何も見えなくとも、周りに何一つ見えなかったとしても、歩き続けていたという事実は確かだった。いや、動いているのが錯覚だ、という可能性を残すのであれば、あるいは私が感覚としてそう思っているだけなのかもしれないが、しかしそう思っているのは間違いない事実だ。私は歩いている。歩き続けている。この不確かな景色の中で、それだけが唯一信じられる事だった。


 ふと、どこからか音が聞こえてきた。いままで聞こえていたのは自分の足音ぐらいのものだったから、その音はずいぶんと新鮮に感じられた。

 ざっ、ざっ、ざっ。

 それはよく聞けば地面をシャベルか何かで掘り返している音のようだった。私はその音のほうへと歩き続けた。そうして、自分以外の人間を見つけた。歩き続けてどれぐらいかは分からないけれど、はじめて自分以外の生物に出会った。私はその人のほうを見て、すこしだけ驚いた。自分以外にも人間がいる、ことにではない。その人が地面に大きな穴を掘っていたからだ。

「何をしているんです?」と、私はその人に尋ねた。

「見てわかるでしょう。穴を掘っているんですよ。」と、その人はぶっきらぼうに答えた。

「こんな霧の中で?」

「ええ、こんな霧の中ですから。」と、その人は当然であるように答えた。

「あなたこそ、何をしているんです?」

「私、ですか。私は、歩いています。」

「こんな霧の中で?」

「ええ、こんな霧の中ですから。」

「あなた、変わってますね。」

「そうでしょうか。」

「そうですよ。少なくとも、私はこんな霧の中を歩き回ろうだなんて考えつきませんでした。」

「それぐらいしか、できなかったもので。」

「なるほど。そういわれてみれば、私もそうかもしれません。」

 そういって、その人はまた穴を掘り始めた。もう、こちらのことは気にしていないようだった。

「さようなら。」

 私はそう言ってまた歩き始める。あの人はなぜ穴を掘っているのだろうか。何のために、あんなことをしているのだろうか。そんな疑問が頭の中をめぐっている。しかし、そんなことは考えても分からない。聞いてみても良かったかもしれない。しかし、あの人が私が納得できるような答えを持っているとは思えなかった。私は浮かんでは消える疑問を振り払うように歩き続ける。穴を掘る音から遠ざかるように。

 

 しばらく歩いていると、今度は奇妙な生物にであった。人間と同じぐらいの大きさだが、体が中心から上側に向かって二股に分かれている。分かれたその先は体の外側に向かって触覚のような物を生やしていて、さらに先端に何本かの小さい触覚があるのが見えた。中心は四角い胴体のような物があり、その下側は2本の短い足が生えている。そしてその足の間には人間の頭大のコブのようなものがあって...。

 と、ここまで見て、ようやく私はそれが上下が逆になった人間だということに気が付いた。つまりその人は、手を地面につけて、逆立ち状態で歩いていたのだった。よく見ると体中に汗をかいている。顔は、霧に隠れてよく見えないけれど、苦しそうな呼吸音が時々聞こえていた。

「あの。」と、私は、できるだけ相手を驚かせないように、できるだけ相手の集中を乱さないように慎重に声をかけた。

「何をされているんでしょうか?」

 すると、その人はちらと私のほうを見て、歩みを止めた。正確には、手の動きを止めた。

 しばらくそのまま静止したまま、じっと私のほうを見ている。

「あの...?」と、私はすこし困惑しながら再び声をかける。

 と、その人は突然その場で飛び上がった。驚くべきことに腕をばねにして飛び上がったのだ。私があっけにとられて見つめているのを横目に、その人はそのまま空中で半回転したのち、すたっと華麗な着地を決めた。そして、私の方を見てこう言った。

「そっか。逆立ちじゃなくて、普通に歩いてもよかったんですね。」

「...はい?」

「気づかせてくれて、ありがとうございました。」と、その人は一方的に感謝の言葉を述べ、そのまま背筋を伸ばした姿勢で走り去ってしまった。私はしばらく呆然としてその場に立ち尽くしていたが、こうしていても仕方がないと思い、また歩き始めることにした。

 私には逆立ちじゃないと動けないと思ってしまう状況が想像できなかったけれど、そしてあの人がどんな人物なのかよくわからなかったけれど、感謝されたということは、私はきっといいことをしたのだろう。私は、とりあえずそう思うことにした。


 私は、歩き続けた。ふと、先ほど会った人々と自分を比べてみる。そうしてみると案外、歩き続けているという行為は、当たり前のようで意外と自分しかやっていない事なのかもしれない、と私は思った。あるいは、出会った人々がおかしかっただけなのだろうか。いや、あの人たちからすれば私がおかしいのであって-。

 まぁ、いい。私は周りを見回す。相変わらず周りは霧に包まれて何も見えない。音も聞こえない。少なくとも、穴を掘っている人はいないようだ。私は、しばらくここで休むことにした。地面に横になり、腕を枕にして目を閉じる。

 いつものように、次に目を開けたとき、霧が消えていますように、と私は祈った。

 あるいは。

 この先も、あんな人たちと出会うのだとすれば。

 意外と霧の中で歩くのも悪くないのかもしれない、と、私は思った。

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