206の境目さん
あらすじ
東京の街外れ、十字路を左に折れた先に『ネコネコアパート』は静かに佇んでいる。
管理人室では、猫見という名の管理人、ご隠居と呼ばれる怪老人、妖しい女、家廊
が暮らしている。ちょっと不思議で、でも気のいい三人を巻き込んで
起こる住人たちの悩み事!
少しの悩みも、果ては殺人事件まで三人が解決!
「全く、前々から言っておったが剣呑な世じゃ」
家廊の持った「日刊 座敷童子 新聞」を覗き込んだご隠居が呟いた。
「ミャア、どうしたんですかご隠居?」
「このアパート付近で空き巣が出没しておるらしい。
バレない程度の小金を盗みとり、盗まれた本人も気づかないほどなんだとか」
「ま、大変なこと。人間共も忙しないわね」
と家廊は首を振る。窓の外は世の治安の悪さを現すかのように、
真に天気の悪い日であったので、いつ天気が崩れるとも分からなかった。
なので猫見は降らない内にご隠居が贔屓にしている「満月堂」へ行くことにした。
「じゃあ、行ってきますよ!」元気にドアを開けて、
外に出た時、見覚えのある車が停車していた。
窓がウィーンと下に下がり、人の良さそうな顔が覗いた。
「旦那、どこかへお行きのようですね。あっしが乗せていきましょうか?」
快くその誘いを受けた猫見は、車内で首を傾げた。
「運転手さん、どうして私が出かけると分かったんですか?」
「いや、あっしの馴染みに「悟り」がいるんですよ」
と運転手は喋り始めた。
なんでも、運転手の知り合いに「未来を予知できる」者がいるのだという。
「そいつはあっしらに情報をくれるんですわ」
「ミャア、道理で私の外出が分かったんですね」
「そういうことでさあ。あっしとは馴染みの小悪党で、
ちょいと後ろ暗い商売も…いや、これ以上は喋れません」
運転手は、狸顔で誤魔化すように笑った。
そのうちに、心地良い、砂糖菓子のかおりが漂ってきた。
「おや、着きました。旦那、毎度あり」
「…そういえば運転手さんは、なんで「旦那」ってつけるんですか?」
「あっしは江戸の頃からそう呼んできたもんで。
男女、老いも若きもみんな引っくるめて「旦那」ですよ」
猫見と気の良い運転手は、去り際にそんな会話を交わした。
ふらりと満月堂へ向かった猫見は、
目当ての「栗の渋皮煮」をショーウィンドウから探し当てた。
ついでに甘い物に眼がない猫見は、会計時にしっかりと緑茶とお汁粉を頼んだ。
昔ながらの畳に腰を下ろし、江戸時代に暫し思いを巡らせる。
寸の間意識は江戸時代へと向かっていたが、
お汁粉が冷めると気づき、猫見は嬉しそうに餅を噛み切り始めた。
「ミャア、拙い。もうこんな時間」最後の小豆を飲み込み、
沈み始めた夕日を見ながら猫見は慌てて立ち上がった。
仄かな光に照らされたタクシー待場に停車していたのは、
今度はあの狸運転手ではなく、「のっぺらタクシー」だった。
ガタン、ガタンと時折揺られて数分経ち、
仏頂面をしたのっぺらぼうの運転手に見送られて
(いや、そもそも目鼻口がないから表情の変えようがないが)
私は管理人室へ帰宅した。
「猫見、大変じゃ!206の境目さんの家に、今朝の新聞に載っていた
空き巣が入り込んだぞ!」
ご隠居の知らせを聞き、猫見は慌てて立ち上がった。
一階あたりで停止しているエレベーターに苛立ちを感じながらも、
急いで回数ボタンを押し、乗る。
そして何処から湧いて出たのか、ご隠居と家廊が
エレベーター内に現れた。
「ワシらも気になってのう」「ちょっと見て見たいし」
ご隠居も家廊も結局は野次馬だった。
チンと子気味良い音が響き、扉が音も無く開いた。
急ぎ206へ向かうと、既に同じ階の住民たちが集まっていた。
「ミャア、ちょいと通してくださいな」
馴染みの住民たちの隙間を通り、やっとの事で
猫見たちは部屋の中へ入った。
「や、猫見さん大変です!うん、ご察しの通り
水晶の欠片が散りばめられた小箱がやられたんですよ」
小さな会社で中間管理職をやっているという
三十代女性の境目さんは、『ネコネコアパート』で
慎ましい生活を送っている。
朝昼晩としっかり食事を取り、楽しみは読書で、
唯一の贅沢は、友人から大学の卒業祝いに貰った
ダイヤモンドの小箱を眺めることだったという。
それを盗まれた境目さんは大層御心痛の様子だった。
せめて代用にでもと、猫見はガラスの箱を買いに行くことにし、
外へ向かった。
で、外に出た途端あの狸運転手がやってきた。
「やあ、旦那。いま「悟り」から連絡がありましてね。
猫見さんが出かけると」
相変わらず結構な予言能力だと笑いながら、
猫見はいい加減慣れてきた座席に座る。
「悟りとはね、江戸時代からの馴染みでして。
でもって良い情報が入ると、耳につけたイヤホンから連絡が」
「ミャア、いい友人をお持ちですね〜」
「いやいや、猫見さんもそのお優しい性格だと
友人もたくさんいらっしゃるでしょう?」
「ミャア、いやはやお陰様で」
そこで店へ着き、狸運転手は帽子を取って挨拶した。
「幸運を祈ってますよお」
チリンチリンと銀鈴の音が鳴り、紅いドアが開いた。
「ええっと、ガラス箱、ガラス箱」
隣で純銀の箱を選んでいた紳士が、「こりゃあ素晴らしい」と呟いた。
綺麗なベージュ色の紙箱に包んでもらい、
猫見は嬉しそうに箱を抱えて外に出た。
そしてまた案の定タクシーが停車していて、
猫見が乗り込んだ途端に運転手は喋り始めた。
「ハハッ、それにしても剣呑な世ですねえ。
この近所の空き巣も、あっしらと同類のようですよ」
俄然、勢いづいた猫見は運転席へ身を乗り出した。
「運転手さん、それは誰から聞いたんですか!?」
「そりゃあ、もちろん悟りからですよ」
「詳しい情報を教えてください、運転手さん!」
「猫見さんとはもう馴染みになったんでね。
いつまでも「運転手さん」じゃ野暮だから、
あっしの名前、狸元 半兵衛 の半兵衛で良いですよ」
「じゃあ、半兵衛さん。改めて詳しい情報をお聞かせ願いますか」
「ええ、良いですよ。悟りはね、犯人は「猿神 幸希」という
男だと断言しましたよ、ええ」
「ミャア、なるほど、そいつはタチが悪いですね…
ただの泥棒ってだけでも厄介なのに、まさか同類とは」
「やはり猿だからでしょうか、見た目は紳士なのに
夜になると盗みを働くんで」
「やれ、人とは違う者の宿命ですね。…ってこの話は前にしましたか」
「ハハッ、ですね。確か 土蜘蛛用品店の帰りに」
「ミャア、お恥ずかしい。ところで、何の話をしてたんでしたっけ」
「悟りの情報話ですよ」「あ、そうでした。次、猿神は何処へ?」
「次は209に入るそうです」「半兵衛さん、法定速度破っても良いから
飛ばしてください!」「あい分かりました。猫見さんの頼みなら」
ギュギャンとエンジンが唸り、半兵衛は一応安全に気をつけながらも
時速60kmで走り始めた。
あっという間に『ネコネコアパート』につき、
急ぎ料金を払い猫見は管理人室へ駆け込んだ。
「なんと…ワシらの同類か。猿とはこりゃあまたタチが悪い」
緑茶を呑気に啜ったご隠居が話し始めた。
「まだ犬の方が上品だわ。よく犬猿の仲なんて言うけれど」
今日は中々に冴えている家廊が上手いこと言った。
「今日は209に入るそうなので、厳戒態勢に」
コクリと二人が頷いた。
ご隠居:最近妙に捕物が増えている