7 邂逅
藤宮家に居候してはや二年。今年の冬は、ちょっとだけ違った。妖魔の増加が無視できないレベルに達したとして、臨時総会を陰陽連合会館で行うことになったのだ。私は準備に駆り出されて、冬休みということで京都に戻ってきた春にい――春くんから呼び方が進化した――と一緒に会場の掃除をしている。
「綺麗な、青い瞳の男の子、来ないかなあ!」
「いや、だから学校にいなかったって言っただろう? それに明日は大人しか来ないんじゃないか」
「それもそうかあ……」
青い目の男の子はまだ見つかっていない。春にいとは学年が違うんじゃないかと思うんだよね……。チラッと、ここのところぐんぐんと熊化している春にいを見る。長期休暇には手合わせしてもらっているけど、もともと勝てなかったのに、最近はさらに差が広くなった気さえする。
まあ、最強は諦めないけどね!! 長距離戦は鬼血の消耗が激しいので、私はもっぱら近接戦を磨いている。
妖魔に憑かれているひとはすぐ見分けられるんだけどなあ……。師匠に言われるから仕方なく訓練しているけど、これはどう役に立つんだろう。
「あ、でも何人かは付いてくるかもな。観光しに。……ほれ、さぼってないで手え動かせ」
ふむ。観光名所にでも張っているべきかな。でも多すぎるからなあ……。半自動的に雑巾を反復させつつ、聞き返す。陰陽師的にホットなスポットってどこだろう?
「へーい。……ねえ、観光するならどこに行くと思う?」
「まさか、待ち伏せするつもりか? 十中八九無駄に終わるぞ?」
手は止めないものの、春にいは呆れたように私を見て眉をひそめた。ひどくない? こっちは恋する乙女よ?
春にいは、軽い溜息を一つ吐いて、それでも眉根をよせて考えてくれている。
「……鞍馬か鴨川かな。鞍馬は、ガキでも天狗の調伏ができるし。あ、お前はできないからな? するなよ? んで、鴨川は京の守りの要だ。境界だから妖魔が湧きやすいが、あそこの守りは見事だし、見るだけでも価値がある」
ああ、鞍馬と鴨川かあ。なんだかんだ行ったことないかも。一考の余地あり。
「まあでも、一番妖魔が湧きやすいのは、この会館だけどな。……っし、こんなもんだろ」
ぴかぴかの廊下を後にして、次は外側の窓掃除に向かう。うーん、待ち伏せ……。普通に観光名所の方がいいかなあ? 帰ったらリサーチしよう。
翌朝。王道の清水寺に行くつもりで準備していた。私の恋する男の子の性格も好みも何もわからない状態で、うだうだと迷っていても仕方がないので、直感で決めた。
お気に入りの柔らかいブラウスに、落ち着いた色合いのチェックのスカート。お母さんから送られてきた、キャラメル色のダッフルコート。鏡の前でちょいちょいと前髪を弄る。
防寒は万全である。化粧品はさすがに持っていない。……う、ちょっと不安になってきた。私、かわいい、のかなあ? 鏡の中の不安そうな私と見つめあう。
まあ、行くしかないよね!! 食堂で朝ごはんを食べたらそのまま行こう。
「おはよう。あら、桃ちゃん準備万端ね」
美紀さんはもう食卓に着いていた。にこにこの笑顔は、いつもよりも楽しそうに見えた。
「はいっ!!」
「ふふ、今日の会合の受付と会場の片付けも期待しているわよ。頑張ってね!」
「え」
美紀さんの言葉に絶望した。そんなこと聞いてない。
「昨日の晩飯で手伝うように言われて、お前ふつうに「はい」って言ってたじゃん」
欠伸をしながら登場した春にいが、呆然と立っていた私に耳打ちした。そうだったっけ???
内心、ブスっとしながらにこにこ――たぶん笑えているはず――挨拶をして参加者の名前を伺い、名簿にチェックしていく。会議後の懇親会の参加費の徴収と領収書管理は春にいがやってくれている。
春にいは、私の受付を済ませた大人たちに軽く挨拶して、領収書を書きこむ時間に合わせて雑談している。すごい、全員の名前を覚えているのかも。私もできるだけ覚えよう。すっごく苦手だけど。
「はーっ、疲れた。流石にお偉方ばっかりだから緊張するなあ……」
「そうなの?」
全員が会場入りしたところで、春にいがぐっと腕と背筋を伸ばして零す。あんまり緊張しているようには見えなかったから、不思議だった。
「お前の目は本当に節穴だよな。名簿に書いてあるだろ? 何々家当主ってさ」
言われて慌てて確認すると、たしかに当主、次期当主、が名簿の役職欄に溢れていた。
「あとで苦労するから、当主の顔くらいは覚えたらどうだ? 副業で会社の役員とかやっている人が多いから、ネットに顔が出ているし」
うわあ、これ、もしかしなくても有名人なのかな? 全然聞いたことない名前ばっかりだけど。ぬう。
「春にい、解説ちょうだい」
全く覚えられる気がしないので、春にいに頼みこむ。すると、「仕方ねえなあ」というボヤキのわりにはノリノリで派閥や統括地区について教えてくれる。
ふふん、この二年で、私も春にいの扱いに慣れたのだ。
「まあ、こんなもんだろ。んー、ちょっと俺、名簿と金を龍弥にいに渡すついでに、飲み物のんでくる。お前も休憩にしていいぞ」
「いってらっしゃい」
春にいが消えたところで、どうやって時間潰そうかなー、と思った時だった。窓に何か青いものが映った気がして、引き寄せられるように見ると、少年がいた。ほのかに光りを帯びたような、青い目の。丁度、通り過ぎるところ。
私は慌てて受付から立ち上がり、彼が消えた裏山の方へ走り出す。
ざわり、ともはや恒例になった悪寒が肌を撫でた。また妖魔!? 私の行く先々で出すぎじゃないかな!?
内心舌打ちして、ポケットからスマホを取り出して春にいと師匠にメッセージを入れる。手早く鬼血を練り、鬼血の消費の少ない黒い短剣を生みだし、研ぎ澄ませた感覚にしたがって発生源の方へ進む。偵察だ。畜生、あの男の子を追いたかったのに。
「えっ!?」
低い茂みを掻き分けて進んだ先には想像の外の光景だった。思わず驚きに声が漏れる。私が追いかけていただろう小型の鬼の姿をした妖魔は、私が見失った少年の胸から伸びた青い触手のようなものに縛り上げられていたのだ。
ずぶずぶと妖魔は、少年の胸に沈んでいく。初めて見たけれど、こういう退魔方法をとる流派もあるのだろう。
少年の姿に僅かな違和感を覚えて、目を凝らす。何かが、変だ。
あっ、全体的に、色が、薄い……? まさか、全身が霊障!? 認識した瞬間、居ても立ってもいられず、私は茂みから叫んだ。
「ねえ! 青い目の君!! 大人の医者に診てもらおう!? 全身が穢れているよ!!」
少年は私の存在に気づくと、さっと身をひるがえして逃げてしまった。なんで!? 彼も退魔師……きっと最高峰の退魔師なんだから、霊障の危険性くらい知っているはずなのに!
「ねえ、まってよ! 名前は! せめて名前を教えてよ!!」
しばらく追いかけたけれど、めっちゃくちゃ足が早い。すぐに見失ってしまった。
荒い息を落ちつけながら、とぼとぼと最初に入ってきた茂みから出ると、師匠と春にいがにこにこで立っていた。条件反射で全身が竦みあがる。怒られるううう。
師匠はお叱りもほどほどに会場に戻っていき、私と春にいも懇親会の準備に戻るべく歩き出した。春にいはなんだか不機嫌そう。夕暮れの濃い影で顔は半分見えないけど。まだ怒り足りないのかな?
幸い、だんまりな春にいはそんなに長く続かなかった。
「で、桃が追いかけていたやつ、妖魔を取り込んでたってことは神道系の流派か、はみ出し者の革新派の系統だろうけど。そいつの顔を覚えられたのか?」
あの子は妖魔を調伏して憑かせるタイプの退魔師なんだ。初めて見た。藤宮は鬼血でダイレクトアタックの人しかいないからなあ。
あの子の情報が上書き保存されたところで一つ頷き、私は質問に答えるべく口を開いた。
「流石に覚え……、覚え……」
自信満々に彼の顔立ちを話そうとして、口が不自然に止まる。やばい、霊障になっていた印象が強すぎて何も覚えてない。
学習能力のなさに自分でも心底呆れて、がっくりと肩が落ちる。ついでにため息も。
「お前、また覚えてないのかよ?」
「うるさい! 追い打ちかけないでよ……!!」
鼻で笑われて、カッと怒鳴りつけてしまう。とうとう、春にいは声をあげて笑い出した。ヒドイ。恥ずかしくって、頬が熱くなる。
「ま、そんだけ覚えていないってことは、幻なんじゃねえの? そうじゃないならお前の目は節穴すぎる」
「なんっ……!? 待て!!」
便利な目を持った私に対するあんまりな言い草に反論しようと思ったら、春にいは馬鹿にしたような目を私に向けてから走り出した。長くのびる影を追いかけて、私も走り出す。
春にいに追いつくのは、いつもの走る訓練から考えて会場になるだろう。なんてことだ、表立って怒れない。ちくしょう、策士め……!
「師匠、私のす……さっき言った霊障の子は見つかりました?」
「いや? 今日は子供は来てないはずだからな。当主たちに通達しただけだ」
「なあんだ、役に立たない」
「お前も名前くらい聞いてくおいてくれれば楽だったのに」
「ぐさっ」
「早く見つけて浄化ないと討伐対象になるから、わりと焦っている」
「師匠、頑張って!!」
来週は更新できるか怪しいです