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5 真夜中の攻防




 夜は寝ると言ったな? あれは嘘だ。……正確には寝ようとは思ったんだけど、寝られなかったんだ。私は悪くない。というわけでれっつSYUGYO(しゅぎょう)


 ゆらめく、少しとろりとした“それ”。肌の裏に(にじ)んでは、胎に戻る。

 もうちょっと。あとほんの少し。それで体外に出る。


 ちょろり、と、とうとう鬼気がへそから垂れた。


 やった! と喜んだのも束の間。

 ぞわり、と夏に相応しくない冷気が足元から這い上がってくる。

 震えながら、顔を、窓の外に向ける。暗闇にもかかわらず浮かび上がる、どす黒い紫の瞳。ぎょろりと、私を捉えた。


「いやああああ!!!」


 認識した瞬間、私は叫んだ。叫びながら、迎撃の構えに入っていた。

 今の私は、初めて妖魔に遭って震えているしかなかった、助けられるのを待つしかなかった私じゃない!

 こちらを窺う瞳は紫。ということは、水と火の属性の妖魔だ。水属性()と相性は悪くない。


 一度出口を見つけた鬼気は、吐く息とともにとろりと手の中で(こご)り、黒い薙刀となる。


 にたあ。

 なんなんだ。妖魔はみんな笑うのか。

 淀んだ光を放つ瞳が、細い三日月の形に歪む。


 馬鹿にされているようで、腹が立つ。ぎり、と歯を食いしばった。

 小さく震える視界も、構えを保てない体も、背筋を伝い落ちる冷汗も、認めたくなかった。

 こんなにも、怖いのか、弱いのか、私は!


 のしかかるような空気の中、妖魔の爪が迫いくる。黒々とした爪は、暗闇の中でも不思議とよく見える。

 柄を構えて受け止めた。鈍い衝撃。連撃、打撃、追撃。転げては避け、避けられず弾く。その繰り返し。

 まだまだ付け焼刃なことが隠せない、稚拙な防戦。ぼろぼろと、薙刀は形を失いはじめていた。

 なぜ、私はもっと早くに薙刀を習わなかったのか。


 弾いては一歩下がる、繰り返していればやがて逃げ場はなくなる。

 髪が切られて、置きさられた。頬の肌は細く直線に開いた。ぴりっと、かすかな痛みが走った。


「はあああ!」


 胎から、鬼気を吐くように、意気を絞るように、薙ぐ。

 簡単に受け止められて、逆にこちらに揺り返される。

 傾ぐ視界に、飛びかかってくる妖魔が映る。まずい。

 目を閉じるな。

 かろうじて残った、腕より短い、握っていた柄を突き出した。

 目を逸らすな。

 ここにあの男の子は来ない。


 眼前に迫る妖魔を必死で睨み――数秒。あるいはもっと短かったかもしれない。

 醜い妖魔は黄色の奔流にとってかわられた。遅れて、断末魔が鼓膜を打つ。

 光はどこから?


「お前、こんな雑魚にも勝てないのか? おい、こっちを見る前に敵を見ろよ、チビ」


 春くんが、厳しい目つきで廊下からこちらに向けて黄色い弓に黄色い矢を番えていた。

 慌てて吹き飛ばされただろう妖魔に目を向ければ、妖魔は闇に溶けかけていた。縋るように空を掻いて、スッと消えた。


「夜に修練はするなと言ったはずだが?」


 師匠の叱責の声と同時に、パッと室内が明るくなる。師匠が部屋の電灯をオンにしたようだ。


「師匠……、すみません……」


「説教はとりあえず後だ。怪我は?」


 説教は嫌だなあ、と首を竦めつつ、薄手のパジャマを見下ろす。

 あれ? 血が出てないどころか、パジャマも破れてさえいない。冷汗でべっとりと濡れて気持ち悪いけど、それだけだ。

 切られたはずの髪も、寝ようとした時と変わりない。布一枚隔てたような、ぼんやりとした痛みはあるのだけど。あ、でもちょっとだけ、傷つけられた記憶のあるところは周りより色が薄いかもしれない。紙のような白さで、大げさなひっかき傷が肌に浮いていた。指でなぞっても滑らかだけど。

 裂かれたはずの頬を撫でながら、首を傾げる。


「……質問を変える、痛みは? 妖魔に触られたり、斬られたか」


「はい、妖魔の爪が掠めたと思います。ここと、ここと、ここ。あんまり痛くはないですけど」


 師匠は一瞬、驚いたように目を見開いて、軽く(かぶり)をふると春くんに命令した。


「治療だな。春、やれ」


「えっ、オレ!? って逃げられないし! 瀧弥兄がやればいいじゃん!」


「やれ」


 いかにも嫌そうな声だ。それなりに傷つくんだけどな。

 春くんは、懐から呪符を取り出し自身の腕に貼りつけると、私を面白くなさそうに睨みつけながら椅子に座らせた。


「【転木(てんもく)(つちのと)】」


 ぼうっとした緑の光に包まれた春くんの手が、私の頭から順に下っていく。妖魔の爪が掠めた頬でしばらく止まり、腕・胴・背・脚でも止まった。玉の汗がびっしりと、春くんの額から浮かび、流れ落ちていく。それを拭うことなく、瞬きすら惜しむように、自らの手に集中しているようだった。心なしか、手を当てられている辺りが熱い。

 一つ一つ、鈍痛は消えていた。ひっかき傷もだんだんと消えていく。おおお!


「っし! どうだ!!」


 春くんは、私の脚まで手をかざし終わると、勢いよく立ち上がった。治療してくれたんだろうな、ということはわかったが、反動で汗が飛んできてだいぶ嫌だった。


「髪は?」


「髪は切らせろよ! 面倒だ!!」


「そうか。じゃあすぐに切って燃やしてこい。桃、おまえは明日にでも師匠……美紀おば……美紀さんに髪を整えてもらえ」


 春くんはこれみよがしに舌打ちし、慣れたように部屋にあったハサミを探し出して私に近づく。動くなよ、と囁いてから、私の長い髪に慎重に刃を入れた。だいぶ嫌なんだけど、言われた言葉には従わざるをえない。


「むう、いいですけど。なんでですか?」


 師匠は、「もう少ししたら教える予定だったが」、と前置いて理由を説明してくれた。


「妖魔に触られたところは霊体――人型の魂みたいなもん――が傷つき、穢れ(ケガレ)になる。それをきっかけに妖魔に乗っ取られるから、傷ついた部分は浄化するか、切り落として燃やす必要があるんだ。ちょっとした傷でも普通は激痛なんだが、おまえは相当鈍いんだろうな」


 (ミソギ)だけでは傷が治らないので、治療できる退魔師に余力があるならすぐに直した方がいいのだとか。髪は一本一本バラバラなため、とっても面倒くさいらしい。なるほど、だから髪を切るのね。髪を切り終わったのか、春くんが長く息を吐いて立ちあがった。

 師匠は何か迷うような素振りをして、結局は私の目を見ながら口を開いた。


「……お前はさっき、霊障――穢れ(ケガレ)の位置を指摘したな?」


 私の髪を呪符に包んでいた春くんが、師匠の言葉にぎょっとして、私を凝視する。その視線に居心地の悪さを感じながら、「はい」と頷いた。


「わかるのか」


「こう、ちょっと薄くなってました」


 師匠はゆっくりと瞼をとじて持ちあげ、私は思わず唾を飲みこんだ。


「桃、お前には才能がある。その、目だ」


「目……」


 そぅっと、自分の目に手を当てた。指の隙間から、師匠の力強い視線が差しこむ。


「その目を活かすなら、退魔師の治癒に特化した方がいい。……んだが、治癒は膨大な鬼血がいる。お前には無理だ。今まで通り、鬼血の消費が少ない戦闘に力を入れる」


「……はい」


 ちくしょう、師匠め。期待させやがって。大きな溜息に、胸のもやもやを託して吐き出す。

 よし、明日からも頑張ろう。


「が、その前に説教だ」


 げえ。



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