3 弟子入り
やってきました、京都!
……の端っこ。京都の蒸しあがる住宅地を、汗を拭いながら私は進んでいた。
一人で来たことも相まって、道を間違えたんじゃないか、GPS機能が狂ったんじゃないかと不安でいっぱいだ。いや、駅から一直線だし、最初に出た出口さえ間違っていなければ大丈夫なはず。
「陰陽連合会館、ここか……」
背後の山から伸びた森に半分隠れた、簡素な木造の建物。
帽子を脱いで、襟元をなんとなく直す。そうっと指を伸ばして、目の前のインターホンを押した。
かちっとボタンを押し込む。
ちょっと緊張してきた。ワンピースの裾で手のひらを拭う。
……どうしよう、誰も出てこない。もう一分くらい経ったよね? 約束の時間も合っているよね?
時計を見、メールを見、間違っていないことを確認する。
よし、もう一度インターホンを押そう。
「どなたでしょうか。……ん、迷子? 珍しい」
からり、と戸の開く軽い音の後、冷やされた空気と共に青年が出てきた。黒いくせ毛から覗く目はひどく眠そうだ。じろりと見下ろされる。
伸ばした指は行方を失くしてふらふらり。
「あ、迷子じゃないです。えっと、鈴鹿桃です。今日は藤宮さんとお約束をしていたのですが」
「ああ、そういえば業務表に書いてあったような。ふうん、子供だったの。ちょっと待ってて」
遠慮のない声と共に、ぴしゃりとまた戸は閉められた。どもっちゃったけど、大丈夫かな。これで門前払いとかだったら辛い。
「ちょっと瀧弥!! ふつう中に通して応接室にいると思うでしょ、お茶くらい出していると思うでしょ! 真夏に外で待たせる馬鹿がどこにいるのよ!!」
「すみません師匠、ここにいます」
押しの強そうな女性の声と、さっきの人の堪えて無さそうな声が聞こえる。ガラッと、勢いよく戸が開いた。
うん、ふくよか。思ったよりも普通のおばさんだ。近所にいてもおかしくない感じの。
「ごめんなさいねえ、桃ちゃん。そのインターホンもこの受付もポンコツなのよ。それにしても暑い中よく来たわね! 夏芽義姉さんから聞いてたけど、一人で来て疲れたでしょう。さ、おいでなさい」
壊れているとわかっているなら直せと思うのは私だけなのかな。
「こんにちは。えっと、お邪魔します」
流石に余計な一言かな、と頭の隅で考えつつ、敷居をまたぐ。ミントを薄めて柔らかくしたような香りが鼻を掠めた。あああ、緊張してきた。弟子になれるのかな。
もらったメールには、才能が確認できれば属性を見る、と書いてあったんだけど。
木の廊下を抜けて、畳にソファという謎の応接室に着く。どうぞ、と言われて革張りのソファに腰を下ろした。……これお高い奴だ。良く沈むなあ!
「改めまして、藤宮家17代当主、藤宮美紀です」
美紀さんはがらりと雰囲気を変えた。何もわからない、窺わせない、得体のしれない、硬質な声。
ひゅうと喉が鳴いた。
「っ、鈴鹿桃です……」
雰囲気に呑まれたまま、なんとか喉を絞る。
美紀さんは、ぱん、と一つ柏手を打った。そしてにんまりと笑う。
「さて、じゃあ桃ちゃんの属性を見ましょうか!」
「えっ?」
せっかく座ったのに、私は勢いよく立ち上がった。だってまず才能の確認でしょう!? その後属性を見るんじゃなかったっけ?
美紀さんの悪戯半分、満足半分、の表情だ。説明してくれるんだろうか。
「ふふん、才能の有無の確認は簡単なのよ。この会館に辿りつけたれば才能有りなの」
「そ、そうなんですか」
「じゃあこれに触ってね」
思ったよりもあっさりと最難関を通過していたことに戸惑う私のことなんて、お構いなし。美紀さんは、五枚の紙切れをテーブルに並べた。それぞれにぐちゃっとした文字が書かれている。
私は、なんとなく、右から二番目の札を手に取った。
「ッ!!」
手に取った瞬間、紙が湿り気を帯びて、ぼろぼろと崩れていく。次第にそれは氷の破片に変化して、空気に溶けた。
「あらあ、水属性ね。しかも特化型かあ」
うんうん、と頷く美紀さん。なんだかすごく嫌な予感がした。
「私は土属性なのよねえ。……、そうね、あの子にもそろそろ指導の経験をさせましょうか」
こんこん、と扉を叩く音のあとに、さっきのお兄さんが入ってきた。手にはお盆がある。オレンジジュースだ。
「あら、瀧弥、グッドタイミング! 貴方、今日から桃ちゃんの師匠ね!」
扉の方に振り返って、美紀さんは良い笑顔で言いきった。
「はあ?」
「えっ!」
私とお兄さんはお互いの顔を見合わせる。眇められた、すごく嫌そうな目だ。面倒くさいって全力で主張している。
「美紀さんが教えてくれるんじゃないんですか?」
僅かな希望にかけて、聞いてみる。こんなにやる気の無さそうな師匠嫌だ。
「そっすよ、属性の違いなんて大したことないじゃないですか!」
お兄さんの声には、ひたすらに億劫という感情がこもっていた。利害は完璧に一致している。
会ったばかりでお互いのことも知らないのに、連帯感を感じるほど。
「あら。藤宮家当主たる私が決めたのだもの。覆るわけないじゃない。……三位・桜野瀧弥、この弟子を持って昇位資格とす。励めよ」
「えええええ! そりゃないですよ師匠!! 俺、弟子を取るならもっと小さい子が良いです、こんな年増じゃなくて!!」
もしやロリコン……? 今、私は十歳なのに、年増判定とは。
真性の変態だとは……、流石に引く。
「確かに貴方や息子たちに比べれば、桃ちゃんは陰陽道を学び始めるのが遅いわ。普通なら四、五歳から始めるものね。教えるのも教わるのも大変だと思うわ」
「初めての弟子にしては荷が重いです。分かっているなら、なぜ」
「鬼衛軍――陰陽師が万年人手不足なのは知っているでしょう。いえ、論文にしている分、瀧弥の方が詳しいわね。人手不足を解消したかったら、桃ちゃんみたいな“ノラ”を見つけて育てるしかない、と言ったのは誰だったかしら?」
美紀さんがにまにまと弾む声とは裏腹に、お兄さんは苦虫を噛み潰したように呻く。たぶんお兄さんが論文で書いたんだな。
「桃ちゃんというケーススタディになってしまうけど、五年……、いや三年である程度、桃ちゃんの技が形にできたなら。そのカリキュラムを使って、鎖国状態の学園にもっと多くの外部生を入れる提案ができると思うわよ?」
当事者の私は置いてけぼりだけど。美紀さんはお兄さんを鍛えるつもりなのだ。私という異物を使って。
「机の上に資料を積んでいたでしょう、大学以降に鬼衛軍に所属した者の経歴や、実践技能。協会から突っ返された新カリキュラムの草案。できるでしょう? むしろ、まっさらなこの子をあなた以上に上手く育てられる人がいるのかしら?」
美紀さんの真剣なまなざしは、お兄さんの目の、その奥を見ていた。
しばらく、淀んだような沈黙があって、お兄さんは乱暴に髪を掻き上げた。
「あー、くそ。やります、やればいいんでしょ」
美紀さんはほっとしたように、目力を緩めた。
お兄さんは太く長く息を吐いて、私に向き直った。黒々とした目は、きちんと私を捉えていた。
「お前、名前は?」
「鈴鹿桃です。えっと、これからよろしくお願いします。……、師匠?」
流石に名前を呼ぶのは憚られて、反応を待つ。これでダメだったら桜野さんになるのだろうか。
「……よし。鍛えるから、覚悟しておけよ」
「はい!!」
本人は気づいていないだろうが、ほんの少し、師匠の目が愉快気に細められた。思ったよりも、上手くやっていけるかもしれない。