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1 青い瞳に恋をした



 目が合った。

 赤い目だ。夕陽の中でも、一等暗い、濃い、充血したような、赤。

 妖魔だ。


「あ、あ、」


 悲鳴のなりそこないが口の端から漏れる。

 空っぽのランドセルの肩のベルトは、握りしめてもたよりなく。

 煮えたぎる目に射すくめられ、ねばつくアスファルトに尻もちをついた。

 お伽噺のように思っていた妖魔は、大きくて、黒くて、醜かった。そして、にぃぃぃ、とそのあるのかも怪しい唇を三日月にした。


 なぜこんな住宅街に、という混乱。

 ぞわ、と肌を這う、妖魔の吐く息。

 干からびた指は、目の前に伸び。


 私、死んだ。


 怖くてギュッと目をつぶる。


「ギャアアアア!」


 空気を引きずる悲鳴は、私のものじゃない。

 そうっと瞼を持ち上げれば、綺麗な黒いランドセルがあった。夕暮れ時でもはっきりわかる、真っ白な制服。有名な鬼衛軍の制服に似ている。

 もう、妖魔の影はない。


「……きみ、無事?」


 高い澄んだ声と共に振り向いた男の子は、綺麗な空色の目をしていた。

 私はその印象的な瞳に見惚れていた。


「なさそうだね。……じゃあ」


「あ、あのっ、ありがとう!」


 年は、たぶんそんなに変わらないのに、すごく大人っぽい彼は、さっさとどこかへ向かって行ってしまった。


「かっこいいな……」


 ぽろりと零れた言葉に、パッと左右の熱くなった頬を押さえた。ああ、私は恋をしたんだ。

 吊り橋効果だ、なんて友達にはからかわれるかもしれないけど、決めた。

 絶対にあの人を振り向かせてみせる!


「そうと決まれば、勉強しなくちゃ。鬼衛軍ってどうやったらなれるのかな……」


 教科書を教室に置いてきたのがすこし悔やまれる。




 息を弾ませ靴を脱ぎすて、背中まである長い髪の毛をくるりとバレッタで留め、さっそくパソコンを立ち上げた。


「あった!」


 鬼衛大学付属中学校。

 妖魔を退治する専門の部隊、鬼衛軍に所属する軍人は大抵この中学を卒業し、付属高校、大学へと進学し、部隊に配属される、らしい。


 制服は今日見たものと同じだった。軍人になれば、肩章という小さなマントが付くようだけど、学生の内はないみたい。


「父さん、母さん、私、鬼衛大学付属中に入る!!」


 めらめらと燃え盛る勢いのまま階段を駆け下り、リビングでくつろいでいた両親に宣言した。


「だめだ。退魔師なんて危ないだろう」


 ソファに沈み込んだ父さんは、新聞から目を逸らさずに言った。

 興味すらないのだ。子供()が思い通りになることを疑っていないんだ。


「なんでそんなこと言うの! 父さんは鬼衛軍の何を知っているのよ、ただの会社員じゃない!」


「あのなあ、会社員だって楽じゃないんだぞ。残業はいっぱいあるし、上司は口うるさいし、ハラハラしながら部下に仕事を任せるんだ。仕事に見合った給料ではないこともある」


「それってどの仕事でも同じでしょ! 母さんも言っていたもの!」


「母さん……」


 父さんは恨めし気に台所で夕飯の支度をしている母さんに目をやった。母さんは気まずそうに父さんの目線を逃れ、蛇口をひねった。ジャーっと水がシンクを叩く。

 母さんも父さんと同じで、私が退魔師になることに反対なんだと、すぐに悟った。


「とにかく。父さんは退魔師なんて反対だ。学校でも習っただろう。妖魔は危ないんだ。私たちは守られているんだよ。お前が危険を冒して戦う必要はない」


 絶対に頷きたくないという父さんの気持ちが透けて見えた。認める気がないから調べもしない。目も合わせない。

 私の気持ちだけでは父さんの拒否シールドを突破できない。

 母さんの視線は父と私を行ったり来たりしていた。それはどちらかと言えば父さんに倣って、私を批難している。

 両親が味方ではない。涙が込み上げてきた。

 ぐらぐらと沸騰する涙が決壊する前に、私は叫んだ。


「危ない、危ない、そう言うなら危ないって証拠を見せてよ! そんなの思い込みでしょ! 学校があるんだもん、危険にならないように勉強できるはずだよ! 決めつける父さんも、賛成してくれない母さんも嫌い!」


 私はリビングを飛び出して、自室に飛びこんだ。

 あふれた涙を乱暴にぬぐって、「ちーん!」と盛大に鼻をかむ。泣き虫ごとティッシュに吸わせてゴミ箱に捨てた。


「見てろ……! 絶対に認めさせてやる。今まで言うことを聞いていたからって、これからも思い通りになるわけじゃないんだから」


 タイムリミットは夕飯に呼ばれるまで。それまでに両親を説得するプレゼンを作らないと。




「桃ー! ご飯よー」


 母さんの、私を呼ぶ声がタイムアップを知らせた。


「……はーい」


 まだ調べ足りないけど、ご飯が冷めると母さんが怒る。しぶしぶネットを切って、調べた情報を整理しながら敵地(リビング)へ向かう。

 準備が足りない。

 でも、いつも親の言うことを聞くいい子だった私がここまでしぶとく調べるだなんて、父さんは思っていないはず。つけいるスキはそこしかない。


 カレー独特のスパイシーな香りが漂っていた。しかし、リビングに被さっているのは重たい緊張感だ。

 唇を少し舐めて、父さんの向かいに座った。父さんは渋そうだ。

 でも逃がすつもりはない。さっそく用意した説得の(たま)を浴びせようとしたとき、母さんに出鼻をくじかれた。


「桃。ご飯がまずくなるから、全部食べた後にしてちょうだい。いただきます」


「……いただきます」


 家の雰囲気を微妙にしたことへの八つ当たりか、今日のカレーはちょっと辛い。


 ぴりぴりした夕食を終えて、父さんを睨みあげる。母さんは父さんに一任するつもりなのか、皿を洗っている。敵が一人減った、と考えていいだろう。

 人生がかかっているのだ。乾いた唇を一度、強く噛む。


「父さん、危ないって反対したよね。ジュンショクリツを調べたけど、0.00001パーセントだよ。しかも付属高校や付属中学の卒業生なら、もっともっと低いんだよ。通った方が断然安全だよ! 消防士さんのジュンショクリツもほぼ0パーセントだったもん。他の仕事と変わらないじゃない!」


「その十万人に一人にお前がならない保証はないんだ。父さんは絶対に認めないからな。可愛い娘が傷つくかもしれないなんて絶対に反対だ」


「なんでよ。なんでその一人に私がなるなんて言うの。私が仕事中に死んじゃうって決めつけるの! 巡回とか、護符を作るとか、地味で大切な仕事だって、いっぱいあるって書いてあったもん! 調べもしないでそんなこと言わないでよ! だいたい、私がかわいいなら夢の一つや二つ、応援してくれたっていいじゃない!!」


「訓練の段階から怪我をする仕事じゃないか!! ……お前にはもっと、安全で安定した仕事についてほしいんだよ。妖魔を退治する方法を学ぶ必要はないし、学んでほしくない」


 父さんは舌を打ち腕を組み、不動の構えだ。ぐっと息が詰まった。

 震えそうになる舌を抑えて、用意していた反論を早口でまくしたてる。


「憲法に書いてあるもん。大人は子供を教育する義務があり、子供は教育を受ける権利があるって! 子どもの権利章典にも、自分の考えを守る権利があるって書いてあったもん! 勉強させてよ!」


「妖魔は危ないんだ。人を憑いては精神を蝕み、力を増していく。人間が最高のエサなんだ。守られた区画から出て立ち向かうなんて、危ないことを進んでしないでくれ。お前は妖魔に遭ったことがないから、退魔師になるなんて言えるんだ」


 父さんの言い分も、私の言い分も、根本は感情論だとお互いにわかっている。このままではずーっと平行線を辿ってしまうだろう。でも、それだけは避けないと。

 どうにかして説得しなければ。働け、私の脳みそ!

 強情な様子を崩さない私に、父さんは苛立ってテーブルを強く叩いた。


「だいたい、お前に退魔師になる才能があるものか! お前は俺の娘だぞ」


「妖魔なら、今日遭ったもん。鬼衛軍の人に助けてもらったもん! すっごくカッコよかった! 才能ならあるもん!! 絶対に!! ちゃんと努力だってするもん!!」


 父さんが何か言いかけた。絶対にそれは言わせてはならないと直感して、私は負けるもんかと叫んでしまった。


「私、絶対に付属中学に入学するんだから!!」


「桃」


 ずっと沈黙を守っていた母さんがこちらを見ていた。じっとりと汗が握った手の中に浮く。

 母さんの冷え冷えとした目は、父さんより余程、強大な障害であるように思われた。母さんが参戦すると知って、父さんはホッと息をついた。

 冷汗が私の背筋を伝う。


「母さんは、こんなに真剣な桃を初めて見たから、応援してもいいかなと思っているのよ。でも」


 一旦閉じた母さんの唇から飛び出すだろう次の言葉に、私は身構えた。


「付属中学は、鬼衛大学の卒業生の子供しか入学できないわ。だから高校からにしなさい」


「えっ」


 私の間抜けな声が響いた。


「それと、実技試験もあるみたいだから、そちらも準備しなきゃね。いいわね」


「うん!」


 母さんは何か言いにくそうにちらちらと父を気にしていたが、私は嬉しくって天に手を突き上げた。やったあ!


「ねえ、桃。助けてくれた人の名前はなんていうの? 母さんもお礼がしたいわ」


「わかんない。さっと助けて、さっと帰っちゃったもん。」


 母さんの質問に、すごくカッコよかった! と自慢すると、母さんは目を光らせた。母さんも人の恋愛をほじくるのが好きみたいだ。父さんはむすっとしたままである。まったく大人げない。


「興奮するほどカッコイイの? どんな見た目だった?」


「えっとね、青い目の男の子でね! すっごく綺麗な青い目で……、青い、目、で……」


 自信満々に胸を張って、命の恩人のカッコよさを母さんに伝えようと口を開き、呆然とする。

 空色の瞳以外の特徴を、私はまったく覚えていなかった。


「まあ、桃。それだけしか覚えてないの?」


「いや、絶対カッコよかった! 美少年だった!」


 私が好きになったんだもん、あの人はカッコイイはずだ。……たぶん。

 呆れたような母さんの眼差しが刺さる。

 頭を抱えて、絶叫した。私の恋路、前途多難だ!



消防士

殉職率:H29消防白書によると、H28年の消防職員(常備組織)が16.3万人、消防団員(非常備組織)が85.6万人であり、公務中に亡くなられたのは消防団員で2人である。火災での職員の出動延人員は795万379人、団員の出動延人員は269万8,213人であった。

H23は東日本大震災のため、約200人が亡くなられている。

負傷者率:同じくH29消防白書によると、H28における負傷者数は職員1179人/163000人、団員994人/856000人である。


自衛官

H29防衛白書より、約70年間で、約1900人の殉職者というのはわかった。



 本作品は第三回書き出し祭りにノリと勢いで参加しておりました。

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