8月16日(2)
分割分の後半です。
調子に乗って、予定していなかったものもちょこちょこ盛り込んでしまいました。
でもちょっと楽しかったのでそのまま投稿。
従業員の休憩所のようだった暗い部屋を抜けて、遊園地内部に出る。出入口の扉は内側からは見えにくいように工夫されているようだった。
(どうしよう、見失っちゃった…。)
きょろきょろと見回す。良啓の細長い後姿は何処にも見えなかった。
ふいに、灯里の斜め前にあった建物から物音が聞こえてきた。建物の入り口まで向かう。
(鏡の館…。ものすごく入りたくなくなる名前と雰囲気なんだけど…。)
入口の上部には、掠れておどろおどろしくなった文字で“鏡の館”と書かれていた。建物の外観もまさに西洋風の屋敷、といった様子だが、何となくお化け屋敷のように見えなくもない。
入るのを躊躇っていると、再度内部から物音が聞こえた。
(っ良啓くんを助けるためなんだから、入るっきゃない!)
灯里は決心を鈍らせないために中へと走りこんだ。
中は真っ暗だった。入口付近はまだ辛うじて見えたが、中に光源が全くない。採光窓も無い様子だった。
灯里は仕方なくスマホのライトを点けて前方に掲げる。目に入った眩しさに目を細めた。
鏡の館の内装は、お化け屋敷ではなく完全にミラーハウスだった。
ファンシーな色合いと柄の柱がいくつも立っており、アーチ状になった天井が隣の柱同士を繋げている。
柱と柱の間には鏡やガラスが嵌まっていて、通路は迷路になっているようだった。
(真っ暗な鏡の迷路とか、人を探してる時に心底やめて欲しいんだけど。まぁ、所々鏡が割れてるのがせめてもの救いかな。)
足元に落ちた鏡を踏んで、ジャリっと音を立てる。
(割れたガラスが見えにくいなぁ。気を付けないと。)
慎重に進んでいると、またジャリ、と音が聞こえた。足元を見たが、何も落ちていない。
「! 良啓くん!? 良啓くんだよね? 返事して!!」
だが、それ以降は何も聞こえなくなってしまった。灯里は、良啓がもうここを出てしまった可能性に気が付いて焦る。
館と言うだけあって、迷路の途中には木製の扉もあった。壁に接着されているのか開かない物もあったが、いくつかは開いて通れそうだった。
扉を一つ開けて恐る恐る通る。蝶番が不穏な音を立てた。
(こんな音、あたしが中に入ってからはしてなかった。…良啓くんは最初から入ってなかったってことは無いよね…?)
灯里はだんだんと不安になっていた。焦る気持ちと、徐々に湧き上がる恐怖がせめぎ合って足取りが鈍る。
―――ふふっ
ぴたり、と足が止まった。灯里が立てる硝子を踏む以外の音が聞こえる。
―――― クスクス ふふふ ――――
子供の、小さな笑い声が微かに聞こえる。
手や足先が冷えていく。
灯里は速足で進みだした。
「っ。良啓くんっ。」
少しずつ子供の声がはっきりしてきていた。
――――あははは くすくすくす キャハハハハ ――――
スマホを持つ手が震える。
その時、ガラスの向こう、通路をいくつも挟んだ向こうを良啓が通ったのが見えた。
思わず小走りになる。
スマホを持つのとは逆の手で通路を探りながら、痛む片足を引きずる様に追いかけた。
「よっ良啓くん!!! 待って、お願い! よしひろくっ、ヨシ――」
――――うふふ みぃつけた
背筋を氷が滑って行ったような心地がした。
「やだっ! ヨシくんっ!ヨシくん!!」
涙が頬を流れる。
ほとんど悲鳴に近い声で何度も良啓を呼び、まろびながら走る。
肩や足を何度も鏡にぶつけたが、構わず走った。
袋小路に迷い込み、鏡に真正面からぶつかってようやく立ち止まった。
息を切らしながら鏡に手を当て、鏡に預けるようにしてしまっていた上半身を起こす。
髪が乱れ、怯えた表情で涙を流す蒼白な灯里の顔が鏡に映っているのが目に入った。
すると突然、鏡の中の灯里の目が見開かれた。唇の両端を不自然な程吊り上げて嗤う。
彼女が鏡に伸ばしている青白い右手の指がぬらり、と鏡の中から出てきて、灯里が鏡に当てた左手に指を絡めた。
「っっっいやあああああああああああああああああああ」
左手を力一杯振り解き、袋小路を抜け出た後はがむしゃらに走った。
何度もぶつかっては転び、鏡かガラスをいくつか割ったような気もする。
ようやく目にした淡い外の光に、転がるようにして飛び込んだ。
外に出た途端ガクン、と足の力が抜けてしまい、灯里は雑草だらけの地面に尻もちをついた。
振り返って鏡の館を見上げる。特に変わった様子も、ナニかが追いかけてくる様子もなかった。
最後に聞こえた声を思い出す。
―――くすくすくす ざぁんねん
寒気がして自分の体を抱く。見ると、腕には鳥肌が立っていた。
(たぶん、あの中のに関してはとりあえずは大丈夫…。それより、早くヨシくん見つけないと手遅れになる。)
震える足を叱咤して何とか立ち上がった。
あちこちに痛みを感じ、自分の状態を確認してみると、至るところを小さく切っていた。
(わ、ジーパンすっぱり切れてる! これ他の穿いてたら脚も切ってたよね? あぶなー…)
彼女に握られた左手の甲は、指の形をした紫色の痣になっていた。
(っ大丈夫!大丈夫! ヨシくん見つけてすぐに遊園地出たら大丈夫!!)
自分に言い聞かせて、恐怖で動けなくなる前に足を動かす。
周りを見回して良啓の姿を探した。
(さっきから気になってたんだけど、なんか音楽が聞こえる。)
少し探せば、音の原因はすぐに見つかった。メリーゴーラウンドが一人でに回っていたのだ。
ロマンチックなデザインの天井や柱を縁取るように配置された電球は、夕焼け色に照らされて所々欠けた状態でピカピカ光っていた。
調子の外れた間抜けな音楽に合わせて、可愛らしい装飾をされた馬や二頭立て馬車がくるくる回る。
そのメリーゴーラウンドを眺めるように良啓が立っていた。
灯里も足を止めてメリーゴーラウンドに見入る。懐かしさと寂しさを感じさせるその光景は、素直に綺麗だと思った。
立ち尽くしていた良啓がおもむろに一歩踏み出したことで灯里は我に返った。
(そうだ、綺麗だからって安全な訳じゃないのは観覧車の写真で分かってたはずなのに!)
慌てて良啓を追って走り出す。
良啓が乗降口の階段の手摺りに手を掛けたところで彼を捕まえた。
「ヨシくん!!!」
良啓は驚いた顔で振り返った。灯里を数秒見つめた後、視線を彷徨わせる。自分が何処に居るのか分かっていない様子だった。
「アカリちゃん? ここ――」
良啓が声を発した瞬間、楽し気な音楽が不協和音を発して止まった。同時にメリーゴーラウンドの回転も止まり、突然止められたことに文句を言うように錆びた金属が擦れる嫌な音がする。
思わずメリーゴーラウンドを凝視していた灯里は、よく見たら馬たちの首や足などが所々取れているのに気が付いた。先程は綺麗だと思ったというのに、今はもう不気味だとしか感じられない。
「――ヨシくん、逃げよう!」
良啓の手を掴んで走り出した。家に最も近い、最も安全な出口へ向かう。
最初は戸惑ったように灯里に引っ張られていた良啓は、灯里が失速しだすと前へ出て灯里を引っ張り始めた。
後ろからペタペタ、きゃらきゃらと、追いかけてくる子供の足音と笑い声が聞こえる。灯里は怖くて後ろを確認できなかった。
観覧車の近くまで来た。観覧車はゆっくりと動いている気がする。
横を通った時、ゴンドラを内側から叩くような音が聞こえた。
―――出して ここから 出して たすけて ねぇ そこのあな―――
灯里は聞いていられなくなって空いている方の手で耳を塞ぐ。
行先が分からない様子で減速していた良啓が、前を向いたまま大声で訊ねてきた。
「アカリちゃんっ何処へ行けばいい!?」
「ヨシくん、そこっ!そこのフェンスの穴!」
「分かった!」
良啓の横に並び、耳から手を放して目的の場所を指差した。自分と良啓の足音と呼吸音だけに意識を向けて不穏な音を何一つ拾わないようにする。
這う這うの体でフェンスを潜り、二人で遊園地から脱出した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
フェンスを抜けた後も良啓は灯里の手を引いて走ってくれたが、灯里の体力はもう限界だった。足の痛みも酷く、休憩を必要としていた。
「ごめん…ゼェ、ちょっと、休憩、ゼェ、させて。」
ちょうど見えてきた電車の車両に良啓を引っ張り込み、手を放してから長椅子にドサッと沈み込む。
「ふぅー、いたたたた…。」
怪我をしている方の足を両手で掴み、地面からゆっくりと持ち上げた。最早傷口の辺りだけではなく、足裏全体が痛いような気がする。地面に着ければ痛みが走り、宙に浮かせていれば脈打つように鈍い痛みを訴えてきた。
眉間に皺を寄せて怪我の状態に思案していると、立ったまま黙っていた良啓が灯里の隣に静かに腰を下ろした。
「アカリちゃん。僕の記憶が正しければ、この電車は崩れそうで危ないからって何年か前に撤去されたはずなんだ。」
「え――。」
油断しきっていた灯里には良啓の言葉が理解できなかった。ポカンと口を開いたまま良啓の顔を見上げる。
「――そうよ? 電車も死んでしまったから、私たちが使ってるの。」
全く予期していなかった第三者の声に体が大きく跳ねた。無意識に良啓のシャツを掴む。
バッと振り向くと、二人の正面の長椅子に十歳ほどの少女が座っていた。
「みんなでこれに乗って遊びに来たのよ。今日これに乗って帰るの。二人も一緒に行きましょうよ。」
彼女はにこりと可愛く笑った。
薄い水色のワンピースが風に揺れる。よく見ると、彼女の体は透けていた。
「い、い、いい行かない! あたし帰るから!」
恐怖で震えながらも何とか答えた。
「どうして? みよちゃん寂しかったんでしょう? みよちゃんは大きくなって変わっちゃったみたいだけど、私は今でもみよちゃんの親友だから、ずっと一緒に居るよ?」
少女は可愛らしく小首を傾げた。肩下で切りそろえられた髪がさらさらと肩から落ちる。
「みよちゃん…?」
疑問が口からこぼれ落ちた。
灯里は“みよ”と呼ばれたことはないし、彼女のことも知らない。
(誰かと間違えてる…?)
考え込んで返事をせずにいると、少女は機嫌を良くしたように声のトーンを上げた。
「ね、いいでしょう? 私ずっとみよちゃんも居たら楽しいのになって思ってたの! 昔みたいに一緒に遊びましょ?」
彼女ははしゃいだ様に手足をパタパタ動かす。
慌てて否定しようとしたところで、良啓が割って入った。
「彼女を連れて行かれたら困るよ。僕が唯一普通に話せる都会っぽい女の子なんだから。」
驚いて良啓を見上げた。彼は真面目な顔で真っ直ぐに少女を見ていた。
「それならお兄ちゃんも一緒に行けば問題ないでしょう? ね、決まり!」
少女がぱちん、と可愛らしく両手を合わせる。
このままではいけない、と灯里はとにかく声を上げた。
「だっダメだよ、ヨシくん連れてっちゃ! あ、あの、…そうだ! 店! 田辺商店の店番があるから!!」
言ってから、これは駄目だと思った。もっときちんとした理由が無ければ少女はきっと納得しないだろう。
その予想に反して少女は顎に手を当て、納得したように何度か頷いた。
「そっか、お兄ちゃんはお店継がないといけないんだもんね。忘れてたなぁ。うん、じゃあ仕方ないかな。」
彼女は灯里に目を向け、次いで良啓に視線を移した。
「私はみよちゃんと一緒に居たいんだけど…お兄ちゃんはみよちゃんが居ないと困るの?」
「うん、困るよ。」
「連れて行っちゃだめ…?」
「駄目だよ。」
少女は上目遣いで良啓を見つめていた視線をふっ、と下げた。
「分かった。…みよちゃんももうあんまり寂しくないみたいだし、諦める。」
その寂し気な表情に心を動かされた灯里は、我知らず言葉を発していた。
「分かってくれて、ありがとう。」
すると、少女は灯里に小さく微笑んだ。
「ううん。私はみよちゃんの親友だもん、みよちゃんが寂しくないならいいの。」
彼女は座席からふわりと下り、ドアまで歩いて行った。足元から徐々に透明度が増している。
「じゃあねみよちゃん、お兄ちゃん。さようなら。」
綺麗な笑顔を残して、少女は消えてしまった。
車内に沈黙が落ちた。良啓も何と言って良いか分からないようだった。
立ち上がろうとした灯里に無言で手を差し出した良啓の肩を借り、二人で電車を後にした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◆
結局一言も言葉を交わさないまま町まで下りてきた。
山を出ればもう少女の耳に入ることは無い気がして、灯里は視線を足元に落としたまま口を開いた。
「ヨシくん。」
「ん? 何?」
良啓は前を向いたまま返事をする。
灯里が次の言葉を発するまで少し間が開いた。
「商店、継がなきゃいけないの?」
「…いや、父には継がなくていいって言われてるし、僕も継ぐつもりはないよ。」
良啓が静かな声で答えた。
二人の影が夕日に照らされて、アスファルトに長く伸びている。
「――そうだよね。」
灯里の小さな声は夕闇迫る空に溶けて消えた。
ああ、鏡の館? 良啓は入ってませんよ?
ええ、そして…最終話間に合わねぇぇえ!
〆切りに間に合いそうにありません。どうしよう…