8月15日(2)
ホラー&説明回。
「アカリちゃん。」
聞いたことがないような音量の悲鳴が灯里の口から迸った。
何かに腕を掴まれ、完全にパニックに陥った。半狂乱で腕を振り回しながら叫び続ける。
目からは涙がボロボロこぼれた。
両二の腕を固定され、身動きがほとんど取れなくなってから自分の状況を把握出来るようになった。
「アカリちゃん! アカリちゃん、落ち着いて! 僕が分かる!?」
「――ヨシっ、ひろくん…?」
しゃくりあげながら何とか答えた。
良啓が何故ここに居るのか分からない。喫茶店で目を覚ましてから訳が分からず混乱するばかりだ。
「っ良かった。驚かせて本当にごめん。大丈夫…?」
良啓は二の腕を開放すると、震える灯里の背中を優しく擦った。
恐怖と混乱が徐々に収まり落ち着いてくると、今度は羞恥心が沸き上がってくる。
(絶叫して恥も外聞もなく泣いて暴れて…穴があったら入りたい。)
「も、だいじょぶ。ありがと…。あの、よしひろくんはなんでここに…?」
未だ涙声なのが恥ずかしい。
灯里の言葉を聞いても良啓は背中を擦るの止めなかったが、まだ震えが止まらない灯里には正直ありがたかった。
「実は、昨日アカリちゃんが遊園地の話をしてたのが気になってて。今日は店に来なかったから君の家まで行ってみたんだ。そうしたら君は家に居ないし、スマホも置きっぱなしだって分かって…嫌な予感がしてここに来たんだよ。」
「そうだったんだ…ありがとう。」
「どういたしまして。当たって欲しくない予感が当たっちゃったけど、来てみて良かった。」
良啓が曖昧に微笑む。
灯里は良啓の言葉が引っ掛かっていた。
「ねぇ、ここって何か――。」
何か聞こえた気がして言葉が途中で止まった。そのまま耳を澄ませる。
―――――ィー… ギギッ キィー…
錆びた金属が擦れるような不快な音が確かに聞こえる。思わず良啓の顔を見上げた。
――ギッ キィー… ギギッ キィー…
良啓と視線を交わらせ、互いに音の正体が分からないことを知った。二人で音源を探す。
金属音は徐々に近付いて来ているように思えた。
「っあれ! アカリちゃん、上見て!」
良啓が指差す先にはサイクルモノレールがあった。
一昨日灯里が見た時にはレールに乗り物本体は見当たらなかったはずだが、今は逆光の中一台留まっていた。
(――違う、動いてる!)
耳障りな音と共に前進している。漕いでいる人間が居るのかどうか、赤と青の混じる光の中では見えなかった。
その向かう先のレールは途切れている。
―― ギィー… ギッ キィー… ギギッ キィー… ガギッ ガシャーンッッ
良啓は乗り物が落ちた大きな音で我に返ったように灯里の腕を掴んだ。
「急いでここを出よう!」
まだ呆然としていた灯里は、良啓に引き摺られるようにして駆け出した――。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
祖母の家に辿り着いた時にはすっかり遅くなっていた。
遊園地の辺りは街灯が無く、木々で暗くなった町までの道は足元を良啓のスマホで照らして歩くしかなかった。
更に、遊園地を出た辺りで灯里が靴を履いていないことに気付いた良啓が灯里を負ぶってくれたのだが、普段運動をしない良啓は度々休憩を挟まなければならなかった。灯里は自分で歩くと主張したのだが、足裏を怪我していたために良啓がそれを許さなかった。
良啓から既に連絡を受けていた祖母は玄関で待っていた。
灯里は玄関まで送ってくれた良啓に礼を言い、彼が帰ってから祖母に向き直った。祖母の目が見られない。
「あ、あの、おばあちゃん、ただいま。…遅くなってごめんなさい。」
「お帰り、灯里。とりあえずお風呂に入ってらっしゃい。」
言われて初めて気付いた。明るい場所で見る灯里は埃と泥だらけで、服には緑色の植物の種が付いていた。
(うわっこれはヒドイ。上がり框まで汚してるっ!)
「今すぐ入ってきます!!」
慌てて靴下を脱ぎ、小走りで風呂場に向かった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
風呂から上がり、茶の間に向かうと祖母が待ち構えていた。
「ここに座りなさい。」
叱られた子供のように小さくなって灯里が座ると、祖母は救急箱を取り出して手当てを始める。
(あっ色んな所擦りむいてたから…。)
拍子抜けして肩の力が抜けた。自分でやる事もできるのだが、他人に手当てされるのは久しぶりでくすぐったくも嬉しく感じたので、大人しく手当てを受けることにした。
「遊園地に居たって聞いたけれど。」
気を抜いていたせいで肩がビクリ、と震えてしまった。
「そ、そうなの。だけど今日は行った覚えが無くて…。部屋で寝ちゃった所までは覚えてるんだけど。」
「今日以外であそこに行ったことは?」
痛い所を突かれて一瞬口ごもる。だが心配をかけてしまったのは事実なので、観念して正直に話すことにした。
「じ、実は…一昨日は遊園地に行って中を探検してたの。あの、それで、昨日も気が付いたら遊園地の近くまで行ってて…外周ちょっと見てきた…。」
手当てを続ける祖母の手に視線を落としながらもごもごと答えた。
消毒液が傷に染みて痛い。
「…そう。灯里はあそこに居る子達に気に入られてしまったのね。」
「…え?」
一瞬思考が止まった。祖母が何を言っているのか分からない。
「あの山は昔、口減らしの子供が捨てられる場所でね。それがあってずっと開発されていなかったんだけど、ある時そこに遊園地が造られたの。それがあの“裏野ドリームランド”。」
灯里は裏野ドリームランド、と口の中で反芻した。あの分からなかった一文字目は“裏”だったのだ。
「出来た時はそりゃあ盛り上がったし、お客さんも沢山入った。だけど開園してからたまに、中で子供が居なくなったのよ。自分の子も消えるかもしれないと思ったら、親は子供を連れて行かなくなった。」
思わず唾を飲み込む。祖母が消毒してくれる足裏がピリピリと痛んだ。
「その内、大人も居なくなりだした。その頃にはジェットコースターで事故があった、観覧車から出られなくなる、なんて根も葉もない噂も立っていて、あそこは廃園した。」
祖母は淡々と語りながら足裏の傷にガーゼを当てて、少し大げさに包帯を巻いてくれた。
「廃園してしばらくして、ここは隣の村や町と合併して裏野の地名は無くなった。そうして人が消えた事実は風化していった。だけど何年か経って、廃墟を見に人が来ることがあって。ドリームランドを見に行った人がたまに翌日も行きたがるの。それで再び行った人は、二度と帰って来ない。だからこの町の人たちは誰もあそこに近付かないのよ。」
ぞわり、と怖気が背中を這い上がった。灯里は二度と帰って来られなかったかもしれないのだ、と今更ながらに気付いた。
「私は消えた人たちを連れて行ったのは、あそこに居る口減らしで死んだ子達だと思っているの。だから気に入った灯里が欲しくて、貴女を呼んでいるのだと思うわ。」
祖母の言葉にぞっ、とすると同時に、灯里は複雑な気持ちになった。
「なんで死んでる人に…。生きてる人に必要とされたいのに。」
思わず今まで口には出さなかった本心がこぼれる。
何度も見た不採用の文字や、元彼の顔が目の前をちらつく。だんだんと気分が落ち込んできた。
「…灯里。人間はね、自分へ向けられた気持ちに大きく心が動くものなのよ。だから、必要とされたいと求めるばかりじゃ誰も振り向いてくれないわ。灯里自身が、貴方が必要なんだ、という気持ちを持たないと。」
祖母の言葉にハッとする。
今まで灯里は、相手に自分を必要としてくれることばかり求めてきた。それはつまり、自分のことばかり考えていたのだと言えないだろうか。
急に目の前が開けた。今まで見えなかったモノが、今なら見える気がする。
「手当て終わったわ。遅くなったけど、ご飯にしましょう。」
祖母が広げた道具を片付け、スッと立ち上がった。手早く救急箱を元の位置に戻し、台所へ向かう。
「あっおばあちゃん、手当てありがとう! せめて配膳手伝うよ!」
随分心が軽くなった灯里は、小走りに祖母の後を追いかけた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
自室に戻ったのは日付が変わる少し前だった。
唯でさえ遅かった晩飯の後、初めて祖母と雑談と呼べるものをしたために余計に遅くなってしまったのだ。
昼過ぎに灯里が寝ていた型がそのまま残った布団を、形を整えて畳に敷く。そこに横になろうとして、大事なことを思い出した。
スマホを取り出し、アルバムを呼び出す。一昨日撮った観覧車の写真を画面に表示させた。
(念のため消しとかないと。あんな話聞いたらいくら気に入ってても気持ち悪いしね。)
ごみ箱のマークを選択しようとして、ふと指が止まった。
(――ん?)
気になった部分を拡大してみる。
「ヒッ」
小さな悲鳴が口から洩れた。思わず小さく放り投げてしまったスマホが布団に転がる。
スマホの画面には変わらず拡大された観覧車の写真が表示されている。拡大された下から三番目のゴンドラには、扉に取り付く少女の影が写っていた。
良啓くんはインドア派です。背が高いだけのもやしです。
さて、蝸牛よりも遅い遅筆なので〆切りまでに書き上がるか不安になってきました。
…ガンバリマス。