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アパルトマンへようこそ  作者: あめ
6/9

番外1:赤星 匠




 アルバイトが決まった。

 近所のお花屋さんだ。


 これでようやくあっくんに無職呼ばわりされなくて済むなあ、なんてそんなことを考えながらアパルトマンへ帰ると、こじんまりしたエントランスのところにだれかが立っているのが見えた。

 随分夜も更けているので辺りは暗いけれど、エントランスには照明がある。顔を俯けているそのひとにじっと目を凝らした。

「……あ」

 顔を上げたそのひとと目が合う。このひとは。

「えっと……赤星、さん?」

「あ、こんばんは」

 かるく会釈しながら、ふっと笑った顔に見覚えがある。

 やっぱりそうだ。この間、べろんべろんに酔っぱらったあっくんを連れて帰ってきてくれたひと。

 あっくんがあんなに酔ったところなんて初めて見たから、あの日のことはよく覚えている。

「この前はうちのあっくんがお世話になりました」

「あ、いやいや……あれは一緒に飲んでた俺も悪かったから」

 赤星さんは、あっくんの高校時代の同級生らしい。

 先日十数年ぶりに再会して以来、ずっと誘い続けていた飲みがようやく実現したのが、この間の夜だったそうだ。あっくんはあんまりお酒が強くないから普段そんなに飲まないんだけど、赤星さんはそれを知らずに楽しい気分のまま飲ませまくってしまい、あっくんも断らないものだから、その結果、あの泥酔状態が出来上がったのだという。


 わたしが何故赤星さんを知っているのかと言えば、あの日、今日みたいにエントランスに立ち尽くしていた赤星さんをたまたま見つけたのがわたしだったからだ。

 でろでろに酔っ払ったあっくんから何とか住所を聞き出してアパルトマンに到着したはいいものの、肝心の部屋番号を聞く前に本人が寝てしまったらしい。そこを、偶然コンビニ帰りのわたしが見つけたのだった。

 あのあと、赤星さんと一緒にぐにゃぐにゃしたあっくんを部屋に押し込んでそのまま別れた。翌日、二日酔いのひどいあっくんに文句を言ったら、死んで詫びる、と謝られたのだけれど、顔が土気色をしていたのであんまり冗談に聞こえなかった。

「そういえば、この間はそのまま帰ったんですか?」

「あきらを部屋に入れた後? いや、泊まったよ。勝手にだけど」

「あっくんの部屋に?」

「うん。どうせ次の日は休みだったし、終電もなかったからね」

 そう言われれば、あの壮絶な顔色をしていたあっくんも、赤星さんは朝方帰って行った、というようなことを言っていた気がする。あっくんがあまりにぶっ倒れそうだったので、そっちに気が行って話の内容があまり頭に入っていなかったらしい。


「ところで……紺野さん」

「はい」

「あきらって、まだ帰ってないのかな」

 チャイム押しても出てこなくて、と困ったように赤星さんが言った。

 わたしも今帰ったばかりなのでわからないけれど、電気がついていないならそうなんだろう。あっくんに会いに来たの?と尋ねると、赤星さんはそうだと言って頷いた。

「夕方ごろに同僚と飲んでくるってメールがきてたから、もうそろそろ帰ってくるんじゃないかな」

「そう……」

「連絡はした?」

 聞くと、不自然に間が空く。

 その様子に首を傾げた。なにかわるいことを言っただろうか。

「あいつ、電話出ないんだ」

「え?」

「メールも返さなくて。この間は飲みに付き合ってくれたから、ようやくまた前みたいな付き合いが出来ると思ってたんだけど」

 埒が明かないから直接会いに来た、と笑う赤星さんの顔が、少し苦い。

 一方でわたしは、あのあっくんが、と思う。

 わたしはそんなにメールや電話を多用しないので比較しづらいけれど、あっくんは割とレスポンスが早い方だ。少なくとも、わたしは連絡を無視された覚えはない。

 二人は高校時代友達だったらしいのに、なんでだろう。あっくんはたまに謎だ。

「喧嘩でもしたんですか?」

「いや……そういう覚えはないんだけど」

「そう……」

「あ」

「え?」

 何かを思い出したように赤星さんが声を上げた。そして一瞬考えるようにふっと黙ると、そのまま口を閉じてしまう。あれ?

「……赤星さん?」

「あ、ごめん……俺の勘違いだ。あれはもうあの場で終わった事だし」

 “あれ”。って、一体なんだろう。

 重ねて問おうとしたわたしに、こちらを向いていた赤星さんが再び声を上げた。


「あきら」


 視線がわたしの背後に向かっているので、つられて振り返る。

 薄暗がりのそこには、スーツ姿のあっくんが立っていた。

「……何でいんの」

 今まで聞いたことがないくらい、低い声だった。

 怒っている、というか、苦虫を噛み潰したような、嫌そうな声。でもきっと顔はあの眉を八の字にした可哀想な表情なんだろうと思う。

 赤星さんはわたしの横を通り抜けてあっくんの側へ行くと、少しだけ不機嫌そうに続けた。

「お前、何で全然返事寄越さないんだよ」

「……質問してんのこっちなんだけど」

「電話もメールも返さない、会社帰りも見かけない。このままじゃ話も出来ないから直接会いに来たんだ」

「……話すことなんてないよ」

「お前になくても俺にはある。なあ、何で避けるんだ?」

「おまえこそ、なんでまだ連絡寄越すんだよ」

「また飲もうって言ったろ」

「一回きりだって断っただろ俺は」

「だからなんで……」

「理由は前に言った」

「は?聞いてないよ」

「言ったって。……いいからもう俺に関わんなよ」

「嫌だ」

「……」

「友達だろ、俺ら」

「俺は友達だなんて思ってない」

「あきら」


「大体、友達だと思ってる男に好きだって言われて、なんでおまえそんな平然としてられんの?」


 がつんっ。

 驚きすぎて仰け反ったら壁に頭をぶつけた。痛い。

 その音で二人が振り返る。あっくんと目が合った。

「あ」

 我ながら、頼りない声が出たなあと思う。

「ごめんなさい。わたし引っ込むね」

 慌てて方向転換して階段へさかさか歩き出そうとしたのだけれど、ちらりと、首だけで二人の方を振り返ってみる。

 もう一度、あっくんと目が合った。

「……ごめん。アイ」

 なんで謝るの。

 そんな顔しないで。

「……大丈夫?あっくん」

「へいき」

 気の利いたことのひとつも言えない自分を、こんなに憎らしく思ったことはなかった。





 翌日、共用スペースに現れたあっくんは開口一番にこう言った。

「昨日は煩わしてごめん」

 わたしは必死に首を横に振る。引っ込むタイミングを逃して立ち聞きしてしまったわたしの方が悪い。

「あの……」

「あいつ」

 あっくんはソファーに座っていたわたしの隣に腰を降ろして、ゆっくりと息を吐いた。


「あいつ、俺が高校んときに好きだった相手」


 しんとした声だ。

 いつもの、あっくんの話し方。

「逃げてきたはずなのに、なんでまた会っちゃうんだろうな」

「……逃げてきたの?」

「うん」

「なんで、逃げたの?」

 あっくんは、ただ笑うだけだった。

 答えたくないときに黙るのは癖なんだろうか。名字のときも最終的にはだんまりで、達也さんがいなかったら話さない気だったんだろうなあ、と思う。

「付き合うの?」

 聞くと、吹き出すみたいに破顔した。

「まさか。あいつノンケだもん」

「そうなの?」

「そう」

「そうなんだ……」

「でも、結局友達付き合いは続けることになった」

 また、そうなの?と口にしてしまう。あっくんもやっぱり、そう、と頷く。

 昨日はあんなに嫌がっていたのに、と考えたところで、あっくんの表情に気が付いた。あ、可哀想になってる。

「……いやなんだ。友だちでいるの」

「そりゃあ……こうなるって分かってたから逃げたんだし」

 あいつまじでタチ悪いよ、と呟いたあっくんが、触ったらぼろぼろと崩れてしまいそうで怖かった。

 おそるおそる手を伸ばして、ほっぺたに触る。あたたかい。やわらかい。ちゃんと生きている。

 確かめたら、堪らなくなって、ぎゅうっとしがみついた。あっくんはくすくす笑うだけで取り立てて剥がそうとはしない。こうしてみると、一見したら薄っぺらいあっくんも、男性的な角張った骨格をしているのがわかった。

「ねえ、あっくん」

「うん?」

「どうして、赤星さんを好きになったの?」

 どうして、そんなにつらそうなのに、好きになるの?


「……理由がわかってたら、とっくに好きなのやめてるよ」


 年齢相応に大人びた顔をしたあっくんが、なんだか異次元の存在のように思えた。

 そっか、と頷いた声は、ちゃんと音になっただろうか。


 今さら、というか、改めて、思い知る。

 わたしでは、あなたの痛みをわかってあげられない。







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