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アパルトマンへようこそ  作者: あめ
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202号室:紺野 愛




「あら、随分と荷物が少ないのねえ」


 キャリーケースとボストンバッグが一つずつ。

 そしてトラック1台では余るくらいの、最低限の家具家電がいくつか。

 それだけで済んでしまったわたしの簡素な引っ越しに、大家さんは驚いたように目を丸くした。

「普通はもうちょっとこう、あるもんじゃない? 趣味のものとか」

「とくに趣味、ないので」

「食器類はどうしたの?」

「新しく買い揃えようと思ってます」

「それまでは?」

「……カップラーメン生活?」

「まあ。逞しいわねえ」

 大家さんは片手を頬に添えてけたけたと笑う。その声は、野太い。

「あの、大家さん」

「やん、ママって呼んで」

「………『ママ』?」

「最初に言ったじゃないのお。アタシのことはママって呼んで、って」

 くねり、と体格の良いカラダを捩らせるその姿は、どこからどう見ても男性だった。若干髭も生えている。ちょっとママとは呼びにくい。

 入居前に面談した際には、同じく体格は良いもののもう少し綺麗な女性に見えた気がするのだけれど。

「そりゃあ、あの時はバッチリメイクしてたからねえ」

「どうして今日はしてないんですか?」

「するわよお、これから」

 今日は出勤が遅めなの、と相変わらず野太い声で軽やかに言いながら、大家さんもといママは、わたしのキャリーケースを手に歩き出す。

「とりあえず部屋に案内するわね。まあ前に下見に来たから知ってるでしょうけど」

「はあ」

「あ、奥は共用スペースになってるから好きに使ってちょうだい。備品代は家賃に含まれてるから、コーヒーとかお菓子つまみ放題よお」

 そういえば、以前ここを訪れたときリビングみたいにテレビやらソファーやらが揃うそこに驚いたんだっけ。住んだことはないけど、アパートと言うよりシェアハウスみたいだった。思ったままそう口にすれば、まあ似たようなものね、とママは屈託なく笑う。

 前を行くその背中を見つめた。首は太く、肩幅は広く、それなりに筋肉もついている。男性のカラダだ。けれど、この人は、女性だ。




 このアパルトマンを知ったのは、ネットでだった。

 ──都内のどこかに”マイノリティ”だけを受け入れているアパートがあるらしい。

 そんな噂が囁かれているのを偶然発見し、遂にはそのアパートのホームページなるものまで辿り着いた。


 クリックしたのは、出来心だ。

 実在したそのホームページには、アパルトマンへようこそ、とあっさりした字体で記されており、続いてこんな文章があった。


 『ご自分が”マイノリティ”だと感じられる方は、ご入居してみませんか?』


 その下に、連絡先。

 気が付けば、わたしはそこへメールを打っていた。





「そういえば、ここ、メゾン・ド・タカミっていうんですよね」

「そうよお」

「どうして、ホームページには名前を載せてないの?」

 このアパルトマンの敷地入り口に、メゾン・ド・タカミという名が掲げられていたのを思い出す。

 世の中わたしみたいに勢いで申し込むひとばかりではないだろうから、ホームページにあれだけしか書いていないのは、みんなが不審がって倦厭されてしまうような気がした。商売上がったりにならないのだろうか。

 階段を上がる背中を追いかけながら、二の腕までずり下がったボストンバッグのベルトを肩に掛け直す。

 ママは振り返らずに、またけたけたと笑った。

「そんなの、ホームページにここの名前を載せてたら『ここにいる人たちはみんな何らかのマイノリティですよー』って宣伝してるようなもんじゃないの」

「……あ」

「知られたくない子もいるのよ。だから名前は非公開でやってるの。それに、アイちゃんみたいにネットから申し込んでくる子は珍しいわあ。みんな紹介で来ることが多いから」

 ママがとある部屋の前で立ち止まった。引いていたキャリーケースから手を離して、ガウンのポケットをまさぐっている。

「でも、バラされたりしないんですか? 前ここに住んでたひとにとか」

 ネットなら匿名でいくらでも情報を流せる。ここから出て行った後なら自分がマイノリティだと知られることもないし、やる人間もいそうなものだけれど。

 ママは、ポケットから探り当てたキーを取り出しておもむろにドアに差し込んだ。かちゃん。ロックが開いた音がする。

「だからこその面談よ」

「え?」

「したでしょ、最初に。あの時に「この人なら大丈夫」って思った人だけ、入居してもらうことにしてるの。アタシ、人を見る目は確かなのよ?」

 はあ、と曖昧に頷く。なんともスピリチュアルな判断基準だ。


 すると、不意に隣の部屋のドアが開いた。

 中から若い男性が出てくる。

「あら。あっくん、おはよお」

 正確にはもうこんにちはの時間帯だったけれど、ママが野太い声で朗らかに挨拶した。鍵をかけていた男性が、気だるげにこちらを向く。

「ああ……おはよ、ママ」

 どうやらこの男性はあっくんと言うらしい。

 大学生だろうか。Tシャツにジーンズというラフなスタイルをしている。黒縁の眼鏡が、なんとなく野暮ったい。

 寝癖のひどい頭を掻きながらふとわたしの方を見た視線は、すぐにママへと戻された。

「……なに、新しい人?」

「そうよお。アイちゃんて言うの。お隣さんだから仲良くしてあげてね」

「悪いけど、俺女の子興味ないからパス」


 沈黙。


 ちらりと、ママを窺い見る。

 すると隣に立っていたママは、突然吹き出しながらあっくんに近付きその肩を派手に叩き始めた。

「やあだあ、そんなことは知ってるわよお! シツレイしちゃうわねえもう!」

「痛っ、痛いって! ちょっと!」

「大体あっくんたら、女の子だけじゃなくて大概の人間に興味ないじゃないのお」

「そうだけど……も、だから痛いんだって!」

「やん、大袈裟なんだからっ」

「自分で思ってる以上に力強いんだよママは!」

 バシバシと肩のみならず背中も叩かれて、あっくんは苦笑しながらその手を振り払って逃げた。

 笑っている、ということは、これは単なるじゃれ合いなのだろうか。暴行ではなく。

「分かった、分ーかったから! 冗談だって。……面倒くらい見るよ、できる範囲で」

「まあっ、あっくんならそう言ってくれると思ってたわあ!」

「……俺もママ相手なら結局そう言わされるって思ってたワー」

 がっくりと遠い目をしたあっくんが、こちらへ歩いてくる。

 そしてぬっと差し出された、手のひら。

「よろしく」

「あ、うん、よろしく」

「アイだっけ?」

「あなたは、あっくん?」

「そう。正しくは、ワタヌキアキラ」

「あ。あきらだから、あっくんか」

「うん、まあママしか呼ばないけど。好きなように呼んでいいよ。……出来れば下の名前で」

「どうして?」

「名字嫌いなんだ」

 ぽつんとそれだけ言うと、握手していた手を放す。

 女のひとのように細くてすらっとしている訳ではないけれど、男のひとみたいにゴツゴツもしていない、不思議な手だ。

「あなたは、もしかしてゲイ?」

「……直球で聞いてくるね」

「……ちがった?」

「いや、違わない。ていうか別にバレてもいいからさっきあんなこと言ったんだしさ」

 ただしここの人限定だけど、と笑った顔は、野暮ったい印象よりずっと整っていた。

 それをなんとなくじっと見つめながら、口を開く。


「わたしは、」

「ん?」

「わたしは、たぶん……男のひとでも、女のひとでも、誰も好きになれないタイプの、ひと」


 ママの視線を感じる。

 あっくんも、驚いたようにぱちりとひとつ瞬きをした。


 この告白をしたのは、人生でママに次いで二人目だ。

 入居時に自分がどういうマイノリティなのか説明しなくてはいけなくて、渋々口にしたのが最初。

 けれど、いまは不思議とあまり抵抗を感じなかった。言葉は拙くなったけれど。

 それはたぶん、ここが”マイノリティ”のための空間だから、なのかもしれない。


「そう」

 あっくんが頷いた。

 そして、頭をぽんと叩かれる。

「……あ、俺コンビニ行こうと思ってたんだった。せっかくだから酒とか買ってこようか」

「あらあ、さっすが気が利くわねえあっくん! じゃあちょっと待って、今お小遣いあげるから」

「いいよ自腹で。アイ、ビール飲める?」

「飲めない。甘いのがいい」

「甘いの? ……チューハイとかでいい?」

「許容範囲」

 わたしの返答がツボにはまったのか、小さく吹き出しつつあっくんは了解と告げて階段を下りていく。

 それを見送って、ママは解錠していたドアを開けて中へとキャリーケースを運んでいった。


 ママを追いかけてがらんとした部屋に入ってから、ふと思う。

「……あのひと、お酒飲んでも大丈夫なの?」

「え?」

「大学生っぽかったから。もう成人はしてるのかな」

 するとママは、再びあの野太い声でけたけたと笑ってみせたのだった。

「やあだ、あっくんは来年三十路になる立派なサラリーマンよお」

 なんと。

 わたしより年上だった。


 勘違いしていたことは、黙っておこう。







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