遠き守り 第一話
さらさらと水の流れる音がする。遠くで鳥の澄んだ声が響く。重い心を引き裂くような響きに、私ははっと顔を上げた。
視線を上げれば、目前に広がる川と、穏やかにさざめく木の葉の揺らぎが見える。其処で、私は自分が立ち止まっていこと事に気付いた。
自分は今、帰り道の途中の橋の上で、川を眺めていたようだ。
此処のところ、呆っとすることが多くなった。
おじいちゃんが亡くなってから三日が経った。
未だに心に穴がぽっかりと空いたままだったが、時間の流れのままに登校し、今はその帰りだ。
一人だと、如何しても考えてしまう。
私は一人っ子で、両親も共働き。祖母は物心つく前には他界していた。そんな私は何時もおじいちゃんと遊んでいた。遊んでいた、というか、おじいちゃんのお話を聞かせてもらう、と云ったほうが正しいか。おじいちゃんはかなり変わった人で、この世界には妖怪が居るんだ、と何時も言っていた。小さい頃から言われ続けていたから、私も小学生の頃までは本気で信じていたし、自分も何時か妖怪に出会う日が来るのだろう、と信じていた。それ程、おじいちゃんの妖怪話には現実味があった。そう云った絵巻や資料も沢山あって、私とおじいちゃんはあの、日があまり当たらない書斎で、いろいろ読み漁ってはいろんなお話をした。
おじいちゃんは妖怪に出会ったことがあるの?と、聞いたことがあったっけ。
おじいちゃんは皺だらけで重たそうな頬をゆっくり吊り上げて、そりゃあ、あるよ、と優しい声色で言った。
しかしその優しげな声の中には何か、恐ろしい体験をしたような影が含まれていて、私はゾッと怖くなってそれ以上聞くことはできなかった。
中学生になった今はもう、妖怪が居るなんて思ってない。
唯、おじいちゃんと交わしたあの言葉たちや、おじいちゃんから貰ったあの恐ろしくも未知の知識、其れから、あの時間。其れを馬鹿にすることはできなかった。
私は、おじいちゃんのことが大好きだったから。
ざわざわと風が私の髪を揺らす。
川の下流を眺める。底が見えないほどに濁った水が流れている。流れを辿る。その先の、川の行き着く先を見届けることはできない。鞄につけたストラップ代わりの小さな絵馬がからからと音を立てる。
そこで、私は視界の端で何かが動いていることに気づいた。
小さな河川敷の向こう側には山への入り口がある。山の奥には此の地域の神社があるから、私も年に何回かはおじいちゃんと一緒に登っている。かと云っても人の手が入った山ではないので、木々は好き勝手に枝を広げている。そんな、鬱蒼とした木々の陰から、何か、もやもやしたものが顔を出す。
あれは…なに?
私は橋の欄干に手をついてよく見ようと身を乗り出した。
もやもやしたものはゆっくりと姿を現し、あたりをきょろきょろ見回しているように見えた。
人?
私は最初にそう疑った。もやもやしたものは髪のように見える。そして、体もあるようだ。人型をしたそれを見て、私は心のざわめきが大きくなっていくのを感じる。
人型と思ったのには、理由がある。
少しずつ町に足を踏み入れる其れは、もやもやした髪にぼろぼろの端切れのような服を着て、靴もなにも履いていない、素足だ。人間のような形をしているが、明らかに、大きい。
少し離れていても、其れは人と云うにはあまりにも大きい。多分、二メートル以上は在る。
私は加速し始める鼓動を何とか落ち着かせようとした。
その鼓動は恐怖からでもある。
でも、未知からくるものではない。
知っている、という高揚感。
私はあれを見たことがある。
先ほど心中で思い浮かべていた、日の当たらない書斎。あの書斎の中で見た、古めかしい絵巻。茶色く変色した紙の中に息づく、おじいちゃんが語ったあの、線たち。
ぐだぐだとのたくったような、其れでいてしっかりとこちらを見て離さない、あの不気味でいて何処か可愛らしい、生き物。
「妖怪…!?」
私は思わず声を上げた。
すると、其の声が届くはずもないのに、その生き物が此方を向いた。
目が、合った。
其の妖怪は、鬼だ。
乱れた赤髪に吊り上がった目尻、尖った鼻に、大きな三日月の口から覗く、鋭い牙。
そして何より、決定的な、頭の角。
鬼は此方を向いて其の三日月の口を更に愉快そうに湾曲させて、息を吐いた。
「おんやぁ、目が合うた」
その嗄れた声はまるで耳元で囁かれた様に、はっきりと聞こえた。
その瞬間、恐怖心だけが全身を駆け巡り、弾かれた様に私は走り出していた。
何あれ、なにあれ…!?
駆け巡る恐怖と粟立つ肌。
大混乱した頭を抱えても、私はひたすら走っていた。
角があった…!明らかに人間じゃない…!おじいちゃんの言ってたことは本当だったんだ…!
そう気付いた時、私の心が踊るのを感じた。こんな状況なのに。
もう会えない祖父の面影を感じたのだ。
二度とこの目で見ることのできない、祖父の、あの笑顔。
私は胸がキュッと痛むのを感じながら、それでも走った。
そこで、私は後ろから小さな鳴き声がついてきている事に気付く。
なんか、嫌な予感がする…!
血の気が引いて行くのを感じながら、青ざめた顔で一寸振り返る。
小柄な体躯の子供の様な人型が、ぴょんぴょんと跳ねるように私を追いかけている姿を捉えた。
勿論、その頭には角が見えた。
子分っぽいのが追ってきてるー!!
そう視認し、即座に顔を背け、前だけをひたすら見る。
えっとえっと、おじいちゃん、こういうときどうすれば良いの!?
私は必死に祖父の言葉を思い起こす。
なんだっけ…確か、神社!鳥居をくぐって神社の敷地に入れば、其処から先は入ってこれない、って…!!
私はすぐに曲がり角を曲がった。
細い裏路地を引っかからないように器用に走り抜ける。
此処から一番近い神社…!山の中にある、あの小さい神社…!
息を切らしながらも走って行く。
心躍りながら。
だって、ねえ、聞いて、おじいちゃん。私ね、今妖怪を見たんだよ。
届かない言葉を心の中で呟く。
そう、この言葉はもう、届くことはないのだ。
視界が不意に暗くなる。足元を見れば、砂利道と、あまり整備されていない様子で雑草が生えている。
山の入り口まで来たのだ。
あのとき見た大きな妖怪が、此の山から私を見ていた。
本当は此方は人の道ではないのだが、正面に続く道にはあの妖怪がいるかも知れない。今はとにかく、この先にある神社を目指そう。
私は後ろを見る。
追いかけていた小さい鬼はいないようだ。
私はとりあえず一息ついて、意を決して一歩踏み出す。
本当は、さっきの鬼も、夢だったんじゃないか。なんて、思ったり。
「夢なら、おじいちゃんに会いたい…」
つい、零してしまった。
私は頭を振って、さみしい気持ちを振り落とした。
「今はとにかく、神社に行かなきゃ」
自分に言い聞かせる。
顔を上げると、暮れかけた日が頼りなく道を照らしている。
もうすぐで日が沈む。
山道の湿った匂いが鼻をこする。
不気味な風が木の葉をいたずらに撫でた。
耳に届いた頼りない木々の声が私をさらに不安にさせる。
私は早足で神社へと急いだ。
ずいぶん歩いているような気がした。
いや、ずいぶん歩いている。
確信があった。
変わらず山道が続いている。
もちろん山なのだから当たり前だ。
しかし私の胸の中の感情は不安から恐怖へと変わっていた。
だって、こんなに長い道のりなわけがない。
いくら裏手から入ったからって、こんなに時間がかかるはずがない。
私は一度足を止めて辺りを見回した。
あの鬼の気配もない。
風もない。
傾きかけた太陽が橙色に空を染めている。
あれから随分歩いているのに、一向に暗くもならない。
時間が止まってしまったかのような。
ひっそりと息を潜めているような。
不気味な静けさが広がっていた。
「変なところに…迷い込んだかも…」
胸のざわめきだけが大きさを増している。
このままじゃ神社に着くどころか、この山から出られない。
一瞬にして目の前が真っ暗になったような気がした。
そして、その恐怖心に背中を押すように、突然、何かが背中にのしかかってきた。
「!!」
私は何かに押され、勢いよく地面に押さえつけられた。
「な、何!?」
頭だけを動かして背中を確認すると、そこにはあの小鬼が私を押さえつけていた。
捕まった…!!
果てしない絶望感。助けを呼ぼうにも声が出ない。
そもそも、こんなところで誰かが助けてくれるなんてない。
どうしよう、おじいちゃん…私、そっちに行くかも…
完全に諦めて私は祖父の顔を思い浮かべた。
いや、思い浮かべるその刹那前に。
「ギィィイイ!」
叫び声と共に背中の重みが取れた。
耳元で叫ばれて、私は思わず目を閉じた。
突然身が軽くなり、もしかして、私は死んだ…?と、おそるおそる目を開ける。
「大丈夫ですか!?」
そこには人がいた。
とても、奇怪な格好の、人がいた。
慌てた様子のその人は、神社の神主さんが着ているような服に似ている格好をしてる。しかし、フードが付いていたり、裾が短かったりと、あの神主さんの服のイメージとは違い、とても動きやすそうな服だ。
その奇怪な服を着ている人は、私に手を差し伸べていた。
小さな左手をとり、私は立ち上がる。
「えっと、助けてれて、ありがとう…」
私は目の前に立つ小柄な男の子をまじまじと見る。
その奇怪な格好をしているのは男の子だった。一瞬、女の子かな?と疑ってしまうような小さく幼げな可愛らしい顔。前髪を長く横に流して、右目に暗く影を落としている。服から覗く腕や首は細く、ちょっと心細い印象を与える。目線は私と同じくらいで、歳も近そうな感じだ。
そして、その可愛らしい男の子の手には剣が握られていた。
「って、えっ!?剣!?」
私は突如として現れた物騒な物体にぎょっとした。
「あ、これ、その、ごめんなさい!」
やはり幼さが残る可愛らしい声で、目の前の少年は謝った。
その瞬間、私が見ていた剣は光を帯びて消えて行った。
「!?」
私は次々と起こる奇怪な出来事に、声も出なくなる。
「とにかく、此処は危ないので!この先に鳥居が在ります!」
少年は早口にそう言って、私の手を引いて走り出した。
私は勢いに気圧されて、そのまま大人しくついて行くしかできなかった。
この子、なんなんだ…!?変な格好…でも、助けてくれたし…
戸惑いつつも、私はその手を振り払うことができなかった。
そして、前方には探し求めていた鳥居が見えて来た。
それと同時に、背後から小鬼の鳴く声が聞こえてくる。
「お、追いかけられてる!!」
私は怖くなって少年の手を強く握る。
「このまま走って!」
少年はそれに応えるように私の手を強く握り返してくれた。
細いながらに力強く引っ張ってくれる。
私たちは振り返らず、まっすぐにひたすらに走った。
そして鳥居をくぐる瞬間。
「壱灯!良くやった!」
頭上から、凛とした男の子の声が響く。
私たちは鳥居の間を駆け抜け、そして立ち止まり振り返る。
鳥居の目前まで迫った小鬼たちは、一歩手前で動きを止めた。
その足元は何かの模様に沿って淡く光っていた。
小鬼たちはぴくりとも動かず、しかし戸惑っている様子が伺えた。
そして、その背後に。
光に反射して輝く、流れるような金色の髪。深紅よりさらに深い色の落ち着いた朱の着物。その手には銀色にきらめく刀が握られている。
その、荘厳とも言える容姿の人物は伏せた深緑の瞳を小鬼たちに向ける。
そして、光に一閃。
風を受けたかのように、光たちが可憐に舞ったようにも見えた。
妖怪たちがうめき、体をくねらせて悶える。やがて、黒い靄を発して消えていった。
あとに残るのは静けさだけだ。
「…助か、った…?」
私は思わずつぶやいた。
光は静かに姿を消し、元の明るさに戻る。
金髪の人物は、口をつぐんだまま私たちを見据えた。
金の長い髪に、豊満な胸、その人が女の子であることに、私はそのとき初めて気付いた。
綺麗な子…
そう見惚れていると、
「わー!!壱灯だー!!」
金髪の女の子はその髪を無神経に振り乱し、私を引っ張ってくれた男の子に抱きついた。
「合流できて良かったよ」
男の子は慣れたようにその女の子を抱きとめる。
「突然消えたから、心配したぞ」
隣から声がした。
私がそちらに振り向くと、いつの間にか私の隣にはもう一人男の子がいた。
「わあ!」
私はびっくりして思わず声をあげた。
「災難でしたね」
男の子は気を悪くした風でもなく、私の反応を全く無視して朗らかに言った。
私はまたもや奇怪な格好をした子が増えた!と、その子をまじまじと見る。襟足だけ長く伸びた髪は、光を反射して紫がかっていて、不思議な色味を放っている。色の白い肌に、つり目のその瞳には冷たい印象を受ける。可愛らしい男の子より少し大人びては見えるが、やはり三人とも私と同年代くらいの印象を受ける。
「この子だあれ?」
金髪の女の子は丸い瞳で私をまじまじと見た。
「えっと…」
私がなんと説明しようか言い淀んでいると、
「迷ってる最中に会ったんだ。天邪鬼達は、此の子を狙ってるみたいだった」
優しげな男の子が助け舟を出してくれた。
「へえ?」
それを聞いたつり目の男の子は興味深そうに私を見た。
「ふんふん」
すると、女の子が私の匂いを急に嗅ぎ始めた。
突然の行動に、私は硬直する。
な、なに!?
「んー、なんか、きれいな匂いがする」
「綺麗な匂い?」
「祓い屋の人みたいな…でも、祓い屋の人より薄いような…?」
女の子は言いながらどんどん首を傾げていく。
「親族に祓い屋でも居るんじゃないか?」
「しんぞく?」
「貴方の名前は?」
つり目の男の子が私をまっすぐに見る。
私は少しこの子が苦手だと思った。優しげに微笑んではいるけど、なんだか、冷たい感じがある…
「私は相良香織です」
私はきまりが悪くて視線を逸らしながら答える。
男の子二人はそれを聞いて、お互い顔を見合わせた。
「相良って…」
「上手く世界は回ってるもんだな」
そう言って、二人とも同時に私を見る。
「えっと…」
私は一体なにが起こっているのか全く把握できていなくて、ただ三人の顔を伺うことしかできないでいた。
「貴方の祖父…相良修市さんで間違いないですか?」
つり目の男の子は言った。
私は心臓がギュッと掴まれたような感覚に襲われた。
「おじいちゃんの名前…?どうして…?」
私は三人の顔を見比べる。
「貴方の祖父、修市さんは、この辺りを担当している祓い屋なんです」
男の子は更に続ける。
しかし、私は目が点になった。
さっきから、なに…?
祓い屋…?
「あの…祓い屋って…?確かに、おじいちゃん、やたら妖怪のこととか詳しかったですけど…でもそれって、ただの興味とか、趣味のものなんだと…」
「成る程な…相良修市さんは、隠して祓い屋をやってたわけだ…」
「代々受け継いで祓い屋をやってるわけじゃ無いんだね」
納得したように、可愛らしい男の子は頷いた。
私は全然納得できてないんですけど!
「あ、あの、貴方たちは一体何なんですか!」
勝手に話を進められているような気がして、つい語気が強くなる。
不安だった。
何が起こっているのか分からない。
おじいちゃんは、私に何を遺していったの?
「わわ、ごめんなさい、よく分からないですよね…!」
可愛らしい男の子は私の口調に吃驚して、慌てながら謝った。
「いえ…ごめんなさい、なんだか怖くて…」
「妖怪なんて、信じられないですものね」
そう言いながら、彼は申し訳なさそうに微笑んだ。
優しい微笑みだ。
私は彼の笑みに少し心が落ち着いた。
悪い人たちではないのだ。
変な格好だけど。
「先程も見たように、此の世界には妖怪が存在するんです。普通の人には見えないんですけど、一部の人には見えていて……霊感が強い人、みたいな認識で良いんですが…其の妖怪たちはぼくたち人間に危害を加えるんです。其れらから身を守るために、祓い屋っていうものが在って、其の祓い屋が妖怪を退治している訳です」
「じゃあ、貴方たちは祓い屋さん、ってこと…?」
「ぼくたちは祓い屋というか…祓い屋になる為の学校に通ってる生徒で…しかも未だ一年生で…」
「祓い屋のをたまごとも言えねえな」
「で、でもすごいじゃないですか…あんな…剣とか振り回して…」
「神様の加護がついてるからね」
可愛らしい男の子は照れたように言った。
「そうだ、助けてくれてありがとうございます」
「いえいえ。任務対象の家族の方が早くに見つかってよかった。いろいろ立て込んでしまって、自己紹介もまだでしたね。ぼくは蒼鉦壱灯です」
「私は相良香織です」
「オレは左甫です」
「それで、向こうにいる子が智迅です」
智迅さんは神社の本宮の近くを飛んでいる蝶を追いかけていた。
さっきのあのかっこいい感じとはかけ離れている…不思議な子だ…
私は遠目にそれを眺めた。
「で、ですね。オレたちがここに来たのは、このあたりに張ってある結界が弱まってるって報告を受けて、調査しに来たんです。ここの結界を張っているのが相良修市さんだから、修市さんのご様子を伺いに来たのですが…」
自分の表情が固まるのが分かった。
その変化に二人も気付いたようで、顔を見合わせる。
「祖父は…他界しました」
私は言った。
まだ、自分でさえも受け入れられていない事実を。
二人は少し黙っていた。
「それは…大変でしたね」
最初に口を開いたのは左甫さんだった。
壱灯さんはなんと言えば良いのか、結局言葉が見つからなかったような様子で黙っていた。
「しかし、そうなると新しい祓い屋を要請しないと…」
左甫さんは呟いた。
「新しい祓い屋が来ないと、どうなるんですか…?」
おずおずと私は尋ねる。
「この街は修市さんが張った結界で守られているんですが、修市さんがいない今、その結界の力は弱まって行く一方です。結界が弱まると、妖怪たちの活動がしやすくなって、この街で悪さをするようになります」
「悪さ、って…」
「人を食べたり」
「た、食べ…!?」
左甫さんは何でもないようにそう返した。
あの時、背中に飛び乗られた時。
あのままだったら、私はあの鬼たちに食べられてたってこと…!?
私は今更顔を青くした。
「もともと神様の庇護が強い現世じゃ、妖怪たちは思うように動けないけど…信仰心が弱まってる現代は、少しずつ妖怪の力は強くなってる…妖怪に敵対できるほどの力を持つ人も少なくなってきて…いろんなことが絡んでくるんだよなあ…」
左甫さんは一人でぼやく。
「と、とりあえず今はウシワカ先輩たちが結界を張りなおしてくれてるから、暫くは其の心配はないよね」
「まあな…」
壱灯さんが機転を利かせたように言うが、左甫さんは私をまじまじとみたまま黙っている。
私…何か問題があるのかな…
「結界の方は先輩たちに任せれば良いけど、もう一つの問題が、香織さんだ」
「え、私?」
私は目を丸くした。
「そう。あの天邪鬼たちは、貴方を祖父の修市さんだと思ってる可能性が高い」
「えっ…私、そんなにおじいちゃんに似てるの…!?」
ショックだ…
突然胸に刺さるようなことを言われ、落ち込む。
「いや、似ているって、外見のことじゃなくて、帯びている雰囲気とか…血の流れとか空気とか…そういう目に見えない、感覚的なものだ。妖怪たちは、人間を外見で見分けてるわけじゃない」
血の流れ…空気…
私は途方も無い話をされたような気がして、気が遠くなる。
「で、天邪鬼たちは祓い屋である修市さんにある程度は怒りや憎しみを募らせている…力を抑え込まれていた訳だからな」
「それじゃあ、修市さんと勘違いされてる香織さんは…」
「天邪鬼たちの恰好の餌食だな」
「え、餌食!?」
私はまた顔を青くさせた。
「す、救いはないんですか!?」
私は前のめりになって二人にすがるように言い放った。
左甫さんは少し思案したように目を伏せ、壱灯さんは、
「先輩たちが結界を完成させるまで、ぼくたちが香織さんを守ってあげれば良いんじゃないかな」
と、言った。
当たり前のように。
必然みたいに。
私は壱灯さんの真っ直ぐな、純粋な瞳に魅入られた。
そして、頬が熱くなるのを感じた。
な、なんだ、この気持ちは…!
私はどぎまぎする心を無理矢理鎮めながら、二人の顔を伺う。
左甫さんは少し面倒そうに息をついて、
「ま、そうするしかなさそうだな」
「天邪鬼くらいなら、ぼくたちでもなんとかできるだろうし」
「あいつ、頭はあれだが、いざ戦う時は優秀だしな」
左甫が遠くで花の匂いを嗅いでいる智迅さんを見て言った。
「大丈夫ですよ、香織さん。ぼくたちが香織さんを守ってあげられます」
壱灯さんは私に優しく微笑んだ。
私はその微笑みに釘付けだった。
なんというのか、最初の印象の可愛さから打って変わって…いや、この可愛らしい顔でそんなかっこいいことを言われてしまうと、頭が混乱してなんと返せば良いのか…!!
私はどんどん赤くなっていく頬を隠すように手で隠して更には横を向いた。
今の私、ちょっと変態っぽいかも…!
などと思いながら、くぐもった声で、
「お願いします…!」
となんとか返した。
「お前、よくそういうことを平然と言えるな…」
「?そういうこと??」
左甫さんが呆れたように言って、壱灯さんは見当がついていないようだった。
「ま、良いけど…」
「?」
「とりあえず、もう暗くなる。家まで送って行ってやるか」
「そうだね。お家の人が心配するね」
壱灯さんは言って、智迅さんを手招きする。
智迅さんは長い髪と豊満な胸を揺らしながら此方に駆け寄る。
うーむ、多分同い年ぐらいなんだろうけど、どうしたらそこまで成長するのか…
私は興味を通り越して不審がるような目で智迅さんの様子を眺めた。
「お話は終わった?」
「お前も話に参加しろよな」
「難しい話はよくわかんない」
智迅さんが言った途端、イラっと擬音がつきそうな勢いで左甫さんが嫌そうな顔をした。
仲良いんじゃないのか、この子たちは…?
「智迅には後で説明するね」
壱灯さんは左甫さんの様子を気にした風でもなく、朗らかに言った。
壱灯さんは壱灯さんで、だいぶマイペース…
私はこの三人の謎のチームワーク(?)に不安を覚えながらも、でもこの子たちにしか頼るしかない…と思うしかなかった。
「それじゃあ、帰りましょうか。送っていきます」
壱灯さんが優しい微笑みを向ける。
悪い人たちでは、ないんだろうな…
私はその微笑みに無意識に自分の心も穏やかになっていくようで、自然と微笑み返す。
不思議な人たちだけれど、不思議な体験だけれど、悪い気はしない。
おじいちゃんの、面影があるのなら。
あたりはすっかり暗くなり、冬の風が山の木々をいたずらに弄んでいる。
寒い夜がやってくる。
今から帰る家に、おじいちゃんはいない。
その事実が、未だ私の胸に深い影を落としている。