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自分用レビュー  作者: くーくま
96/224

冤罪があるから私は死刑制度に反対している層って、実は相当勘違いしているよね

あまり書きたくなかったですが感想に色々と質問をいただいたので。

こういった解釈もあると思ってください。批判したいわけでもなく争いたいわけでもないです。

(筆者宛て->)感想の部分で納得されましたらこちらも読まなくて結構です。

レビューが400文字だという衝撃的な事実が後から判明し、勿体ないからここに挙げました^^;

そしてこれ以上ここでこの問題を書きたくないと思えます。書いたのは色々と感想返しで意見をいただいたので。感想返しには感想で返しましたのでこことは若干内容は違います。

・ ……冤罪問題での、死刑制度の論理的合理性とは

『司法当局の能力が弱すぎるか、もしくは冤罪が多すぎる時に、生まれるものだからです。』


この主張を考える為に下記に上げられた事例を考察する。



・冤罪問題でのありがちな勘違い


< みなさん冤罪は、行政府しか産み出さないと勘違いしていませんか?


が主張のように思えます。ですが、大なり小なり生きている中で勘違いから来る間違った叱責というのはよくある事なので世の中の大半は、自然と日常の中の冤罪は体験もし目にすると思われる。この文章の書き方は注意を惹き付ける書き方でしかないのであえて批判はせず割愛する。よってここは主題である「冤罪問題での死刑制度の論理的合理性」の内容を補強しない。私刑冤罪の形として、司法制度を牛耳る一族が利権のために同族もしくは利害関係者のために法を曲解し、罪をかぶせるなどがあげられる。この場合は公的機関により行われる私刑冤罪であり、わざわざ法的機関を除外して述べる必要性が感じれられない。場合によりあえてその可能性から目を逸らさせるために視点を変えて述べているとも推測される。また、警察の実例にあるように、自分達若しくは権力者或いは利害関係者に都合の悪い証拠を隠滅する事例はある。あえて私刑にこだわる必要性がない。公的機関で冤罪が起こったからと言って復讐がされないわけでもない。潜在的な冤罪と表面的な冤罪を分けて書くべきだと思われる。


< 私刑冤罪の問題点を理解した後なら、解る方は居るでしょうか。

 私は解る方が居ると思うんですよね、


ここも注意を惹き付けるための文章なのであえて批判はしたくないが、さもそれを理解できないなら恥ずかしい、という感情を掻き立て、文章が誘導する結論を受け入れかつそれを思考する余裕を失わさせるように書かれているとも取れる。



・ 司法制度というシステムは冤罪を産み出すシステム


あえて司法制度を挙げているが人間の作るシステムにはどうしても欠陥が生じるので、わざわざ司法制度が悪いかの印象を与える必要もない。また、ここの文章は、都合が悪いから抹殺する、という部分とそうでない部分を明確に分けて書くべきだったと思われる。日常においても、詐欺行為や犯罪行為と明確な区別をつける事が難しいから、手続法や取り扱い時間などが決められる。そういった取り決めを行ってもどうしても瑕疵は生じ冤罪は生じる、という部分と、その瑕疵により違いが分からない事を口実に抹殺する、という冤罪を利用した他者の排除がある事をかき分けるべきところ。あえて片側しか書いていないのはそう読ませたいからだと受け取られても仕方ない。この書き方だと司法制度は他者を都合よく抹殺するための便利な道具、という解釈が強く全面に出されている。

制度そのものの成り立ちを考えたか、という部分に考慮の余地があると思われる。


またここの解釈では主題である


……冤罪問題での、死刑制度の論理的合理性とは

『司法当局の能力が弱すぎるか、もしくは冤罪が多すぎる時に、生まれるものだからです。』


ですが、治安維持は司法当局ではないと思います。「また冤罪が多すぎる時に」ではなく、罪を理由に抹殺したい時に冤罪が生まれる、であり主題とずれていると思います。もしくは両者の混同が見られる。



・司法制度システムの弱い国が死刑制度をやめたらどうなるのか


ここの問題は司法制度ではなく、経済上の不安を抱えている、もしくは治安に問題がある、であって司法制度が弱いというのは結果的に、そうならざると得ない、という部分が強いでしょう。適用する司法制度を支える経済的基盤を用意できるか、だと思います。

だからここも主題からは逸れると思います。ここの結論は囚人を養えないから消してしまえ、だからです。司法当局が強かろうが弱かろうがその結論に至る事には関係ないと思われます。



・加害者と被害者って本当に人権上公平になる?


ここは主題と関係ありません。


< 被害者と冤罪被害者が、加害者と人権上公平である必要はどこにあるのでしょうか?


どうやって現在進行中の冤罪において冤罪被害者と加害者を区別出来るのか理解できません。



・司法制度は証拠立証能力の欠陥問題に性善説を代用としてきた


< 冤罪被害者をまとめて執行するには、とにかく疑われる奴が悪いという論調が必要になります。


これはかつての中世などの司法制度の話であり現代社会には関係ない。

中世以前は罪とされるものに対してその状況証拠を作り出すために、配置等を考えて社会が作られます。場所によっては広い庭、ものの配置、衣装や挨拶の仕方等すべて厳密に決めて、違いを出して区別できるようにします。それでも、疑われる行動を取り、その人物以外に容疑者がいないなら、その人物だとするしかない、というのが原型です。それと現代社会の前提を同じにするのはよくないと思います。そして、性善説で語られるべき人間というのはその疑われる状況を、その整えられた環境では作り出す事は極めて難しい、から良い人間たれ、というのが解釈だと思います。だから疑われる状況を作ったのなら何か別の意図があるはずだ、という解釈へとつながります。

例えば他人の庭を歩いていて「単に歩いていた」という言い訳が通るかどうかです。「迷い込んだ事に気づかない」というのならその状況がないように社会を作ればそこにその言い訳は適用できず、また生じる事もない、というのが中世以前の社会の作り方です。それでも「他人の庭を歩いていた」のなら別の意図があるはずだ、という事です。民衆の"自由を制限する"事で民衆の権利を保護する、というのが根本的のスタンスで、それが末期的に変わったからといってその始まりが変わるとは思えません。

ここも主題と関係ないように思えます。



・本当にただの勘違いなの?


>政府が信頼出来るようになったから、冤罪問題が無くなりつつあるから死刑の無い世界に出来るんだと、彼らは主張を正せるのでしょうか。


なぜ彼らが悪で、もしくは下で、筆者が善、もしくは上、であるから、その論は間違っているからいずれ変えてね、変えれるのかな、という内容の文章になっているのかが理解できません。いつの間に正義の体現者になったのでしょうか。



--総論--

全体として主張を支えるために挙げた事項があいまいでかつ漠然としており色々な問題を細分化する事なくグロスで扱っている印象を否めない。一つ一つは何か正しいと思われるような事を挙げるが全体としてみるとそれぞれが漠然としすぎて整合性が無く、またそれぞれが恐らくは間違っていないだろうという主観により、最初に挙げられた主題も"よくわからんが"間違っていないのだろうとしたがっているように見受けられる。

全体的に意図的な偏向が見受けられ、筆者は主張をしていないかのように書いているつもりがその文章、文脈から意図が読み取れる。そして客観性を比較的有していないと思われる。


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