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自分用レビュー  作者: くーくま
94/224

Lilium

教会で歌われているそうですよ?

一応書いておくと私は宗教は認めています。

但し、私の神はキリスト教を辿り、ユダヤ教を辿り、その元となる原始宗教です。

その神が形になった、ユダヤ教やキリスト教を否定するつもりもなければ仏教もイスラム教も否定するつもりはありません。不可逆な写像そのものに重きを置かず、元を見る事を重要視しているだけです。


エルフィンリ〇トというアニメの曲です。

歌詞を書くと問題になりそうですが、言われたらその部分だけ削除する予定です。


歌詞


Os iusti meditabitur sapientiam,

正しき者の唇は、叡智を陳べ


Et lingua eius loquetur indicium.

其の舌は 正義を物語る


Beatus vir qui suffert tentationem,

幸いなるかな 試練に耐え得る者よ


Quoniqm cum probatus fuerit accipiet coronam vitae.

之を善しとせらるる時は 命の冠を受くべければなり


Kyrie, ignis divine, eleison

主よ 聖なる炎よ、憐れみ給え


O quam sancta, quam serena,

おお、何と聖なる哉 何と静かなる哉


quam benigma , quam amoena

何と慈悲深き哉 何と情愛厚き哉


O castitatis lilium

おお、清廉なる白百合よ



1~2行目 旧約聖書「詩篇」37-30より

3~4行目 新約聖書「ヤコブ書」1-12より

5行目 グレゴリオ聖歌「キリエ・エレイソン」より

6~8行目 賛美歌「めでたし世の希望なるマリアよ」より



で、わざわざ書こうと思ったのは歌詞がどうだと言うことではなく、これが断章主義だからです。

断章主義の何が悪いかと言えば、例えばある論文から自分に主張したいものに都合の良い部分だけを抽出し、また別の論文から都合の良い部分を抽出して自分の主張を完成させ、そしてその根拠として既に認められた、都合の良い部分を抽出した論文がある、だから自分の主張も正しい、という方法を行うからです。

要は自分に都合の良いものだけでまとめて客観的に評価する事もなく、さも正しいかのように錯覚させる事で利益を得ようとする、いわゆる詐欺を行うための手口として頻繁に使われるからです。


なのでこの歌自体は、綺麗で聞きやすいので歌としてはありなのかも知れません。

歌としては。

これが最近教会で歌われているそうです。

そこに問題があります。

断章主義は聖書などに適用されるべきものではなく、それを行うと都合の良い部分だけ言っていれば神を敬っている事にできるから拡大解釈できる範囲で何をしても良い、という状況へとなりかねません。

だから、聖書などは一部分のみを切り取って語られるべきではなく、また、そうならないように普段から戒める必要があります。

これはかつて、モーゼの十戒が神殿の奥へと隠され、当時の司祭たちが自分たちに都合の良い教えを広めて利益を貪る結果になった状況へとたどり着くための第一歩として存在します。一部を入れ替え、上書きし、徐々に徐々にと入れ替えていき、やがて原型をとどめていないようになります。

こういった行為は、急激に起こるのではなく、少しずつ改変します。この歌のようにきれいでさも教会で歌うに相応しいように見えるが、実は断章主義であり、それに注意しない、気づけないなら受け入れられるものなどから始めます。それが受け入れられ、程度の軽い断章主義が受け入れられたら次の段階へと進む、というように次第にその度合いを増していきます。

この歌が浸透し、それを聞いていた子供たち、もしくはそれに気づけない知性の持ち主がこういった断章主義の何が悪いのかを気づかないままに受け入れたとしましょう。なら彼らは次に間違う可能性が発生します。聖書の教えの都合の良い部分をつなぎ合わせ、より良いものを作ろうとするでしょう。自分でそれが何をしているのか分からないまま、気づかないままに。それが受け入れられるようになれば、次は権力の持つ側の出番です。同じように都合の良いものをつなぎ合わせ、耳に聞こえは良いがその実、自分たちの利益をより多く確保するためのものへと作り変えるでしょう。それが浸透し、それに反論するものを弾圧して排除した後になれば、次は都合の良い部分を抽出し、つなぎ合わせるにはパーツが足りないから自分たちに都合の良い言葉を付け足しさもそれが正しいかのようにつなぎ合わせるでしょう。こうやって、モーゼの十戒が神殿の奥へと隠された状況と同じ状況へと移行します。

すでにこの方法で多くの利益が得られると、うまい汁が吸えるという経験をした者たちがいて、「我が世の春よ、もう一度」と虎視眈々と狙っているからです。そう出来てしまえば楽して利益が得られるのです。しないのはバカのすることだ、とそういった連中は考えます。

で、これが故意であろうと過失であろうと、教会において行われるならこれは思想侵略だと言うことです。それがまた始まった、もしくは始まっているものを次の段階へと移行させようとしている、という事です。


で、この歌自体が歌われるのを別に私は批判しません。必要なのは、それに対しての知識を与えたか、という部分です。断章主義がなぜいけないか、断章主義で出来たこの曲を歌うという事は同時に何に気を付けなければならないのか、を、神父が、その子供たちの周囲にいる子供たちを導くべき大人たちが、子供たちのために考え、その危険性を教えたか、という事です。それなくしてこの曲を教会で歌うという事はある意味、神への冒涜です。耳に聞こえの良い邪教の調べです。

神の目の前で、良く分からないがとりあえず聞こえの良い歌を歌っているがそれは実際には神の目の前であなたの教えを私達は今日も改変して冒涜しています、と言っているに等しい可能性がある、という事です。だから、こういった新しい試みをするなら、行う前に知性ある側が、本来なら神父(神学を妄想なく習得したもの)そして大人たちがそれが正しいかを判断してから子供たちに、して良いか悪いかを根拠と共に教えるのが本来のやり方です。チャレンジアンドレスポンスは"とりあえずして良い"、などではなく、考えられる限り考えた結果、してはいけない理由が見つからなく、失敗しても重大な悪影響を及ぼさない事が予想されるから、試してみて応答を見よう、というものです。よくわからんがとりあえずやってみろ、というのは猿のレベルのチャレンジアンドレスポンスであり現代的ではありません。



歌詞については特に追求しませんが、ここで旧約、新約以外の所から抜き出されている事に注意していください。

聖書にも旧約と新約をまとめて一冊にしたものがありますが、大抵はその間に「手紙」の類が挿入されていたりします。これはその「手紙」の類がさも聖書と同じ扱いだと錯覚させるためのトリックです。それと同じで、断章主義で抜き出した後半が、前半と同じ重要なものだと錯覚させるためにあえて使われている可能性を考慮する必要があります。

ここであえて触れるなら「マリア」と「白百合」について書くことになります。

どのような文章も、スラング的に書けば2chでsage, ageと言われるように、印象を悪い方向に下げて書く時と印象を良い方向に上げて書く時があり、それにより言葉の意味が変わる事があります。どちらであっても同じである言葉もありますが。

マリアを悪い意味で解釈すると「死んだ女、規律を乱す女」です。「白百合」を悪い解釈すると、寄生された、もしくは汚染された花、です。百合の紋章の百合自体は厳密には百合を指さないそうです(ウィキより)。百合は99%がウィルスに感染しています。つまりはこの部分を指します。


マリアを悪い意味で解釈するとマグダラのマリアが解釈時のいい例になるでしょう。

あまり書くと冒涜云々で言われますが、悪い解釈で聖書を読むと「イエスは馬小屋で生まれた(馬小屋で受胎した)(家の中だと家人に見つかり行為が出来ない)」と解釈すると、キリスト教の定義から言えば不道徳です。悪い意味で書かれた文章でのマリアの指す意味はこちらになります。

日本語で処女を「生娘」というのは、まだ女としての役割を果たす事が出来る、つまりは「生きている」という意味です。処女を失う事で「死んだ」事になります。その際は主には結婚相手との性行為で子供を受胎するので問題ないとするのですが、そうでなければ男性側からは問題になるから処女でない女は「死んでいる」扱いになる事が多いです。エディプスコンプレックスの原因は排除されるべきで、また、その証明をしてくれる女性を男性は守るべき価値の判断材料にします。

ちなみに「mar」でおそらく「荒し」なんで、その女性系名称という解釈があります。規律を乱すもの、という意味になると思います。


「白百合」ですが、百合は99%がウィルスに感染している、という解釈から進めます。寄生、汚染されている、という解釈です。良い意味では、神の後ろ盾がある、という意味となります。悪い意味では、美人局、トロイの木馬、という意味になります。その人物の後ろにその人物をカモにしてもしくは隷従させて利益を得ている人物がいる、という意味です。


というわけで、この歌そのものは綺麗なんですが、それが意図的であった場合、思想侵略を行い、また宗教自体を捻じ曲げて利益を荒稼ぎしたい連中が動き出した、ともいえる可能性があります。

まあ、ここを読むと冒涜だと言われかねませんが、神は盲目なる事を好まないのですよ。神を称えていれば全てうまくいく、という考えは、都合の良い事ばかり媚びて言っていれば何もかもうまくいく、というレベルに堕ちていく、という結果につながり、妄信でしかないです。

「神は偉い。正しい」という言葉が「カミハエライ。タダシイ」という鳴き声になっていないか、そして例えば「聖母の事をバイタと読むんだよ」と教えられて「マリアはバイタ!マリアはバイタ!」などと言わされていないか、実と表面が一致しているかを常に確認する必要があるという事です。


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