※宗教と性的施設について
神殿男娼という言葉を出したので書いておきます。
そういえば詰め込み教育だけして暗記だけの歴史では、あの言葉だけでは背景を考えずに誤解を招くのでその成立仮定も書いておきます。
『神について』で'神=知識'と書きました。
それが前提です。
古代と中世で何が違うかと言えば政治形態が違います。
なぜそうなったのか、から書きます。
古代は宗教を中心とした社会です。
中世は武力を基軸として権力を中心とした社会です。
その移り変わりをだらだらと、時間をかけて見てみたいと思うなら、
商用ゲームなら「シヴィライゼーション」、無料ゲームなら「フリーシヴ」でしょうか。
古代なら政治形態が宗教や哲学中心で、中世なら「集中王権」だったりします。
さて、'神=叡智'と書いていると面倒なので神の叡智もしくは神の知識と書いていくことにします。
ろくな技術力もない未熟な社会、そこに神の知識がもたらされます。
その結果、生活の中心は宗教、そして物理的な場所は'神殿'になります。
その知識と恩恵は豊かさを与えてくれますが、同時に余裕も与えます。
ここでそこに生活する人間達に'間が刺します'。
余計な遊び、浪費、享楽的な行動などです。
した事ないものへの好奇心と、そこから発生する快楽に夢中になります。
知識を与えてもらっているだけなので「なぜそうなるのか」が分からないので、自分達が快楽を得るための行動や欲望がなぜだめなのかがわからないので歯止めが効きません。
その度に世の中は荒れます。
この際のコミュニーケション不和で争いが起こります。
まずはここからは話を逸らし、古代での神殿の在り方です。
神殿は生活の中心になり、知識の象徴、文化の中心でもあります。
そのため、神殿の周りでは商いも盛んになり、市場などは神殿近く、そしてその管理も神殿になります。
生活における権力が自然と神殿へと集まります。
そしてそれの形骸化で神殿としての権力が形作られます。
市場を管理するのは神殿の特権、民衆の上に立つのは神殿だ、という具合にです。
それを見た人物が神殿に属するとそうやって振る舞っていいんだ、と錯覚して行動しだすのが腐敗です。
神殿に属したからといって偉そうにしてよいのではなく、掟や区別のために偉そうにする必要がある、と言ってもそうやって形だけ見た人物にはわかりません。
そうやって腐敗していくのが人間社会です。
で、神殿が市場などになる事もあります。屋根付きの建物で、腐敗が進み、形骸化した後は神殿とはその程度のものと認識されます。
権力を持っているのはその立場についた人物であり、神殿はそのための屋敷でしかない、という認識です。
実際、神殿は知識を司る場所ですよ、というシンボルです。今で言えば何々庁だとか何々省だとかそんな感じです。
現代もそうですよね。一部特権階級だと錯覚した連中が占拠している、という状態です。
公的権力と私的権力の区別がついていない事に気づけない私達がいます。
そうやって昔から同じように腐敗し続けてきました。
さて、神殿は単なる屋根付き建物、という認識にまで落ちぶれるとどうなるか。神殿内にも商店を開くようになります。
そこまでモラルがなくなっている状況になると、男は娼婦を、女は男娼を求めるまでに乱れる状況になっていたりします。
そのため、屋根付きでなければ不便な行為だから、神殿という場所で行う事になります。
なぜなら文化の未成熟な場所で誰かの所有物でない公的な場所というのが神殿など限られた場所しかないからです。
そこにモラルがあるかと言えばないです。ないからこそ神殿で行うのですからそこはもう気にしてはなりません。
気にするならそういった連中をどうするか、であって神殿で娼婦や男娼を抱くな、ではありません。
問題の根本的な部分にある、原因を排除する、という所から、生じた結果を排除する、というすり替えに騙されてはいけません。
でもやはり邪魔で、あってはならないものですから排除は妥当です。そこで止めたら単なる対症療法で根治しないんですが。
結局は悪徳の栄えた場所で、こういった'神殿男娼'などの存在が発生します。神殿で行われるのは単に、そこしかその商いに適した場所がないから、であって神殿で推奨しているわけではありません。
ここまでが'神殿男娼'の説明です。
で、羊達の堕落、つまりは大人しく従順で争いを避ける良心的な人物がいなくなっていく過程ですが、古代エジプト中期には'巻角羊の出現'が書かれています。この時点で民衆の腐敗が表面化してきた、という事です。
腐敗が広まると、詐欺、横領、などが平然と行われるようになり、ますます社会が荒れます。その悪循環によって荒廃していきます。
そうすると、話合いで物事が解決しなくなり、物理的な解決を求めるようになってきます。
ここから宗教による対話を軸にした権力から、揉め事を物理的に制圧する事を軸にした権力に移行していきます。
宗教が社会の中心であった時代の終焉です。
宗教が問題を解決できなくなった、とも悪し様に言えばできるのですが、それは単に知識を使う側の能力が落ちた、というのが原因です。
教えられた範囲で行動すればまだ問題も起こさなかったかもしれないが、与えられた生活を当然と思い、それ以上の物を求めて不要な欲を出す事で争いを起こす、というのが問題です。
自分が取った行動が周囲にどういった結果をもたらすか、という事を考慮していない自分、というものがわかっていないという事です。
現代風に言えば、まだ第一次成長期のままの、体だけ大人、精神は子供な人物が、自分はもう大人だから何をしても平気だ、許される、と言っている状況です。
こういった結果の積み重ねで、'羊'ではなく'山羊'と呼ばれるようになっていきます。日本語の'山羊'という言葉は恐らくは逆言葉になっていて、そういった事を伝えにくくするための隠蔽工作の結果でしょう。でも言葉では'Goat'を'山羊'と訳しますのでこのままにしておきます。'山'のイメージは動じず揺るがない確かなもの、というものです。正しいものに使うもので、'山羊'と定義するものに使う言葉ではありません。単に山のような草の少ない場所でも生息できる羊のようなもの、という象形でしょうが、あまり良くない言葉です。'欲羊'などと書いた方が良いんじゃないか、って思えます。
で、与えられた知識を使う事に神殿が必要ないと思って行動するようになった民衆を抑える役目として武力で制圧する集団が台頭してきます。
そこで政治形態が代わります。
ここから中世までの流れになります。
当然、民衆は先程書いたように第一次成長期も終えていないのに大人になったような連中ばかりです。
争いがなくなるはずもないです。
そして武力を軸にした政治形態が確立されます。
そうなると、それを見た人物が、誰かを武力で抑え込めばいい生活が出来る、と錯覚できるようになります。
後は現代社会にも見られる状況が出来上がります。
ここの話は宗教と性的な施設、なので話を元に戻します。
神殿男娼などは悪しきもので宗教は認めていません。また、娼婦もそうです。ですが、女性は立場上弱く、その立場に身を落とさないと生活できない、という事態に陥り易いです。
ここで、古い時代の救済策を先に述べておきます。
少し古い時代ならイスラム教がわかりやすいです。
争いが激化して、男の数が激減します。当然未亡人が増えます。
その救済策として、一夫多妻制が提唱されます。
とりあえず、社会の決めたルールに則り、その女性達は私生児(快楽に溺れて出来た子)を生んだんじゃないんだよ、って意味も含めての救済策を施します。
ハーレムが作りたいから一夫多妻制があるのではない、と認識をしてください。
現代社会でハーレム云々を誇大宣伝するのは、そういった錯覚をさせたいからです。
ではもう少し古い時代に話を戻します。
王とハーレム、ですが、そんな事実はありません。
王は社会を統べるものとして、社会を管理します。
ですが、どうしても犯罪はなくなりません。
その結果、女性が被害し、妻になるのは不適当な立場に追いやられる事があります。まあ、レイプ等ですね。病気に感染などもあります。
彼女達もそうなりたいからそうなったわけではありません。いわば社会を形成する上で発生する歪みの被害者です。
では彼女達は救済されなくてよいのか、というのが社会の根底のルールに抵触します。
元々、皆で生き残るために集団を形成し、社会を作ります。
被害者達は自分から社会に害なす行動を取ったわけではありません。いわばその社会の歪みを受けて加害された側です。
ではどうするか、というと王の妻という立場にします。
王は社会と等価であり、公的な立場にあります。
つまりは公的な役割の妻という形にして、社会の中にいていいんだよ、として保護します。
今で言えば被害者救済法だとかを作って、社会保障をする、という感じです。
ではその前の形というかその原型です。
その王の役割は何かと言えば、王は神の意思の体現者、というのが古い時代の認識です。
正しい知識の使い手、という解釈です。
ここから宗教と権力が分離した過程で、そういった犯罪被害女性を救済する役割は宗教側に残ります。
つまりは、修道院に入れる、神の家に入れる、という考えです。
どこにも現代で誇大宣伝されるハーレム要素なんてないわけです。
それ以降になると、神殿と教会に分離はしますが役割は一緒です。
神殿のままである場合の地方は権力と一体化したまま長く続いた地方でしょう。
教会になった所は早くから武力による権力が台頭した所でしょう。
武力による解決をするとどうしても殺し合いに発展しやすいです。
また、その荒さから被害は弱者に向き易いです。
弱者は女子供、老人です。
そして女性に向き易いです。
女性は被害し、娼婦に身を落とし易いのでその救済に宗教が関わります。
その結果、宗教施設である神殿や教会や汚れ役を率先して受け入れてでも行動する必要が出てきます。
娼婦などに性知識と安全な場所を与えるなどもしなければならないかも知れません。
性知識がなければ望まない子が増えます。安全な場所を与えないならその女性はずっとその地位に甘んじなくてはいけません。
ですが、それを外部から見たらどう見えるか、です。
商売ばかり行う商人から見れば、利権にありつくハイエナのように見えるかも知れません。
ある人物から見れば、女衒と一緒だと教会を見るかも知れません。
教会はそれでもその汚れ役を受ける必要が出てきます。
だから、疑われないように清貧が貴ばれます。
これは貴族や王も一緒ですが。
ですがどこにも腐敗は存在します。人間がいるとそうなります。
そして、間違いが発生します。
教会が弱者救済のために娼婦を保護している姿を、娼婦を使って商売している、と錯覚した人物が神職を得たらどうなるか、です。
スキャンダルはこうやって起こります。
宗教と性的な施設とは大体はそういったものになります。
神殿男娼などのようにその在り方を忘れて発生するものや、間違った見方で行動してしまう場合などが生じますが、宗教自体にそういった事に利権を求める事はまずないです。
それは宗教の根本的な考え方に反するからです。
ではどう見えるかという問題です。
例えば、娼婦がいて、彼女達が望まない子供を作りたくない、と考えているとします。
教会がそれを叶えるために避妊の仕方や避妊薬を与えたとします。
一方で、娼婦を使って商売をする連中も同様の事をします。
そこに見える行動だけでは目的は見えてこない、という事です。
片方は弱者救済、片方は女を使って利益を得る、という事ですが、そこだけを見れば同じ事をしています。
では、ある人物が娼婦を使って商売をしている連中を見た後に、教会がしている行動を見たらどう捉える事があるか、です。
ここに誤解が生じます。
教会も娼婦を使って商売をしているのだ(寄付という形で金銭を受け取る)、という誤解をする可能性があります。
弱者救済はそれだけのリスクを抱えるので、それ以外の部分でそのリスクを軽減する必要があります。
その誤解も、それを認識する側の理解度で生じない事もあります。
ですが、相手に期待するのは確実性がありません。
こういった所に問題があります。
ここで問題がどうこう言うのは筋違いなので話を逸らします。
この話の終わりに、わたしがとあるレビューに書いた'神殿男娼'という言葉を用いた文章付近は誤解を招き易い書き方になっています。
ですが、ここに書いた内容を事前に知っていたら、その誤解も生じないでしょう。
つまり、書いてある文章をどう認識するか、という読み手側の努力も放棄してはだめだという事です。
勿論、書き手としての努力も必要です。あそこの文は反省してます。現代社会の教育の在り方を無視してあの程度の文章で通じるだろう、で済ましてしまいました。
ですがそこは修正しません。こちらへの誘導代わりに使います。
ここまでの内容を事前に知っている人物に
「教会は娼婦に避妊薬を渡す事がある」
と告げたと仮定すると大体の意味は理解できますが、その事前知識がない場合には別の解釈をするかも知れません。
現代ではその役割は教会から行政に移行したりもしていますが。
その救済が出来ていない行政というものに問題はあるのですがそれもここでの取り上げる話とは別です。
本来は民主主義と銘打って何か出来たつもりになれるのなら、こういった救済措置は全て行政でやるものなんですけどね。
それが出来ないのが人間クオリティです。
宗教も行政も一個の社会。都合の悪い役割をみなかった事にして、他に押しつけた時点で社会としては破綻しているのですがこれもまたここでの話とは別問題です。




