※神について
たいした事を書く気はありません。
元々の「神」とは何か、です。
神とは、率直にいって「叡智」「知識」です。
古代において神とは知識そのものを指します。
それを体現する、いわばアバターという形で、神(知識)を授ける者として人間の形をした神が存在します。
今で言えば、簡単に言えば国語教師、数学教師、だとかです。
それぞれに教える内容があり、それはその教師をやっている人間に属していません。
その教える内容をその人間でフィルタリングしたものが教えられる内容です。
ここで、つまりは教えられる内容は、伝えられる内容は、その送信者の限界においてフィルタリングされ、また、受信者の限界においてフィルタリングされるという事を把握してください。できれば理解してください。
あまり批判ばかりは良くないですが、'原色ユダヤ'と'白色ユダヤ'という考えがあります。ユダヤ教の教えを受けた白色人がいる、という事を指すのですが、これはある環境から別の環境に(ミグレーション|移行)させた時に伝達不具合が生じた事で、こういった呼び方が必要になった、という事です。元々のユダヤ人がいる環境と文化において常識とされるものも、白色人とここでは呼んだ人物の環境と文化における常識が違うから、正確に物事が伝わらない、というものです。
言ってしまえば、言語マッピングにおける定義の違いで、マトリックスが正しく変換できないという事です。ある言葉の定義がそれぞれで微妙に違うものであったりした時、その違いは他の言葉の定義で吸収されていたりします。そうやって一個の言語空間、社会概念が形成されているのですが、正しくマッピングが変換されないために、誤解が生じます。そのあたりが混乱の原因です。コミュニケーション不和です。長い時間をかけてお互いに認識のすり合わせが必要ですが、それだけ時間がかかるという事はコストがかかるという事でもあり、また、対処する問題自体が時間の猶予を与えてくれない、という事もあり、難しいです。
同じように、例えば王と平民でも同じ事が起きます。平民同士でも起きます。
例えば、「食事をする」という行為において、ある人物は「材料を厳選し、カロリー計算して、調理も細心の注意を払って行い、それを食べる」という定義をしているものと、「誰かに作ってもらったものを食べる(外食する)」という定義をしているものでは話が合いにくいですし、そこから生まれる行動と注意する問題点も違います。ここにもコミュニケーション不和が起こっていますが、それを考慮しないのが現代社会です。
これら問題に加えて、書いたように送信受信側の能力や使用できる資源による限界が更にその不和を助長します。
そして誤解を生み出します。
知識の正しい伝達が難しい理由が大抵はこういったものです。
ギリシャ時代などになってオリュンポスの神々などがいる時代になると、「神を授ける者」が直接「神」と認識されるようになります。
それは人間の腐敗と言えるのですが、崇めて貰えるから多少贅沢していいんじゃないか、的な気の緩みが加わった人間臭い神が登場するようになります。
いわば賄賂を受け取る政治家だとか、自分のお気にいりをひいきする教師、とかです。
この腐敗は知識を与える側と与えられる側の態度などに問題があります。
与えられる側はより多く与えてもらおうとして、その欲しい結果が得られる態度を繰り返します。
要は媚びなどです。与える側はそういった欲望に対して自制できないといけないわけですが、それは難しいです。
ですが、それが出来ないと話になりません。
今は神について長々を書きたいわけではないので概略はこれだけにしておきます。
あえて書くなら後は「隠されしアメン神」と「帝釈天」と「マルドゥク」でしょうか。
「隠されしアメン神」は古代エジプト史です。
時代が流れて、アメン神が隠されて民衆からはその姿が見えなくなる、って話です。
「アメン」は古い言語の言葉で、「確かに」「そうだ」「そうあるべきだ」という意味です。
ユダヤやキリスト教でよく使いますね。
神は上記に書いたように古い時代には叡智、知識を指します。
つまりは、正しい知識が一部の人間により隠蔽され、民衆が得る事が出来なくなった、という歴史を表わしています。
現代でも同じ事が起きてますけど、結局はそれだけ同じ過ちを繰り返ししか能のない種族がどこかにいる、って事です。
そこから得られる利益や利権欲しさに何も改善できない種族だということです。
「帝釈天」は。
「帝」はばらばらの物をひとつにまとめる、です。締めるという字をみれば分かると思います。外側からぎゅっとまとめるとかそんな感じです。
「釈」はばらける、という意味です。
「天」は天位を持つ者、という意味です。天位とは、神に等しき力、技術を持つものに与えられる称号です。
つまり帝釈天とは煽動者やクーデター首謀者や場荒しなどの技術に長けたもの、という意味が込められています。
帝釈天の権能は「雷」です。
雷が何を比喩するかと言えば、音だけ凄くて実がない、です。嘘ばかり、誇大表現ばかり、大言壮語、という奴を指します。
マルドゥクも関連するので一旦マルドゥクを説明します。
「マルドゥク」の名前はさておき、それはアルファベットから古語に辿ってシンボルの意味を紐解く必要があるので言及を避けます。
私はそこまで言語に詳しくないです。
'Mar'と'd'と'k'で、'Marを与える者'と読めるんですが果して'Mar'をどう解釈するか、そしてそれで合っているかの検証をする資料も時間もないです。
或は'Marを示す者'でしょうか。'Mar'の意味が'荒し'とかだったら怖いですが。
'Mer'とかは'死'です。死、というか、静的な枯死、というか停滞したものだとか、動的なものが止まって形を成したもの、とかそんなんです。
マルドゥクの権能も「嵐」と「雷」です。
「嵐|荒し」です。
そしてこの二つの類似点ですが、どちらもそれまでいた神々の代わりに台頭します。
同じように神々が集まる場に乗り込んで、他の多くの神々の支持を得て、奪い取ります。
クーデターもしくは革命のようですね、となります。
なのでこの二つの神の話の原型は辿ると同じところに行き着くと思います。
余計な一言を埋め込んでおきますが、
最近、今も流行しているのか知りませんが、「俺は〜になる!」なんて言っている主人公の
「XX・ディ・YY」という部分の意味はお分かりになれたでしょうか。
書きたかったのは「神」とはその人間臭い姿(もしくは形)を指すのではなく知識を指すと言う事です。




