二つの卵
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ジングルベルの音楽が流れる町で、優太はお婆さんが交差点の前で立ち止まっているのに気づいた。
「あのお婆さん、あっちに渡りたいのかな? でも、この交差点には信号がないんだ」
この道は交通量の多いので、信号か横断歩道をつけて欲しいと住民は警察に嘆願書を出したが、歩道や待機場所が確保できないので無理だと返答があったのだ。だから、この交差点は通学路にはなっていない。そのせいで、優太は学校に通う時は少し大回りしなくてはいけないのだ。
優太は、手助けしてあげようかな? と思ったが、知らない人に声を掛けるのを躊躇っていた。学校や両親に知らない人と口を聞いてはいけないと注意されていたからだ。
大きな風呂敷包みを背負ったお婆さんは、きょろきょろと辺りを見渡して、こちらを見ている優太に気づいた。
「ちょっと、そこの坊や」
優太は振り返ったお婆さんが魔女みたいだと、思わず一歩後ろに下がった。真っ黒な服に黒い帽子、大きな耳が顔の横に突き出しているし、ぎょろりと厳しい目は意地悪そうに光っている。後ろ姿は普通のお婆さんだったから手助けしようかと思っていたが、とても恐ろしそうだ。
「ほら、そこのあんただよ」
「魔女だ! それも意地の悪い黒魔女だ!」ファンタジー小説が好きの優太は、良い行いをする白魔女ではなさそうだと、逃げ出しかけた。
「優太、こっちへおいで!」
名指しで呼ばれたので、両親の知り合いかもしれない。優太は諦めて側に行く。
「ふん、近ごろの子どもは不親切だねぇ。年寄りに親切にしなさいと習わないのかい?」
「手助けしようとは思ったけど、知らない人と話しちゃダメだと言われているから。それにしても、なぜ僕の名前がわかったの?」
「あんたの顔に書いてあるのさ。それにお前さんは申年生まれだからねぇ。まぁそんな事より、あっちに渡らなきゃいけないんだ。この前に来た時はこんなに物騒な物は、こんなに多く走ってなかったんだがねぇ」
「この前? ずっと交通量の多い道だよ」
「お前さんが産まれる前の話だよ。そう、六十年前さ。今度来る時は、どうなっているのかねぇ」
優太は手を上げて、車に止まって貰うと、お婆さんの手を引いて道を渡った。
「やれやれ、やっと渡れたよ。お前さんのお陰だね。そうだ、お礼に良いものをあげよう」
気まぐれなお婆さんは、背負っていた荷物を道端に下ろすと、ゴソゴソと中をまさぐる。
「こんな道端でそんな事をしていたら危ないよ。それに、知らない人から物を貰っちゃいけないし」
道を渡るのを手助けしたのだから、もう用は済んだだろうと優太は逃げ出そうとした。
「こら、年寄りがあげようと言っているんだ。さぁ、持ってお行き」
優太の手に二つの卵を強引に押し付ける。一つは金色、もう一つは銀色の卵だ。
「卵? お婆さんが色を塗ったの?」
金色と銀色の卵はよく見ると様々な色も混じっている。変な卵だと、気味が悪そうに優太は見つめる。
「これは幸せの卵と、不幸の卵だよ。来年になったら、この卵を孵してごらん」
「不幸の卵なんかいらないよ!」
どちらが不幸の卵か優太にはわからなかったので、二つともお婆さんに突き返す。
「幸せの卵を返すのかい? 優太の人生に幸せは訪れないよ。それでも良いのかい?」
「やっぱり悪い魔女だったんだ! そんな呪いなんか解いてよ!」
親切に道を渡らせてあげたのに、こんな酷いことを言うお婆さんは、きっと悪い魔女だと優太は決めつける。
「なんだって! 私が悪い魔女だって! 変な事を言うんじゃないよ。私は丙申さ! 一年ずっと働いて疲れたのに、悪い魔女だなんて酷い事を言うねぇ。申年生まれの子どもだから卵をあげようとしているのに」
腰を伸ばしたお婆さんは、何処か神々しくて、優太は「ごめんなさい」と謝る。
「じゃあ、幸せの卵を下さい」
幸せの卵を貰わないと、幸せになれないのなら、貰うしか無い。不幸の卵はいらない。
「優太は馬鹿だねぇ。幸せの卵と不幸の卵は一対なのさ。ほら、この卵を来年まで温めるんだよ」
「不幸の卵は欲しく無いよ!」
お婆さんは、嫌がる優太に金と銀の卵を強引に渡したと思うと、姿を消した。
「お婆さん! いらないよ!」
消える能力があるなら、道ぐらい自分で渡れば良かったのにと愚痴りながら、優太は家に帰る。ポケットの中に入れた二つの卵が凄く重く感じた。
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大晦日の夜、優太は二つの卵を眺めて溜息をつく。
「どちらが幸せの卵かわかったら、そっちだけを孵したら良いんだけど……金かな? 金メダルとかあるものね! でも、銀だったら? 不幸の卵だけ孵ったら困るよ」
冬休み中、どちらの卵が幸せの卵なのか考えていたが、優太にはわからなかった。
「優太! 年越し蕎麦を食べるわよ」
リビングからママの呼び声がして、優太は卵をベッドの中に隠して部屋を後にする。
「部屋にこもって何をしているんだ? テレビも見ないなんて、優太らしくないぞ」
呑気そうなパパに、不幸の卵を貰った事を打ち明けたくなったが、何故か内緒にしなくちゃいけない気がする。
「優太も勉強しなきゃいけないと自覚したのよ。だって、来年は中学生なんですものねぇ」
教育熱心なママのドリームにはついていけないと、パパと優太は黙って年越し蕎麦を食べる。テレビでは「行く年来る年」の特集で、申年から酉年への運勢占いをしていた。
「えっ、今年は丙申なの? 来年は丁酉? へぇ、 六十年に一度巡ってくるのか……だから前に来た時とは町の様子が違っていたんだな」
あのお婆さんは丙申と名乗っていた。もしかして年神様だったのかもしれないと身震いする。
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除夜の鐘を聞きながら、優太は二つの卵を手で温める。
「もしかして、この卵から来年の干支の酉が孵るのかも?」
そう思うと、優太はドキドキする。年賀状にも酉がいっぱい描いてある。その酉が孵らなかったら大変だ。
「あけましておめでとうございます!」
リビングのテレビからアナウンサーの声が響く。「優太? あけましておめでとう!」と両親の声が聞こえるが、優太はそれどころではない。
「あけましておめでとう!」と部屋から叫んで、手の中で揺れだした二つの卵をソッと机の上に置く。
「どちらが幸せの卵なのかな?」
不幸の卵からはどんな醜い酉が孵るのかと思うと逃げ出したくなるが、揺れている卵から目が離せない。
金の卵と銀の卵は同時に割れた。ピヨピヨと黄色の可愛い雛が孵り、優太はホッとする。
「なぁんだ! 普通の卵だったんだ! 当たり前だよね」
お婆さんが消えたように見えたのは、きっと卵に気を取られている隙に角を曲がったのだろうと、優太は自分が揶揄われたのだと笑い出した。
「この雛をどうしよう? ママは飼うの許してくれるかな?」
手のひらに二羽の雛を乗せて、優太はリビングへ向かった。
「ママ、パパ! この雛を飼っていい?」
「何を寝ぼけた事を言っているんだ? 雛なんて何処にもいないじゃないか」
優太はさっきまで手のひらにいた雛が何処とも知れず消えているのに驚いた。
「さぁ、早く寝なさい。明日は初詣してから、お祖母ちゃんの家に年賀に行くのだから、早起きしなきゃ駄目よ」
ベッドに押し込まれた優太は、そっとカーテンを開けて外を眺めた。真っ暗な空に羽ばたく酉が見えた気がした。
「幸せな卵から孵った酉は幸せを運ぶのかな? そして、不幸の卵から孵った酉は……僕は夢を見ていたのかな?」
丙申と名乗ったお婆さんも、貰った二つの卵も、目の前に無くなってしまった今としては、本当の事とは思えない。それでも優太は、自分が孵した不幸の卵が気になって仕方がなかった。
「丁酉様、どうか幸せにして下さい」
初詣で優太は熱心に祈るのだった。
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優太が二つの卵貰ってから六十年が経った。すっかりお爺さんになった優太は、ジングルベルが流れる町で、お婆さんに会った交差点に立っている。
「おゃまぁ、爺さんになったねぇ」
いつの間にか丙申と名乗るお婆さんが、大きな荷物を背負って横に立っていた。
「ああ、やっと会えた! ずっと待っていたのです」
十二月になってから、毎日この場所にきていたのだ。
「お前さんは幸せになれたかい?」
「ええ、幸せになれました。不幸な目にもあいましたが……幸せと不幸はセットなのですね」
人生の荒波を乗り越えた優太に、丙申は思いがけないほど優しく微笑んだ。
「それがわかったのなら、お前さんの人生は無駄じゃなかったんだね。さぁ、あちらに渡らなきゃいけないんだ。手伝っておくれ」
年取った優太が、一年の仕事を終えた丙申の手を引いて道を渡る。
「さぁ、今度は何もあげる物は無いよ」
そう言うと、お婆さんは何処ともなく消え失せた。優太の背中に、目には見えない大きな大きな荷物があった。その荷物の中には幸せな思い出と、不幸な涙が詰まっていた。その不幸な涙さえ、年を取った優太にはほろ苦い思い出になっていたのだ。
優太は丙申が消えた町角を離れて、愛する家族が待つ家へと帰った。
おしまい