黒と白の竜の物語
徒然なるままに書き上げました、おとぎ話です。
ずっとお蔵入りしていましたが、勿体無いので上げました。
1.
――今からざっと数百年程昔の話です。
蒼い月と三つの星を掲げる麗しの王国。その最北に位置する灰色の森に、いつの頃からかははっきりとしませんが二頭の竜が住み着いておりました。
――かたや、新雪の様な純白の鱗に、光に波打つ孔雀石と同じ色の眼を持つ白い竜。
――かたや、夜空の様な漆黒の鱗に、闇に煌めく藍銅石と同じ色の眼を持つ黒い竜。
――かたや、心優しく穏やかで慈しみ深い白い竜。
――かたや、気性が荒く奔放で意地の悪い黒い竜。
正反対の色と性格を持つ不老不死の力を持つ竜たちに魅せられ、大勢の人間達が槍や剣を手に、灰色の森へと押し寄せました。
しかし、時に慈愛に満ちた白い竜の言葉に窘められ、時に怒り狂う黒い竜に撃退されるにつれ、彼らの住まう灰色の森へと人間が足を踏み入れることは少なくなっていきました。
2.
――蒼い月と三つの星が輝く夜のことでした。
今では滅多に人間の訪れることのない灰色の森に、心清らかなお姫様が訪れたのは。
久方ぶりの客人に、白の竜は思わしげにその姿を見つめ、黒の竜は苛立たしげに低い唸り声を漏らします。
――灰色の森に住まう黒白の竜達よ、とお姫様は森の中に澄んだ声を響かせます。
『私の大事なお父様である国王陛下が、密かに盛られていた毒によって、死の淵に瀕しております。
この灰色の森で暮らす貴方方には、如何なる傷や病とて癒す力があると伝説に謳われております。
嗚呼、どうか、黒白の竜たちよ。
私の声に応えてください。そして、どうかその力で、私の大切な父王の命を救ってはくれないでしょうか』
身に纏った美しいドレスの糸が解れ、泥が散るのにも構わずに進むお姫様。
いくら月が輝いているとはいえ、暗い森の中で従者の一人も連れずにいることは、彼女にとって恐怖でしかないのでしょう。
その証拠に、姫君の顔色は真っ青ですし、よくよく見ればその体は小刻みに震えております。
それでも、父王の命を救う手立てがあるのであればと、恐ろしい竜たちの住むという灰色の森に、決死の覚悟で足を踏み入れたのです。
その姿を遠くより見守っていた白い竜は彼女の必死な姿に心打たれましたが、黒い竜は鼻を鳴らしました。
『――月と三ツ星の国の姫よ。
これまでに多くの人間達が己の欲に駆られて、この灰色の森にやってきた。
其方の話が真であると、嘘偽りなく父親を思っての行為だということを、どうやって我らに証明するというのだ?』
姫君の嘆願に応じるように現れた黒い竜。
嘲弄の込められたその問いかけに対して、お姫様は震えながらも足を止めて凛と言い放ちます。
『私は、私の父の命を救うための術は惜しみません。
――黒き竜よ、どうすれば私の話を信じていただけますか?』
『――――なに、簡単なことだ。姫君、貴女は護身のために銀の短剣をその懐に隠し持っているだろう?
病床の父のことを思っているのであれば、貴女の持つその美しい短刀で心臓を突くといい。
麗しい姫君、勇敢な姫君。貴女が父親のために命を懸ける覚悟さえ見せるというのであれば、その話を信じてやろう』
白い竜が止めるよりも早く、軽やかに言い放たれた黒い竜の言葉を聞いたお姫様はにこりと笑ったかと思うと。
――そのまま持っていた銀色の短刀で、胸を突き刺して死んでしまいました。
『白き同胞よ、この愚かな姫君を見ると良い!
我が言葉を信じ込んだ挙句、父王を救う前に己の命を断ちよったわ』
『黒き同胞よ、なんと酷いことをこの姫君にさせたのだ!
君にはこの姫君が父へと向ける、優しい想いを感じられなかったのか』
喉を反らして哄笑する黒い竜を、白い竜は悲哀に満ちた声で諭します。
姫君の骸の側に舞い降りた白い竜は、そっと己の鼻先をお姫様へと当てました。
『――――黒き同胞よ、この姫君の願いに君はどう応えるつもりなのか?』
『白き同胞よ、こんな愚かな人間の為したことなど我らには関係あるまい』
『嗚呼、同朋よ。君の振る舞いはあまりにも不実だ。君は姫君に報いる気など無かったのだね』
そのままいずこかへ飛び立とうとする黒い竜を、白い竜は哀しい眼で見やると、真珠色の牙を己の前足へと突き立てました。
人間たちが伝説として語り継ぐ如何なる病も毒をも癒す竜の血が、ポタポタとお姫様へと降り注がれます。
――――すると、死んでいた筈のお姫様は息を吹き返しました。
『白き同胞よ、君はなんということをしたのだ!
我らの血を他者へ与える程、竜の不思議の力は失われて、二度と元に戻らぬと言うのに!』
『黒き同胞よ、我が唯一無二の兄弟よ。――君には……決して分かるまい』
白い竜の力が失われていくことを嘆く黒い竜に、目覚めたお姫様を抱き寄せた白い竜は、静かな声でそう囁きました。
『――黒き同胞よ。
この姫君が父王のために命を懸けた姿を、私は心の底から尊いと思った。
けれども君は。君はこの姫から何かを感じることは無かったのだろう?』
『白き同胞よ、君は何を言っている。
いや、そのようなことはどうでもいい。君は何故このような者に君の慈悲を与えるのか。
今まで人間達が我らに対して行ってきた仕打ちを、忘れた筈はあるまいに』
金剛石の歯をむき出して怒りをあらわにする黒い竜に、お姫様を抱えた白い竜は背を向けて、そう呟いたのでした。
『――かなしいことだ。同胞よ、君には【 】が欠けているのだろうね』
一言だけ言い捨てると、そのまま白い竜はお姫様と共に森から飛び立っていってしまいました。
『白き同胞よ。そんな人間の小娘の何が君の心を震わせたというのだ!
いや、そのような些事はどうでもいい! 何が我に欠けているというのだ!?
ありとあらゆる叡智とどんな敵をも蹴散らす爪と牙。
――それらを兼ね備えた竜たる我に、一体何の不足があるというのか!!』
混乱した黒い竜は白い竜の背に向けてそう吠えましたが、白い竜が振り返ることは決してありませんでした。
3.
蒼い月が地の果てに沈み、海の向こうから紅い太陽が昇ります。
紅い太陽が地の果てに沈み、海の向こうから蒼い月が昇ります。
無数の昼と夜が幾度も繰り返されるなか、黒い竜は白い竜が最後に残した言葉について、ずっとずっと考えています。
――どんな賢者にも負けない知恵を持つ自分に欠けているものは何なのか。
――どんな騎士にも負けない武器を持つ自分に欠けているものは何なのか。
どれだけ長い間考え続けても、答えが浮かび上がることはありません。
いいえ、白い竜が去った灰色の森で暮らす黒い竜は、考え続けるしかないのです。
――大空を舞う小鳥から、遠くの都の王様が竜の血によって癒されたという話を聞きました。
――大地を奔る動物から、竜の力を失った白い竜がお姫様と結婚したという話を聞きました。
風とともに柔らかな春が訪れたかと思うと、陽射しとともに激しい夏が立ち去りました。
小鳥たちが賑やかな秋が始まったかと思うと、獣たちの密やかな冬が終わってしまいました。
春に芽吹いた甘やかな香りのする花が散ったかと思うと、夏にはみずみずしい若葉が生い茂りました。
秋の熟した艶やかな果実が森の獣たちを満たしたかと思うと、冬の凍える冷たい雪が森の獣たちを苛みました。
白い竜がいなくなってから、気が遠くなる程の長い長い年月が経ちました。
――それなのに残された黒い竜は、灰色の森の奥深くで、自分には何が足りなかったのだろうと今でも考え続けています。