厨房に響き渡る怒声
「ふざけるな!俺の料理に口出しするつもりかっ!」
厨房内に怒声が響き渡る。厨房には権威があった。このミロマーレ王国の料理の粋が集まり、歴々から数多の貴族や国賓達が絶賛した。
王国を代表する料理人たちの栄光の場に似遣わしくない怒りを抱いているものがいた。
その料理人こそ25代王国料理長パロメーザ・ヴィスヴェルダン男爵であった。彼は大胆な発想と繊細な技術で31歳という若さで王国料理長の地位に上り詰めた鬼才であった。
厨房の仲間達からはただ一人を除いてパロメの愛称で通っている。熊のような体躯と歴戦の傭兵も真っ青なるくらいの顔のいかつさから想像もつかないほど、その手から美味が生み出される。
この厨房には暗黙のルールがある。メニューは例え王といえども口出しできない。
「ふざけてなどいない。ふざけいているのはお前だ!パロメーザ料理長っ!!私はレシピの変更を頼んだ覚えはない。いつも通りのメニューを出し給え!」
パロメーザが言い争っている相手はバルマン伯爵。先代バルマン伯爵が没し、その家督を継いだばかりであった。若くして地位を引きついだこともあり、周りに侮られないように王国の”食”を司る料理長に噛みついたのである。しかし、バルマン伯爵が文句をつけるのに理由があった。
「何様のつもりだ。この厨房は俺の王国だ!王からも料理のことは俺に一任されている。成り立ての伯爵が出る幕ではない!」
「き、貴様!良いかこの度の食事会の客人はカイロス帝国のアリシア・アムーダだ!場を設けるだけでどれほどの労を費やしたことか!貴様に分かるか!戦争が起こるかもしれない。だから絶対には失敗は許されないのでだ。だからいつもの料理を出せ!」
「貴殿の都合など知らん!いつもの料理だからこそ俺は提供したくないのだ!」
「許さん!伯爵の権限を以て命じる。いつもどおりのメニューを出せ!」
バルマン伯爵が噛みついた理由は、食事会と称したカイロス帝国との会談であった。カイロス帝国は近年急激に軍備増強を促し、隣の国であったルセット王国に攻め入り、国の一部を併合したのであった。会談に訪れるのは、冷徹無比の女将軍であるアリシア・アムーダである。曰く抵抗した兵士を家族の目の前で切り殺した。曰く女子供を痛めつけながら笑っていた。女将軍の残虐性を示すエピソードは嬉々と語られてた。沢山の人間の未来がかかっている。重要な会談の場を取り仕切ることが決まったバルマンといえば、ストレスで胃が開くのではないかという重圧である。要は家督を引き継いだばかりの繊細な時期に事を荒立てたくないのであった。
よってバルマンは料理の王国でよく食されているメニューに変更を求めていた。
パロメーザは料理に邁進することで、余計なものを削ぎ落としてきた。自分で自分の道を切り開いてきたこともあり、その経歴には自信が満ちていた。自分の仕事に責任を持つ。それゆえに言い訳が苦手であった。
自らの料理の腕を以って相手を言い負かしてきた。その自負もあった。
彼の会談のために考案したメニューであれば冷徹無比な女将軍も満面の笑みを浮かべることも容易だと考えていた。
しかしその機会が奪われればただの人である。
パロメーザが料理長を務めて美味のみを追求し提供してきたため、上からの物言いをされることはなかった。
厨房には白けた雰囲気が漂っており最悪の雰囲気になっていた。パロメーザは料理には”真摯に”向き合うことを決めていた。
「わかった。今回はいつものメニューでいく!」
「えーパロメ料理長!オイラ、朝から鶉を何匹も絞めるましたよ。これどうするんですか?」
「スー。すまないすべてのメニューを元に戻す。今作っているものは後で俺が賄にしてやる」
「パロメ料理長大好きっ!!」
肉料理担当者のスーが疑問を投げていたが、料理長自ら賄を作るという言葉で一掃されたようだ。
「バルマン伯爵。貴殿の言うとおり。いつもの料理にする」
「各自材料・調理器具の確認に移れ!時間がない」
パロメーザはバルマンを一瞥すると厨房の奥に戻っていく。漂っていた悪い雰囲気を吹き飛ばすように明るく努める姿は先ほど怒りは霧散していた。
「最初から素直に言うとおりにしていれば良いものを…」
パロメーザが各担当に指示を飛ばす様を見てバルマンが悪態をつく。
「伯爵。前菜だけいつもの料理の材料を人数分出すだけの新鮮なものがない。素材の味を理由に俺の料理が見下されるのは我慢ならない。1品だけ事前に検討していたもので進める。それも許されないようであれば俺は今回の調理をおりる」
ここで料理長に降りられて、ままならない料理が出てきてしまっても困る。この考え自体が王国料理人たちを見下していると考えれらるのだがバルマン伯爵本人は自身のことで精一杯で考えが及んでいないようである。
「ちゃんとコース料理として成り立つんだろうな!?」
「問題ないと心得ている」
その言葉を信じてバルマンは許可するしかなかった。