第十一話 拠点への突入
それから二日後――
僕とフレアは再び探索者の姿に身をやつして、
都市の中で状況の確認を行っていた。
状況は想定した通りに推移していた。
今のスワルガを動かしているのは一つの噂だ。
それは、
独立派に追われているアルテミシアの使いが、
黄衣派に保護を求めようとしている、
というものだった。
黄衣派には幾つか、
独立派の襲撃を凌げる要塞級の拠点があり、
アルテミシアの使いはどれかに逃げ込もうと、
施設の周辺に隠れて隙を窺っているらしい。
そんな内容がまことしやかに囁かれていた。
既に黄衣派とアルテミシアとの間では、
密約が交わされており、
独立派を陥れるための策が動いている。
そんな風に語られることもあった。
独立派は噂の真偽を確かめるために人を動かす。
だが厳しい警備が敷かれた要塞というのは、
アルテミシアの問題とは関わりなく、
黄衣派にとって、重要な施設なのだ。
その周辺を独立派がうろつくことは、
黄衣派の感情を更に逆撫でしていた。
また黄衣派にとっては、
アルテミシアからそんな連絡がない以上、
噂そのものは濡れ衣である。
だが今後、その申し出があった場合、
それは確かに独立派を潰す好機となるため、
事実無根であると発表はしていなかった。
正確に言えば一部の支配層は、
アルテミシアからの接触を待っていた、
と言ってもいいかもしれない。
黄衣派自身も、独立派を叩く口実を求めて、
僕らを探している節があったのだ。
その動きを独立派も察知しており、
それが黄衣派への不信感を更に煽っていた。
こうして独立派と黄衣派の対立は、
更に深まっていく。
(あなたの計画の通りですね)
フレアは目を細めた。
山師たちのねぐらを巡りながら、
噂の広まり具合を確かめて僕は頷く。
(ここまでは問題ないな。次の段階に移ろう)
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
翌日のこと――
僕は独立派にメッセージを送った。
もちろん複数の情報屋を経由して、
秘密裡にである。
その内容は、
独立派が、リバース・セントラルと手を切り、
リバース・セントラルの工作員を引き渡せば、
アブラハムの件については、
独立派にとって有利な証言をしてもよい、
というものだった。
独立派からの返答は、
ともかく直接会って話がしたい、
の一点張りだった。
もちろん無視した。
僕らとしては受ける理由はない。
今顔を合わせたところで、
話し合いなどできるはずもない。
殺し合いになるだけだった。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
そのまた翌日――
準備を重ねた僕たちは、
無名墓標の社の傍近くに潜伏していた。
時刻は夕方に近く、もうすぐ夜だ。
だが社は電気灯で明るく照らし出されている。
盗人が潜り込めそうな暗闇はない。
(始めようか)
(……本当にやるのですか)
(もちろんだ。勝算はある)
そして僕たちは探索者の装束を脱ぎ、
町を歩き始めた。
聖域である社の周囲に並ぶバラック。
そこに住んでいるのは、
百人以上の黄衣派の信徒たちである。
だが現在あらゆる店の戸は閉じられ、
出歩く者もいない。
それでも町は騒がしかった。
門前町の通りの端々には、
明らかに黄衣派ではない、
多様な服装をした荒くれ者たちが
うろうろとしていたのだ。
その中を僕とフレアは歩む。
荒くれ者たちの視線が、
じらりと僕の身に集中する。
一言、二言、男たちが囁き合う。
一人がその場から全速力で走り去る。
男たちが輪を作り始める。
頃合か。
(フレア、僕を背負ってくれ)
そこで僕は足を止める。
(分かりました)
フレアは頷くと座り込んだ。
僕はその背中に身体を乗せる。
用意しておいた固定紐で、
身体をしっかりと密着させる。
僕が途中で気絶したとしても、
落ちないように、しっかりと。
そして僕はひょいと軽く持ち上げられる。
男たちは僕らの姿に困惑している。
(上下動はできる限り控えてくれ)
(約束はできません)
(できる範囲でいい)
その瞬間、超絶的な加速と共に視界が流れる。
その後は重力を感じない自由落下状態となる。
そしてどずんという衝撃を伴った着地。
気付けば僕らは男たちの輪の外に立っていた。
男たちは呆然とそれを見つめ、
そして我に返ったように叫ぶ。
僕らを捕まえろ、と。
そして追跡が始まった。
僕らは一時間に渡って、
町の中をぐるぐると逃走を続けた。
スワルガ全域に散っていた独立派は、
しばらくするうちに社の周辺へと、
集まっていった。
独立派も馬鹿ではない。
単純に後ろを追うばかりではなく、
僕たちと社の間を分断するように、
人の群れを配置していく。
また逆にこの場から逃げられないよう、
周縁の裏通りへの退路を閉ざすように、
包囲網を着々と構築していた。
僕らは既に、
地上だけでは逃げきれない状況にあって、
バラックの屋根の上を跳び回っている。
僕の三半規管はどうにかなりそうだった。
(……そろそろいいだろう。突入だ)
僕は眼下に揃った電気灯の列を見つめつつ、
吐き気を抑えてフレアに告げる。
(分かりました)
フレアは答えると、空中で姿勢を整える。
着地と同時に反転すると、
無名墓標の社に向けて全速力で走り始めた。
その先には、進行を阻む人垣がある。
だがフレアは強引にその上空へと踏み切った。
暗闇の中を滑空する。
空気を裂く感触が肌を駆ける。
下方から幾つも銃声が響いた。
背中を何かがひっかいていく。
そして人垣を飛び越える。
自由落下する。
大地が近付いて来る。
ずだんと道を踏み抜くように着地する。
追いかけろ、と背後で叫びが上がった。
フレアはそのまま走り出す。
バラックの間を最短ですり抜け、
散発的に挑みかかってくる独立派を投げつつ、
社への参道に飛び込む。
登り坂と階段の複合された参道を、
数段飛ばしで駆け上がる。
そして、見えてきた。
無名墓標の社の門だ。
門扉は重厚な鋼板で、
今はしっかりと閉ざされていた。
門の両脇には巨大な柱がある。
柱の中は空洞で格子越しに中が見える。
中からは双神の立像が参拝者を睨みつけていた。
門扉の上には巨大な櫓が乗っている。
その壁面には銃眼が穿ってある。
その奥には幾つかの銃口がちらりと見えた。
そして櫓の上では、
華美な彫刻で飾られた屋根瓦が、
電気灯の光に照らされて銀光を放っている。
門扉の前には、数十人が集まれる広場がある。
普段であれば、礼拝が行われる場所だ。
だが今は、臨戦態勢の僧が待ち構えていた。
かなりの数だ。
その全員が武装している。
銃もあれば、槍などの格闘戦用の武器もある。
警戒している様子で、
登ってくる僕たちを見ている。
無論、その視線の半分以上は、
僕たちの後ろに迫る独立派に向けられていた。
「止まれ!」
僧の一人が叫ぶ。
フレアは彼らの前で減速する。
その背中で僕も負けじと叫ぶ。
「僕たちは保護を求めている!
どうか話を聞いていただきたい!」
完全に止まったフレアの背から、
転がるように離れながら、
広場の鋼板をがりりと蹴って、
僕は素早く立ち上がった。
その斜め後ろにフレアが控える。
(フレア、背後の警戒を頼む)
(いいでしょう)
そして告げる。
「僕はアルテミシア商会の使いだ。
僕と話ができる人間はいるか!」
黄衣派の僧たちはざわめいた。
殺気が薄れる。
数人の僧が囁き合う。
その囁きは一向に終わらない。
まだ名乗り出る者はいない。
その間にも背後からは独立派が押し寄せてくる。
「もう独立派が来るぞ!
まだ意見はまとまらないのか!」
そこで一人が前に出た。
四十代程度の男だ。
おそらくここの警備の責任者だろう。
高価そうな服を着ている。
男は慌てた表情で、僕に言う。
「我々はあなたを歓迎いたします。
ただ、この場には、あなたと
話ができる地位の者がいないのです」
そして僕を守るように僧を動かす。
参道を登ってきた独立派と、
黄衣派の僧が向かい合う。
「そこの者に案内させます。中にお入りを……」
男は独立派から目を離さないようにしながら、
僕たちを門の内へと誘う。
独立派から叫びが上がった。
「そこのアルテミシア野郎を匿ったらどうなるか、
分かってるんだろうな! てめえら!
俺たちは容赦しねえ! やる時はやるぜ!
今なら穏便に済ませてやるから、
黙って引き渡しな!」
粗野な叫びだ。
責任者の男はぎらりと表情を険しくして告げる。
「下がるのはお前たちだ!
ここをどこだと思っている!
我らが聖地、無名墓標の社よ!
不心得者は何者であろうとも、
この門から先には通さん!」
「言いやがったな! この野郎!」
独立派の怒りは頂点に達していた。
ブーイングの嵐が巻き起こる。
下品なハンドサインが次々と、
警備責任者に向けられる。
独立派は自分たちが負けるとは思っていない。
それだけの数が臨戦態勢で集まっているからだ。
対して黄衣派は戦闘準備ができていない。
数では完全に劣っている。
また防衛戦をするにしても状況は厳しい。
門を閉ざした状態で篭城できていれば、
おそらく黄衣派有利で戦況は推移しただろう。
だが今は門外に主力が出ていた。
篭城を行うためには、
まず主力を門内まで退避させた上で、
門を閉じる必要があった。
おそらくそれを達成するまでには、
かなりの犠牲が出るだろう。
だが戦力比を見るに可能ではある。
武装の質を見れば、
黄衣派の方が強力だからだ。
結末としては、
多くの犠牲を出しながら閉門。
その後は黄衣派が専守防衛に努め、
独立派は攻めきれずに撤退。
そのような形になる可能性が高い。
だが、それは僕が望む道ではない。
(頼んだぞ、レイミア)
さて仕込んだ準備はうまく機能するだろうか。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
それは昨日のこと――
僕とフレアは再び探索者の姿に身をやつし、
都市に出てきていた。
そのまま約束の場所に向かう。
そこは、中心街から離れた裏通りの酒場だ。
男女の密会にもよく使われるような場所だ。
到着するとすぐ個室に案内される。
待ち合わせの相手は既に来ているようだった。
部屋に入るとフレアはそのまま扉の脇に留まる。
「ナイジェルはうまく、
繋ぎをつけてくれたようだな」
僕は、探索者の外套を取ると相手を観察する。
個室のテーブルに、
血の気のない白い顔で座っていたのは、
かつてレイミアと名乗った黄衣派の女だった。
「久しぶりだな。一週間ぶりか」
「あなたはアルテミシアの……」
一瞬、女は僕の名前を思い出せなかったようだ。
「ラッカードだ」
僕は自己紹介して微笑む。
「感謝する。
この忙しい時期によく時間をとってくれた」
女はいきり立つように表情を険しくした。
「脅しておいて、よく言います」
「何のことだ?」
僕は微笑みを維持する。
「僕は話し合いたいことがあると伝えただけだ。
トビー・ビショップ……
いや、トビー・アブラハムという男について、
だがな」
女の表情が凍りつく。
「レイミア・エルドリッジ。
僕は君についてよく知っている。
生まれも育ちも、今の交友関係、
家族も何もかもな。
悪いと思ったが調べさせてもらった。
ナイジェルも協力してくれたからな、
間違いはないと思う。
それにしても、君は随分と、
トビーと親しかったようじゃないか」
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
トビー・ビショップという男は優秀だったが、
いかに神がかった潜入技能があったとしても、
あの厳重な警戒に忍び込むには、
それだけでは足りない。
十分に練りこまれた警戒体制というのは、
それが平常通り進んでいる限り、
一人一人の護衛がそれほどの力を持たずとも、
潜入できるような隙はできないと考えていい。
逆に言えば、何か一つでいい、
想定外のアクシデントを発生させて、
十分な連携をとれなくしてしまえば、
それなりに潜入可能な経路が生まれてしまう、
ということだ。
その最も簡単な方法が、
内部の裏切り者に手引きさせることだった。
トビーに脅されていた者がいたのではないか。
最初はそう予想して調査を進めたのだが、
その形跡はなかった。
そもそもトビーは真っ正直な男だった。
彼がそんな策を取るとも思えなかった。
そうなれば次はこうだ。
トビーの思想に共鳴した者がいたのではないか。
彼の行動は正義そのものだ。
ソーマ製造者への怒り。
スワルガではそれなりの人間が共有する感情だ。
その線を探った僕は彼女にたどり着いた。
レイミア・エルドリッジ。
彼女はナイジェルに育てられた孤児の一人だ。
だが、その優秀さのために、
黄衣派に拾い上げられた幸運な孤児である。
拾い上げられてから十年、
彼女は黄衣派の革新派の重要人物となっていた。
ちなみに彼女の両親はソーマ中毒で死んでいる。
彼女は明らかにソーマを憎んでいたし、
今もナイジェルの孤児院に寄付を続けていた。
「彼女は信頼できる人物だ」
とナイジェルは苦々しげにそう言った。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
「君がトビーを手引きしたことは分かっている」
この情報は彼女にとって致命的であった。
黄衣派に売れば、彼女は破滅する。
生死を握られながら女は僕を睨みつける。
「何が望みなの?」
「僕は君の裏切りをどうこう言うつもりはない。
それは黄衣派の中の信義の問題だからな。
だがソーマについては別だ。
僕らはソーマの存在を、迷惑に思っている。
できれば根絶したい、ともね。
今まで黙認していたのは、
製造者たちが控えめな売買を続けていたために、
その正体が掴めなかったからに過ぎない。
だがこうして把握できたなら、
僕らは、黄衣派の全てを、
大陸から消し去ることさえ躊躇しないだろう。
これはアルテミシアの言葉と認識してほしい」
最後の一言にレイミアの身体が震え始める。
半分は嘘だ。
ソーマなどどうでもいい。
それが貴族の認識だった。
だがアリスならこの悪を叩き潰すことを、
躊躇ったりはしないはずだ。
だからこの言葉を出すことに恐れはない。
そして僕はアリスに頼る気は毛頭なかった。
この程度のことに、
アルテミシアが出る必要もない。
僕が一人で片付ける。
「だが、レイミア・エルドリッジよ。
僕は君を知っている。
現状を憂いてトビーに協力した君を知っている。
僕は黄衣派の全てが悪だとは思わない。
黄衣派の中にも、
ソーマ製造に反対の者がいるだろう。
君がそうやってトビーに協力できたのも、
君の行動を支持する人々が、
黄衣派内に存在するからじゃないかな」
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
黄衣派――
それは破戒都市スワルガの最大勢力だ。
だがその巨大すぎる集団は、
決して一枚岩ではない。
無数の小派閥の集合体と言ってもいい。
だがその集団は大きく二つに分けられた。
革新派と守旧派、である。
革新派の主張は非常に生臭いものである。
黄衣派はスワルガ内の最大勢力であり、
規模に相応しい影響力を持つべきだ。
しかし現在の黄衣派は、
古い考え方に凝り固まって、
自縄自縛となっている。
そんな役に立たない信仰は、
捨ててしまえばいい。
そうすれば、今すぐにでも、
黄衣派はスワルガを支配できるだろう。
言っていることは、
ほとんどマフィアと同じである。
守旧派の主張はその正反対であった。
黄衣派は開祖以来、
権力とは距離をとることを是としてきた。
最大勢力である黄衣派が、
そのような立場を取っていること、
それこそがスワルガの自由な空気の源だ。
彼らは、開祖の理想論を、
そのまま唱え続けていた。
そのどちらが正しいのか。
誰にも言い切ることはできないだろう。
どちらも正しいからだ。
だが都市が平穏であることを願うなら、
守旧派が黄衣派の中枢にいる方がよいだろう。
僕としても、
あまり革新派に政権をとらせたくはなかった。
だが、現状の問題は、
ソーマを製造しているのが、
守旧派であることだ。
古くからの理念を守り続ける者は、
平穏をよく維持する。
だが時を経るごとに、
昔からそう決まっている、
そんな理屈を逃げ道に、
不条理なしきたり、狂った因習を、
積み上げてしまうのだ。
おそらくソーマもその一部だろう。
長い年月に渡って平穏に続きながら、
腐らずにいられる思想など、どこにもない。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
「さあ、変化の時だ。
黄衣派の六百年の膿を搾り出そう。
そろそろ彼らも報いを受けていい頃合だ。
レイミア、君もそう思うだろう?」
僕は微笑み、レイミアは震える。
守旧派と無名墓標の社に関する情報を、
全て引き出した後、僕は彼女を開放した。
そして最後に一つ仕事を依頼した。
「もし社の門前に独立派が集まったなら、
彼らをどうにか怒らせて、
後先考えない暴徒にしてほしい。
方法は君が実行できそうなもので構わないよ」
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
門前での黄衣派と独立派の争いは、
更に加熱している。
そこに一発の銃声が響いた。
突然のことに場は静まり返る。
独立派の中で誰かが呻いた。
大声をあげていたリーダーらしき男が倒れる。
誰もが呆然とする。
どこから誰が撃ったのか。
それは黄衣派としても
予想外のことだったろう。
次の瞬間、独立派が激発した。
銃声が連続して鳴り、
黄衣派の僧が薙ぎ倒される。
槍などの武器を持った者が雄叫びを上げる。
黄衣派も反撃を始めるが、
もはやその戦列は崩れきっている。
独立派が門を押し通る。
乱戦が始まった。
その混乱に乗じ、
僕とフレアは門の中に入り込んだ。




