表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/69

第一話 遙花の春休み 

第二章開始です。



 その日も僕はスターライトと共に目覚める。

 着替えると部屋を出て階段を屋上に向かう。

 あれから三ヶ月が過ぎた。

 遺跡から帰ってきた僕は、

 いつもの仕事に戻っている。

 一つだけ以前と違うのは、

 この半壊したビルの同居人が増えたことだ。


 屋上では既に一人の少女が、

 軽やかに跳ね、身体の動きを確かめていた。

 赤みがかった金髪が揺れ、茜色の瞳が煌く。


(やっと起きましたね。

 早く準備体操を済ませてください)


 彼女の名はフレア。

 僕の隣人であり、

 人の姿を模したロボットである。


(お前も、まだ髪をくくっていないぞ)


 僕は手足の筋を伸ばしながら言う。

 フレアは髪に触れると、


(そうでしたね)


 ポケットから紐を取り出し、髪を縛る。


(準備完了だ。始めようか)


 準備が終わると僕らは向かい合い、

 日課である早朝の稽古を始めた。


 これは僕のためでもあり、

 フレアのためのものでもある。

 というのも、

 考えてみればフレアは己の正体を隠すために、

 ロボットとしての装備は人前では使えない。

 実質、武器となるのは手足だけである。

 しかしその割に彼女の動きは不器用だった。

 だからまず近接格闘を鍛えることになった。


 稽古時の条件としては、

 フレアは出力を人間並みに制限。

 使っていいのは手足のみ。

 打撃、関節技、投げは全て使ってよい。

 急所突き・関節技は寸止めをする。

 というような形だ。

 勝敗は寸止めが入った時点で判定とした。


 もう二ヶ月はこれを続けている。

 最初は正面から攻めるだけで勝てていたが、

 最近はかなり厳しくなっている。

 今はもう僕の癖はほとんど学習されており、

 どんな攻め手も危なげなく対応される。

 特に腕への関節技には、

 よくない思い出があるようで、

 防ぎ方の研究には余念がない。


 脇を締め、肘を胴体に密着させ、

 腕を小さく折り曲げた構えは、

 腕は何があってもとらせない、

 という宣言に等しい。


 腰も低く落とし、常に膝に余裕を持たせて、

 身体が浮いてしまうことを予防している。

 そして片足に重心が寄ってしまうのを嫌い、

 常にバランスをとっている。

 また遠距離ではそうでもないが、

 手足の届く距離ではつま先を大きく上げず、

 地面を摺るようにして足を動かした。

 これらはおそらく投げや足払いへの対応だ。

 そちらにも苦い経験があるらしい。

 反面、打撃への対応はまだ甘い。

 間合いの見極めが甘く守りを固めるために、

 大きく距離をとることが多かった。

 これがそのまま、

 反撃の芽を潰すことに繋がっている。


 フレアの防御力は確かにかなりましになった。

 では攻めはどうかというと、まだ甘い。

 そもそも彼女の現在の構えが、

 防御に偏重しすぎていて、

 攻撃に移りにくい形なのだ。

 また安定を優先しすぎて、

 攻撃に有利なポジションまで、

 一気に飛び込むことができていない。

 拳で攻撃しようにも、

 かちかちの現在位置からの軌道は限られる。

 一本足の不安定さを避けているのか、

 蹴りもほとんど出せていない。

 そのために攻められない。

 そしてそれがそのまま、

 強引に攻める際の隙にもつながる。

 ここが狙い目だ。


 安易な攻めを引き出し、

 防御が崩れたところを突く。

 僕はこれで勝ちを拾っていた。

 僕に投げられ、固められ、

 急所を打たれるたび、少女は呟く。


(……なぜこうも勝てないのでしょうか?)


(身体能力が同じなら、

 後は技術の問題でしかない。

 自分で考えてみることだ)


 僕はそう言うに留めた。

 もっと助言すれば、

 より早く成長するのかもしれない。

 そうなるとすぐに勝てなくなりそうな気がした。

 彼女の成長速度は恐ろしいほどのものだった。

 これでは、いつまで勝てるか分からない。

 僕もそれ以上に鍛えていくしかない。

 気を引き締める。



 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 三十分ほどで稽古を終えると、

 僕らは廃ビルを出た。

 ここは町の周辺部にあり、人影は少ない。

 だが十五分も歩くと市街地に入る。

 そこは半壊した倉庫街だった。

 かつては港湾地区――

 特に貨物等を降ろし、保管し、積み込む、

 ターミナルの役割を果たしていたはずだ。

 今でも原型を保っている倉庫は、

 数多の商人の本拠地である。

 また空き地には不恰好な家屋が立ち並び、

 商人や山師向けの商売を行っていた。


 市街地では、多彩な商品が取引されており、

 早朝でも既にかなりの人が働き始めていた。

 その中にはよい身なりをした者も混じっている。


 ここはトランスポーターの周囲に自然発生した、

 貴族との交易の町なのだ。

 ベルト各地のあらゆる産物がここに集まり、

 セントラルの産物が逆に出荷されていく。

 そして掘り出し物を抱えた山師もここに集まる。


 治安は決してよくはないが、

 それほど悪いわけでもない。

 何より貴族のお膝元である。

 比較的平和で活気に満ちた町だった。


 ここに駐在している貴族の大半は、

 ほとんどの場合、

 トランスポーターを囲む城壁の中にいる。

 貿易を営んでいたとしても、

 外にあるのは窓口だけだ。


 だが、ただ一つだけ奇特な商会があり、

 その壁外に構えられた窓口には、

 貴族本人が居座っている。

 それがアルテミシア商会だった。


 アルテミシア商会の本拠地もまた、

 巨大な倉庫を転用したものである。

 だが事務所は、別の棟を利用していた。

 威圧的な雰囲気のある四階建ての建物。

 六百年前、大陸が漂流を始めた当時から、

 立て直したことがないとしても不思議ではない。

 最初からそこにあった何らかの建築物を、

 そのままに占有していた。


 この町に正式な名はない。

 だが通称ではこう呼ばれている。

 アルテミスの町、と。

 ここが誰の支配する領域なのか、

 誰もが知っていて、そう呼んでいるのだ。


 事務所に到着すると、

 そこにいたのはアリスだけだった。


「おはよう、アリス」


 ベルはしばらくいない。

 アルテミシアの代理で、

 評議会に出席するため、

 セントラルに上がっているのだ。

 本来の評議員であるアリスは、

 事務所の奥の柔らかなソファに寝転がり、

 いつものように暇そうにしている。

 面白そうなことが見つかるまでは、

 大体こんな調子だ。

 僕とフレアは窓口の準備を始める。

 そこでアリスが億劫そうに言う。


「ねえ、ラッカードさん」


「なんだ?」


「そろそろ春休みだよね。

 あの子が来る頃じゃないかな。

 準備はもう大丈夫?」


 僕はカレンダーを見る。

 今日の日付に赤丸がついている。

 三ヶ月前に妹様が来た時につけていったものだ。

 学院の終業式は昨日だった。

 忘れていた……

 忘れていた、などと知られたら、

 どんなことになるやら。

 まずは部屋の準備をしなければ。

 だがその前に……

 頭痛を感じながらフレアを見る。


「うまく説明するんだね。

 間違ってもあたしに迷惑をかけないように」


 アリスはひらひらと手を振る。

 フレアは首を傾げて、僕を見た。


「どういうことですか?」


「僕の妹、みたいなのが来るんだ。

 セントラルの学院が休みの間は、

 いつもこちらで過ごしている。

 そいつがちょっと思い込みが激しいというか、

 誤解をしやすい性格なんだ。

 できれば今日は一人で迎えに行かせてほしい」


 僕は懇願する。


(そんな言い訳が通じると思っているのですか)


 フレアは微笑むだけだった。


「問題ありません。一緒に行きましょう。

 あなたの妹なら、私も会いたいです」


 その声音は冷たい。

 フレアはいまだに、

 僕の単独行動を許していなかった。

 この三ヶ月――

 常に影のように僕の傍にいたのだ。

 それは誰に対しても、

 誤解されるに足る状況だった。


「愛されてるねえ」


 アリスは心底どうでもよさそうに呟いた。



 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 事務所の四階の居住スペースの掃除をしながら、

 僕とフレアは午前中ずっと交渉し続けた。

 そして遂に、

 僕を十メートルの距離を開けて尾行する、

 という最終案で合意したのだった。


 その頃には昼前になっていた。

 そろそろトランスポーターの下りが来る時間だ。


 僕は事務所を出ると、町の中心に向かった。

 防壁は許可証がなければ通ることができないが、

 その点を心配する必要はない。

 アリスから正式なものを交付されている。

 門の中には貴族の邸宅が広がっている、

 という訳ではない。

 あくまでこの警備は、

 トランスポーターを保護するものであって、

 貴族の邸宅はその中でも壁に囲まれていた。

 壁に囲まれた大通りをしばらく歩くと、

 トランスポーター発着場に到着する。


 トランスポーターとは、

 重力操作を利用した移動装置だ。

 三つ一組の装置で、

 二つが発着場所に、

 一つがゴンドラに設置されると、

 ゴンドラは発着点の間を、

 往復し続けることになる。

 本来は資材運搬用のシステムであり、

 人を運ぶのは連絡艇の仕事であった。

 だが、それらが残らず失われた現在、

 あらゆる運搬がこのシステムで行われていた。


 ゴンドラはセントラルを出発したようだったが、

 まだ十数キロもの上空にある小さな一点で、

 それがここまで降りてくるには時間がかかる。

 周囲を見回すと、フレアは広場の隅にいた。

 何も言ってこない。

 ただ、周囲を探っているようだった。


 彼女はこの三ヶ月、

 この町に溶け込むことを目指して、

 知識を収集していたようだった。

 ご近所での評判もよく、

 いつ結婚するのか、

 とたまにしか行かない店でも尋ねられるほどだ。

 ……何だか方向性が間違っている気がするが、

 まあ、好感を持たれるというのはいいことだ。

 ともかく調査の甲斐あって、既に彼女は、

 一人でもベルトの住民として、

 おかしくない振舞いをすることができていた。


 僕は考える。

 あいつは僕の利用価値を、

 どの程度と見込んでいるのだろうか。


 情報源としての僕の価値は、

 時間が経過するほどに低下していく。


 もう僕を切って、単独で行動した方が得だと、

 感じているのではないだろうか。

 あいつはそれなりに誠実なタイプだが、

 たった一つの口約束で、

 最後まで縛れるとは考えない方がいい。

 切られる前に、僕の方から切るべきか。

 罠を仕込んでおいた方がいいだろうか。

 どうするべきか、何に注意するべきか。

 リスクを最小にするために必要なことは何だ?


 自分でも嫌になるが、

 最悪の状況のシミュレーションは、

 無意識に繰り返すようになっていた。


 僕は答えの出ない思考を続ける。



 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 数十分の後、巨大なゴンドラは到着した。

 小さな点だったそれは、

 直径十メートル、

 高さ十数メートルの円柱となっていた。

 発着場にゆっくりと降りていく。

 今が近づくには一番危険な状態である。

 今この瞬間にも、

 ゴンドラの周りには上向きの重力場が発生して、

 減速が行われているのだ。

 巻き込まれれば、

 空高く放り投げられた挙句、

 墜落死することになるだろう。

 それからゴンドラは、

 数分かけて最後の数メートルを降りる。

 完全に着地したところで、

 重力場の状態を確認するため、

 周囲に設置されている旗が全て垂れ下がる。

 そしてゴンドラの気密扉が重々しく開き、

 乗降用のスロープとなる。


 出口の前でずっと待っていたらしい誰かが、

 開いたところから周りを見回し、

 僕を見つけた途端、

 すごい勢いで走り寄って来る。

 学院の制服を着た少女だ。

 浅黒い肌にきらめく黒い瞳、

 短く切られた濃い茶色の髪。

 見た通りの小さな体躯。

 身内の贔屓目かもしれないが、

 整った顔立ちをしていると思う。

 少女とも少年とも言えない中性的な感じだ。

 切れ長の濡れた黒曜石のような眼差しには、

 そこに異なる世界を映し出しているような、

 謎めいた静謐がある。

 だがそれは、黙っていれば、の話だ。


「に~い~さ~んッ!」


 遙花は全力疾走で走り込み、

 そのまま速度を落とすことなく、

 僕に頭から体当たりする。


「ぐ、が……は……」


 僕は悶絶する。

 痛い愛情表現だ。

 ぎゅーと抱きつく様はかわいいが、

 年々ダメージがひどくなる。

 何とか堪えた僕に、

 顔を上げた少女は明るい顔を見せた。

 僕の胸に頭をこすりつけて、

 楽しそうに笑う。


「百三日ぶりですね! 兄さん!」


 きちんと数えてはいないがそうなのだろう。


「また大きくなったな、遙花」


「兄さんのためにしっかり育ってきました」


 遙花はそう言って胸を押し付けてくる。

 まだ十四歳だが、

 そのサイズはベルやアリスを完全に越え、

 小さな体躯にはちょっと過剰な大きさに、

 到達しようとしていた。

 これは……

 本当に大きくなったな。


(……ふん)


 誰かに鼻で笑われたような感じがあったが、

 気のせいだろう。

 彼女の名は遙花。

 遙花・アブライラだ。

 セントラルでは僕と一緒の下宿に入っていた。

 僕にとっては妹のようなものだった。

 目に入れても痛くない、そんな感じの存在だ。

 僕がセントラルを追放された後、

 アリスの下で働くようになってからは、

 休みごとに、こちらに遊びに来ている。


「まずは事務所に行こう。

 アリスも遙花に会えるのが楽しみだって」


「そんなこと言って、

 アリスはごろごろしているだけですよね」


 疑わしそうに目を細める遙花だが、

 それでも喜んでいるのが口元から分かる。

 遙花は僕の腕に抱きついたまま歩き、

 出門の手続きをとる。


「やっぱりセントラルより空気がいいですね!」


 遙花は楽しそうに、バラック街を見回し、

 空を見上げる。


「それに宇宙!」


 ベルトはいつでも虚無の宇宙に繋がっている。

 それを恐怖と感じる者もいるが、

 遙花はそうではない。

 彼女はベルトに来るといつもまず空を見上げ、

 そして最高のハイテンションで言うのだ。


「広くて広いですね!

 ああ、すごいですね! すごいです!」


「上ばっかり見ていると、足元が危ないぞ」


「兄さんにひっついているから大丈夫です!」


 ハイテンションのままの妹様。

 僕と遙花は門から続く大通りを進みだした。


 その時だった。

 視界の隅で誰かが拳銃を取り出したのが見えた。


 まずい。


 降りてきたばかりの者が何人か、

 僕らの傍を歩いている。

 その誰かが狙いのはず。

 遙花も直後に気付いたようだ。

 さっと組んでいた腕を離すと、

 すばやく地に伏せる。

 僕は遙花を守るように、

 その上に覆いかぶさり、


 ――死、ぬ。


 狙われている。

 奴ら、無差別に、いや、全員をやる気だ。

 僕たちを狙う男の引き金が引かれ、

 その瞬間、銃が空に弾き飛ばされた。


 フレアだ。


 変異持ちの圧倒的な脚力で飛び込み、

 銃を殴り飛ばしたのだ。


(助かった!)


(どうしますか?)


(制圧するぞ)


(あなたも働いてくださいね)


 フレアは瞬時に銃火の中を走り抜けると、

 三人を殴り飛ばした。

 その間に僕も銃を抜く。

 襲撃犯の残りの人数は見える範囲で二人。

 僕は転がりながら引き金を引く。

 銃弾は、一人の頭を貫いた。

 そのまま、もう一人を狙う。

 最後の一人は僕に銃口を向けていた。


 間に合わない。


 フレアは対角線上で拳を振るっている。

 壁にもならない。


 その瞬間――


 すこんと男の頭が血を噴いた。


 撃ったのは遙花だった。

 隠し武器、小型の銃を握っている。

 敵はそれで最後だった。


 僕らはすばやく道の端に寄る。


(他にいる様子はあるか)


 背を預けたフレアに尋ねる。


(少なくとも周囲にいた人間は、

 もう全員逃げ出してしまっていますね)


 逃げ足の速さはこの町の住民の必須技能だ。

 それにしても、こいつらは何者だ?

 姿から所属を予想することはできなかった。

 強いて分かることを言えば、

 ベルトのごろつきの一人だ、

 という程度だった。


(生きている者はいるか)


(私が拳で気絶させた者は、

 それなりに生きてはいるでしょう)


 そいつらからなら、

 何か出てくるかもしれないな、

 と考えたところで、

 武装したガーディアンが走ってくる。

 貴族に雇われている警備係だ。


 襲撃者は僕らだけを狙ってきた訳ではない。

 ならば後のことは、

 ガーディアンに任せてしまえばいいだろう。


 僕は彼らに状況を説明し引継ぎを行う。

 そして遙花を見る。


「さっきはありがとう、助かったよ」


 遙花はじっと僕を見ていた。


「どうした? ああ、怖かったか?

 そうだな、いきなりの襲撃だものな。

 早く帰ってゆっくり休もう」


 その手をとる。

 だが遙花は動かなかった。

 固まったままの表情で、

 視線は僕の背後に釘付けだった。


「……兄さん、その人、誰ですか」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ