第十一話 祝いの宴
その夜――
キャンプ中央広場で祝いの宴が催された。
ロボットは今夜の宴の主役として、
傭兵や技師たちの間を連れ回されていた。
その輪の片隅で僕は酒を片手に空を見る。
サンライトは遠く、その輝きは弱々しい。
七百メートルほどの高度の天井の骨材は、
地上の灯りを受けて、仄かに輝いている。
その彼方、空は遥か、見通せないほどに深い。
僕にとって、それは当たり前の光景だが、
それは人類が生まれた星の空とは、
あまりに異なっていた。
地球の昼の空は、
建造物の天蓋だ。
惑星は居心地のいい家に似ていると思う。
空はそれが世界の果てであるかのように、
星々の浮かぶ無限の宇宙、その広大さを、
地上に住む人々の目から覆い隠していた。
それは分厚い大気の層がもたらす現象だ。
惑星では人は世界の中心にいた。
ベルトでは全てが異なっている。
ここで空と呼ばれているものは、
光を吸い込む無窮の暗黒だった。
ベルトは何にも守られていない。
ここは虚無に浮かぶ孤島だった。
「今日はありがとうございました」
話しかけてきたのはベルトの少年だ。
「一体どうなることかと本当に心配しました」
「礼はあっちで揉まれているのに言ってくれ」
僕は輪の中心にいるロボットを見る。
彼女は輪の中で、男たちに囲まれて、
どこか恥ずかしそうに微笑んでいた。
「でもあなたの友人なのでしょう?」
「そうだな」
「実は恋人ですか?」
「違う」
「そうなんですか」
少年はどこかがっかりした様子だ。
そういうことに興味のある年頃か。
「君は付き合っている女の子はいるのかい?」
僕は尋ねてみる。
「い、いえ、私は」
慌てる姿を僕は見逃さない。
にやりと軽く笑ってみせる。
「ああ、いるんだな、君の年頃なら、
もうそろそろ結婚の話でもする時期か」
「い、いえ。私はただ見ているだけで」
「片想いなのか?」
「はい。三年間ずっと見守ってきました。
それで十分なんです。
どうも私は好みではないみたいですし」
「少年、まずは告白するべきだな。
君は将来有望な村長の跡継ぎなんだろう?
そして僕が思うに、
君はなかなかにいい奴だ。
本気で押せばいけるさ。
誰かにとられるのを待つだけなんて最悪だぜ」
僕の無責任な助言に少年は苦笑した。
ひとしきり肉を食って、腹を満たした後、
僕たちは酒を手に馬鹿話を繰り広げる。
少年は酒には弱かったらしく、
すぐにへろへろになった。
「おお、ラッカの旦那!
昨夜は災難でしたな!」
そこに声をかけてきたのはジャックだった。
こちらも既に出来上がっているようだ。
その大声に作業員たちの視線が集まる。
「やっぱり旦那は隅に置けません。
こんなド田舎でも一晩で、
女をひっかけられるんですから。
女癖の悪さでセントラルを
追放されただけのことはありますな!」
かっはっはと笑うジャック。
僕も同じように笑い、
「かっはっは、じゃないぜ、この裏切り者!
お前のせいで、どれだけ苦労したことか!」
全力で文句を言う。
ジャックは冷たい眼で返した。
「そりゃ何もかも旦那の女癖の悪さのせいですな。
こういう女絡みの件に限っては、
わしは完全にエンダーの姐さんの味方なのです」
周りの仲間が僕を横目で窺いながら、
ひそひそと囁き合っている。
僕は言い返せなかった。
反論できる要素がないのだ。
何も言えなくなった僕に、
ジャックはわざとらしくため息をついた。
「で、実際のところ、何なんです、あの子?
相当やりこんだじじいでも、
あんな腕にはなりませんぜ」
僕は例のろくでもない作り話を
ジャックに話しながら考えた。
あいつは人間並みに賢く機転に富んでいる。
もちろん人間程度であると言ってもいいが、
あれだけの戦力を持つ存在なら、
人間並みの知性でも、
あるというだけで十分な脅威だ。
大陸は安定した生態圏だが、
やはり一個の宇宙船であり、
惑星とは比べ物にならないほど不安定だ。
僕らでさえこの六百年で、
何度か破滅の淵に転げ落ちかけたのだ。
搦め手で仕掛ければ、
その天秤を破滅に傾かせることは、
何ら不可能ではない。
そして僕は気づいた。
あの時溢れた感情の正体に。
僕は恐怖していたのだ。
彼女が、ただの兵器などではなく、
圧倒的な技術力と分析力を備えた、
考える存在である、ということに。
「ラッカの旦那、どうしたんですかい?」
僕は我に返った。
眼前にジャックの顔が迫っている。
不安そうに僕を覗き込んでいた。
「何でもない」
僕は首を振り、立ち上がった。
宴はまだ続いているが、
もう楽しめそうにはなかった。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
テントの寝床でうつらうつらとしていると、
誰かが入り口の傍まで来ているのを感じた。
「……誰だ?」
「起こしたか? ロッド」
僕は目を擦り、身体を起こした。
「いいや、大丈夫だ」
外からベルが顔だけ覗く。
「こんな夜遅くにどうしたんだ?」
「話をしたい、と思ったんだ」
その表情は何だか、学生の頃、
共に暮らしていた頃のようだった。
「そんなところで突っ立ってないで、
中にどうぞ、引っ込み思案のお嬢様」
僕は手招きをする。
ベルは少し微笑み、
僅かに身体を動かしたが、
それから再び足を止める。
「本当にいいのか」
「もちろん」
僕は頷く。
ベルはゆっくり入ってくると、
所在なげに立つ。
「ほら、座って」
完全に目の覚めた僕は、
椅子を一つ用意する。
「何か飲み物でも、もらって来ようか?」
「大丈夫だ」
ベルは首を振る。
僕を正面から見て頭を下げる。
「昨日は本当に済まなかった。
本当だったらフレアの話を聞いた時点で、
謝っておくべきだったのに
今までできていなかった」
それからベルは悄然として、
「お前のことは私が一番分かっている、
そんな顔をしておいて、私が一番、
何も分かっていなかった」
と呟く。
「そんなことないさ。
ベルが怒ってくれなかったら、
たぶん、その方が寂しかった」
一番真実に近付いていたのはベルだ。
だが僕は本当のことは何も言えない。
だから口先で慰めることしかできなかった。
「昨日の怪我、見せてもらってもいいか。
治療をしたい」
「ああ、頼めるかな」
ベルは椅子から降りて、寝床に膝をつく。
「横になってくれ。その方が見やすい」
ベルは寝そべった僕の身体に触れる。
傷を探し、状態を確かめているのだ。
「骨が折れているな」
すぐに分かったようだ。
淡青の創生光が散った。
ベルの手のひらに、
小さな球体状の霧の固まりが生み出された。
ベルはそれを僕の肌に接触させ、
そのまま肌の内側へと押し込む。
ほとんど抵抗なく、それは体内に浸透した。
何か暖かいような、こそばゆいような感触。
生体再構築――
それはエンダーの貴族としての能力――
というよりはそれを利用した技術に近い。
青い霧の玉が浸透し、崩れ、拡散するたび、
身体の各部にむずがゆさが広がっていく。
治療は僕に覆い被さるようにして行われた。
するとベルの肌も僕に近付く。
なめらかな白い肌――
ベルの匂いがする。
安心できる匂いだ。
僕が自分を見ているのに気がついた彼女は、
体温を上昇させ、少し顔を赤らめる。
だが治療の手は止めない。
もっと大胆に身を寄せた。
その時間はしばらく続く。
「目立つ傷は治しておいたが、
具合の悪い所があれば早めに言ってくれ。
治ってしまった傷をいじるのは難しい」
治療があらかた終わると
ベルは何もなかったように居住まいを整える。
そして僕の目を覗き込む。
「ロッド、正直に答えてほしいことがある」
「僕に答えられることなら」
「フレアは、彼女はどんな人間だ?」
あのロボットが、どんな人間か。
僅かなおかしさが込み上げるが、
それこそ無意味な言葉遊びだ。
その意味では人間なのだろうし、
少なくともその言葉の対象だ。
陽電子脳の構造を機械というのなら、
僕たちもまた生化学的な機械だ。
何も変わりはしない。
そして僕たちが自由だというのなら、
その程度には彼らも自由なのだ。
僕はそう思う。
だが彼女はどのような人間なのだろうか。
僕は彼女のことをどう思っただろうか。
もうベルに嘘はつきたくない。
だから話せることを話そう、
僕はそう決めた。
「色々と問題のある奴だとは思う。
人に慣れていないという点でも、
人のしがらみに慣れていない、
という点でも。
だが筋の通った真面目な奴だ。
やろうと思ったことは、
どんなに難しくても諦めない。
それに一度約束したことは守ってくれる。
そういうところは気に入っている。
だから本当に困っているなら、
手助けをしてやりたいと思っている。
道を間違えているなら、
そう言ってやりたいと思っている」
今も盗聴しているだろう相手に向けて、
僕は最後の一言を強調した。
「場合によっては力ずくでもな」
「しょうがないな、ロッドは」
ベルはそれを聞いて、
困ったように笑った。
いつもの悪い癖だと思ってくれたのか。
「きちんと面倒を見るんだぞ」
何だか犬か猫のことを言うような、
ろくでもない台詞だけを残して、
ベルはテントから去っていく。
その足取りはどこか軽かった。