1-6
腰が抜けていました。
その場に崩れてしまいました。
僕は怪物の消えていったただ一点を見つめることしかできませんでした。
ようやく脅威は、恐怖は去りました。
「ヨーコ!! セレナが、イデアが!!!」
はっ。
「セレナとイデアが死ぬぞ!」
血の赤が強烈に目に飛び込んできます。
鉄の臭いが現実を突きつけます。
「はっ、はっ…。」「ぐぅう…。うぐぅ。」
「血を止めるぞ。イデアのカバンにまだ布あったろ! それで縛れ。思いっきり!」
聞き終わる前にイデアのリュックを暴いていました。
「あった! 縛るよ!?」
「セレナを頼む! オレはイデアやる。」
結び方は分かりません。血を止める方法もわかりません。
でもやるしかありませんでした。
とにかく血が出ないようにしなくちゃ!
「ひぐぅ!!」
目いっぱいの力で傷口を絞りました。
痛さでセレナの顔が歪んでいます。
千切れた断面から、骨が飛び出て肉がはみ出ていました。
「いッ…! ひぎッ!!」
ぎりぎりと歯を食いしばっていました。
「ヨーコ!」
「はい! とにかく縛ってみ…、た。」
「はっ、はっ…。はっ……。」
「どうしよう…。布が短くて…。 ヨーコ!! どうしようヨーコ!!」
左の乳房がなくなっていました。
骨こそ見えてはいないものの、たくさん、たくさんたくさん血が出ていました。イデアよりももっともっと。たくさんです。
そして、どう布をまわそうとしても、布の長さが短く、とても止血はできそうにありませんでした。いろいろと考えをまわしても、そうしている間にも血はとめどなく湧き出てきます。
マリはもうどうしようもできないと、目から涙があふれそうでした。
僕はイデアもセレナも死なせたくありません。マリと出会ったけど、その気持ちはかわりません。
でも、足りなかったです。
何がなのかはよくわからないけど、でも足りなかったんだと思います。
……。
…。
思いの強さかな?
思いを深める時間かな?
もしかしたらってことを考えることかな?
危ないってことをちゃんと伝えることかな?
相手を見極めることかな?
爪を振るわれる前に説得できることかな?
自分にだけ注意をひきつけることかな?
返り討ちにすることかな?
…。
……。
…一番足りなかったのは行動することでした。
僕は動きませんでした。
威嚇することも、攻撃することも、セレナたちを助けようとすることも…。
何もしませんでした。
僕は何もしていないけど、僕の周りは変わって、風景も変わって、色もにおいもかわってしまっています。
頭の良くない僕でも、さすがに気付きました。
行動すると変化が訪れます。
イデアとマリは僕と一緒に旅をするという行動をしたので、自分たちが瀕死の傷を負うという変化が起こったし、マリはイデアをさらったことで僕たちと今一緒にいることになりました。
僕自身は行動していないので、なにも変わっていません。すごく元気だし、心も穏やかです。ただこのままでいたらまた周りは変わっていく。
近く、イデアが死ぬ。
僕は本当に二人が大事なのかな?
イデアは放って置いたら動かなくなってしまいそうだし、僕より後に入ってきたはずのマリは声をあげて泣いているのに。
あれ? そういえば僕はなんで大事なんだっけ?
何が欲しくて守っているんだっけ?
そういうの、あったっけ?
そもそも何かをするなら、戦うなら僕だけのほうがいい。
何も気にしなくていい。
あれ? 戦う? 何と?
さっきの化物。僕はアレと戦うつもりでいる。今度こそ戦うつもりでいる。
でも、いや待て。そうじゃないぞ。
何のために戦うのか、ってことかな。
イデアとセレナの敵をとる、ってこと。かな。
いや、もっともっと。深く。
頭痛い。こんなに頭使ったことないよ。だって一人だったんだもん。
一人ならこんなこと考えなくてよかったし、多分戦わなくてもいいんだと思う。
でも、楽しかった。
セレナはいろんな事とか言葉とか教えてくれるし、イデアはおいしく肉を焼いてくれるし。それにマリも多分いろんなものを見せてくれる、ハンモックとか楽しいし。
…楽しいのが終わっちゃう。
…一人でも欠けたら楽しくなくなっちゃう。
いやだ。
いやだいやだ。
楽しいほうがいい!
このままイデアを死なせない。
息を大きく吸って。
ゆっくり吐いて。
「マリ、ちょっとどいて。」
「ふっ、う。うぇ? …どうしたの?」
「イデアを焼く。」
「…!? なに!?」
「焼いて血を止める。」
「え……。…ッ。ダメだ! そんなことしたらショックで死んじゃう! 今も息するのがやっとなのに!」
「このままだと助からないよ。」
「でも!」
「僕はイデアを死なせたくない!」
涙いっぱい目に浮かべて。
「……。」
何もせずにいたらイデアは死ぬ。
また僕が何もせず、周囲が変わって行ってしまう。
僕は今度も取り残されてしまう。
「マリ。」
今、マリも一生懸命考えている。
どうしたらイデアを助けられるのか、僕よりももっと、多分。
「…あんまり考えてる時間ないな。ヨーコ!」
決意が固まったみたい。僕もマリも。
「……ッ! 絶対殺すなよ!」
「うん、あんまり痛くしたくないし、一気に行くよ!」
これから僕は初めて自分の意思を持って行動します。
尻尾で素早く空気を擦ると、そこに炎が現れます。
現れた炎が形作るのは、僕の二本目の尻尾です。
ゆらゆらと、めらめらと酸素を焦がして熱を集める、二本目の尻尾です。
「マリ、イデアを押さえて。イデア、すごく苦しいと思う、ごめんなさい!」
じゅううううううううう。
「いッ!!! ガッ、アアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」
「イデア! ごめんな! すぐ終わるから!! がんばれ! がんばって!!」
悲鳴というほど可愛いものじゃなく、目を見開き、体を捩り逃げようとします。
ごめん、イデア。もうすこしだから!
ぶじゅうううううううううウウウウウウウ。
「…ッ。……ッッ!!」
肉と鉄の臭い。鼻を塞ぎたくなる、とてもとても。
しかめるとイデアが僕の腹を蹴り飛ばしました。と同時に傷口を全部焼き終わりました。
マリが家に飛び込んで、何かを持って戻って来ました。
「これ! この草痛み止めとか、炎症防いだりとか!」
いつもマリが使っている薬を、焼いた傷口に塗りました。
これも染みるはずです。
しかし、イデアは暴れず。気絶してしまいました。
「ヨーコ。」
息を切らして、セレナが呼びかけてきました。
「私の腕もお願い。このままだと雑菌が入って腐ってしまう。」
意識がはっきりしている分、セレナのほうが辛いかもしれません。
でも、断ることはできません。イデアだけでなくセレナもいなくちゃ、僕は楽しくないです。
声を殺して耐えていたセレナも、終わると気絶したようです。
二人の焼けた肉の臭いを僕は死ぬまで忘れないと思います。




