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洞窟を抜けた先はマリのお家でした。でっかい木の上にお家が乗っかっていました。
「でもこれ、オレが作った家じゃないんだよな。ここにあったのをみつけたんだ。いつまで待っても誰も来なかったから、そのまま貰っちゃった。」
木の上のお家はなんだかワクワクします。僕は家に入ること自体が初めてなんだけど、木の上というのは特別な気がしちゃいます。ソワソワです。
「ほら、これいいだろ? ゆらゆら揺れて気持ちいいんだぜ。」
枝の柱に網が渡されています。その網にマリが飛び込みました。
「ハンモックね。壁とハンモックしかない家だけど、雨風をしのぐにはすごくいいわ。」
「お家なんて久しぶりだね~、セレナちゃん。しかもツリーハウスなんてお洒落だよぉ。」
ハンモック。ふんす、ふんす。
「どうした? ヨーコ。鼻息すごく荒いぞ? これに乗りたいんだろう。 こっち来いよ。」
「うん!」
ぐりん、どてっ。ぐりん、びたん。
「あはははー! すごいこれ、ぐりんってなる!」
「ここに、中心に乗るんだよ。押さえててやるから乗ってみ?」
「おお! なんかふわふわする! これはいいものだ!」
「な? イデア、ちょっと来て。」
「なぁに?」
マリもハンモックに乗り込んできました。
「イデアはハンモック揺らす係りな? さ、どうぞ。」
「…どうぞじゃないわよ。いくぞー。そりゃあ!」
「きゃあ。」「きゃあきゃあ。」
「こんなのはどうじゃあ! おりゃあ!」
「きゃあきゃあ。」「きゃあきゃあきゃあ。」
「まだまだ~。そうりゃ…。」
「あの! そろそろいいかしら?」
すごすごとハンモックを降りました。後でまた遊ぼう。
「マリの家とても素敵。ハンモックもいいわ。でも、それ以外の家具が一つもないから色々欲しいわね。でも、それ以上に大事なことがあるの。」
「あ、そうだね。忘れてたよ~。」
「なんだ? 何を忘れてた?」
「お風呂。」「お風呂だよ~。」
あ。
「マリ。この近くに川とかあると思うんだけど。」
「おお。ちっちゃい湖があるぞ。サカナもたくさんいるぞ。」
「それはいいわね。さっそく案内して。」
「いいぞ。水浴びするんだろ? 水きれいだから気持ちいいんだよな。」
「だって! よかったね、ヨーコちゃん。」
うぅ…。
「なんだ、ヨーコは水浴び嫌いなのか? オレが洗ってやろうか?」
「ダメ! それはアタシがやるの! マリちゃんはヨーコちゃんの…、もう触ったでしょ?」
「イデア。あなた何を言っているの? リミッター外しすぎよ。」
「え~、だって…。」
「とにかく。その湖まで連れて行って。背中はマリが流してあげて。」
「ズルイよ! マリちゃんばっか!」
「間違いがおこってからじゃ遅いのよ。」
ぎゃあぎゃあイデアが喚きながらも行くことになりました。
ツリーハウスの階段を、重い気持ちを引き摺って下りることになりました。
しかし。
「…!」「!?」
僕とマリは咄嗟に臨戦態勢をとっていました。
地面に手をつけ、毛を逆立たせ、姿勢を低くするスタイルです。
「なに!? どうしたの?」
嫌なものが近づいてきます。マリは唸り声を上げています。僕も同じです。
「なにか、来るの!?」
イデアとセレナも振り返って森の奥を見ながらも、後ずさりして僕たちの後ろに下がります。
空が暗くなったように感じます。重く、重い重圧です。間違いなく僕たちに向けられています。
空気が張り詰めています。張り詰めて破れたところから、食い千切られそうです。
重圧が一歩、一歩と濃くなって、近づいてきます。
気配を隠すこともせず、堂々と、枝を踏み折り近づいてきます。
バキリ、ギシャリ。
やがて姿を現したそれは…。
「……キ、メラ!?」
獅子の頭、蛇の尻尾、山羊を背負った怪物。体は僕たちの3倍ほどもあります。牙や爪は大きく、触れただけで裂けてしまいそうなほど鋭いです。
怪物は僕たちをざっと見定め、口を開きました。
「待ちワびた、何ヲしてイたのだ。汝かラ訪ねルノが礼儀でアろう。」
まっすぐ僕を見据え、他の三人は意に介さず僕にだけ語りかけてきます。
言葉に怒りの色が混ざっていました。僕たちはその怒りに竦み、答える事も退く事もできずにいました。
「我の顔を忘れタワけではあるまイ。…いや、忘れたノでアったか。」
怪物は大きく溜息をつきました。吐かれた呼気が周囲を焼き、僕の鼻先を焦がしました。
「ぐるるる…。」
マリが精一杯尻尾を逆立てて威嚇しています。
「騒ぐナ、汝の主は我デはない。我は汝ニ用はナい。」
マリを見て続けます。
「汝ハ風のに喚バれたくちでアろう。ならば風のに会いに行ケ。」
尻尾の蛇が舌なめずりをして、セレナとイデアを品定めしているようでした。
「ほウ。人間を土産に持ってくルとは。珍味だガ悪くない。早速貰いうケヨう。」
怪物の爪がイデアを裂きました。急な出来事でした。
誰一人としてそれに反応できませんでした。
早すぎて目で追えなかったわけでも、怯んだわけでもありません。
ただ、その動作が自然すぎて。
僕たちを倒そうとしたわけでも捕らえようとしたわけでも、まして殺そうなどと考えてもいなかったのだと思います。
捕まえた鳥の羽を毟る光景がフラッシュバックします。
肉と内臓を選り分けるシーンと重なります。
食材を料理するときに殺気は必要ありません。セレナやイデアが料理をする時に僕はそれに身構えることはありません。それと同じでした。
だから僕たちは反応できませんでした。
怪物はイデアの上着を引き裂き、乳房を抉り取りました。
ぱたたと地面に飛び散る赤色を見て、ようやく僕はイデアの危機を察することができました。
もう一度爪が振り下ろされようとしていました。
「ッッ!!!」
僕の体を投げ出してイデアに飛びつきました。
勢いそのまま転がったので、振り下ろされた爪を辛うじて裂け、距離をとることができました。
しかし、それで終わりではありませんでした。
「その女、汝の餌であっタのか。先二申せ。ならバこチらを頂こウ。」
開いた口は、鋭い牙が糸を引いていました。食事をする為に口を開いたのだとわかりました。
「あ、…あっ…。」
セレナの顔は青ざめ、立ち竦んでいました。
「セレナッ!!」
マリだけが反応できました。
セレナの肩を掴んでぐいと、自分に引き寄せ牙をかわそうとしました。
しかし、十分ではありませんでした。
セレナの左腕が欠けていました。
血柱が噴き出していました。
「うっ。…ぅうああああああああああああああああああああぁ!!!!!」
「セレナ!!!! セレナッッッッッ!!!!」
セレナの左腕を咥えています。僕たちが手を使わずに、口だけで飲み込んでいくように、セレナの腕が飲み込まれていきます。
二の腕から肘、指先。
ゴグン、ゴグンと骨を噛み砕く音が低く響いています。そして、砕いた骨ごと肉を飲み込みました。
「それは汝のものカ。なかなか美味いゾ。早く食うがいイ。」
口惜しそうにセレナを見下ろします。
「今日の所ハこれまでダ。今度は汝ガ我の元に来イ。土産も忘れズにな。」
言い残すと、怪物は背を向け森の奥へと帰っていきまました。




