非・実在少女の更生
第三開発室。
殺伐とした空気の漂うそこで、突然、ディレクターの戸川のシャウトが響いた。
「入院した!?」
ざわっ、と空気が乱れる。
その事情を察した何人かが立ち上がり、ひそひそと話しながら、戸川が受話器に向かって話す姿を見守った。
「はい。そうですか。……わかりました。はい。お大事にして下さい、また連絡します」
かちゃり。そして、静寂。ヘッドホンをつけて自分の世界に没頭している何人かを除いて、チームのほぼ全員の目はディレクターの方へむいていた。
「みんな、聞いてくれ!」
音楽に乗ってキーボードを打ち続けていたプログラマーの肩が叩かれ、全員が顔を戸川の方へ向ける。
「白樺さんが、入院した」
その日の夜、午後八時を過ぎた頃に緊急会議が開かれる事になった。
開発のすべてのトップである部長の熱川、プロデューサーの本橋、ディレクターの戸川、プログラムのチーフである水林、デザインのチーフである真島、そしてサウンドの筧が疲れた様子で既に席に座っている。
株式会社 ブレイズオブグローリーズ。主な事業内容は家庭用テレビゲームの開発であり、現在も三本のゲームを並行して制作している真っ最中。
三つある開発室のうち、第三開発室が制作しているのは「ファーライランド・ストーム」というRPGで、今のところ完成度は四十パーセント程度。メインの登場キャラクターのビジュアルや、どのようなゲームであるか、いつ頃発売されるかなどの情報は既にゲーム誌などで発表がされている。
「白樺さん、倒れたんだって?」
会議室に社長の富田が入ってきて、ようやく会議がスタートした。一番の下っ端である真島が立ち上がり、用意したコーヒーをそれぞれの前に置いていく。
「入院したんです。かなり長引くだろうって話でした」
「参ったなあ。シナリオ、どのくらいできてるんだっけ?」
戸川は首を傾げながら、八割くらいでしょうか、と答えた。
「ラストがまだなんですよね。どういう流れなのかは決まってるんですけど」
苦しい状況だった。
「ファーライランド・ストーム」は株式会社 ブレイズオブグローリーズにとって、特別なソフトになる予定だったからだ。
ここ数年すっかり落ち込んできたごくノーマルな和製ロールプレイングゲームの市場の起爆剤になるように、と気合を入れて開発を進めてきた。もう二十年近く前、日本の家庭用ゲーム機の黎明期に出した「ファーライランド・アドベンチャー」はこの会社の代表作であり、古いファンも多い。
その後、続編をいくつか制作し、その人気が薄くなり、シリーズが姿を消してから十年。
今回の「ストーム」は久々に「あのファーライランドシリーズの復活」作品であり、最近人気のクリエイターの力を借りて大々的にリニューアルをした、ヒットを狙いにいった野心作――、になる予定だった。キャラクターデザインには最近大人気の「Hob Gob」を、シナリオにはこちらもヒットを飛ばしまくっている売れっ子ライターの「むっそりーに☆白樺」を起用している。
そのむっそりーに☆白樺が倒れ、入院し、もう書けない。退院するまで待っていては、大幅に期日を過ぎてしまう。リリースが遅れれば経営に響く。最悪、ブレイズオブグローリーズも倒れてしまう。こちらは入院して治せるものではなく、多くの社員が路頭に迷う事になる。
それだけはなんとしても避けなくてはならない。
「シナリオは一人でやってたんだっけ?」
「そうです。白樺さんはかなり独特の台詞や設定をされる方なんで」
「困ったねえ」
今更他の、人気のライターを起用、というのは非常に難しい状況だ。既にむっそりーに☆カラーに染まったシナリオを、同じテイストで書いて下さいという訳にもいかない。しかも最後だけ、ロールプレイングゲームのラストだけ、決まった流れで用意してくれとは無理な注文である。
「白樺さんのすごく仲のいい人とかは? 友情出演的なライターやれる人っていないの?」
「そういうのはいないらしいです。一匹狼で、俺は群れる事はしないって言ってましたから」
戸川の返答にいちいちあふれる悲愴感に、社長の富田は顔をしかめた。
「どうしようかなあ。何かいいアイディアない?」
ポツポツと、意見は出る。が、むっそりーにの回復を祈りに行こうとか、医者の許可を得ましょうとか、そんなしょうもないものばかりで解決には程遠い。
「あの、前、ハンマーウォーリアーズの時にお世話になった御手洗さんに頼むっていうのはどうですか?」
「馬鹿、あんなひどいシナリオ作ったヤツに頼めるかよ!」
せっかく出した意見が即座にゴミ箱へ放り入れられ、プログラマーの水林はぐったりしている。
しかし次の瞬間、突然、富田はぱっと顔を輝かせた。
「そうだ! 会原に書かせればいいじゃないか!」
「えっ?」
社長のアイディアに、半分がきょとんとし、半分がうーんと唸りだす。
きょとんとしているのは、入社して数年の若手の、現役で開発業務に当たっているチーフたち。
唸っているのは、社長と運命共同体になって久しい、部長とプロデューサー、サウンドの筧の三人である。
古参の社員達が唸り、首を傾げ、考えている様子を事情がいまひとつ把握できない若手たちは黙って見守った。
「いいかもしれませんね」
部長が頷き、プロデューサーも笑みを浮かべる。
「それなら角が立ちませんよ。きっと」
そこである事を思い出し、ディレクターは思わず声をあげた。
「会原さんって、あの?」
戸川の声に、社長はニッと笑う。
「そうだ。よし、会原がシナリオの続きを担当する! 戸川、頼んだぞ!」
株式会社ブレイズオブグローリーズには三つの開発室がある。それに加え、実は「第四開発室」もあった。
そこの人員は一人で、ゲームの制作は行っていない。やっているのは、過去にこの会社が作ったゲームのオンライン配信や、携帯電話用のアプリ化など外注で頼んでいる仕事の管理だ。
第四開発室室長、会原 正。
神経質そうな青白い細い顔に、銀縁のフレームの眼鏡をしている。彼の事が、戸川は苦手だった。いや、大体の社員が彼の事が少し苦手だったし、そもそも近づく事がない。
過去にはシナリオ担当として活躍した男。しかし、その道のプロというわけではない。少し頑固なところがあり、センスは既に錆付いていて、最前線で使うことはできない。会社の黎明期を支えた大事な人物ではあるが、若い人間の多い開発室へは放り込めないという扱いが難しい人材だった。
白樺が倒れた次の日の朝一番に、一番広い会議室には四人の男。
社長の富田、プロデューサーの本橋と共に、戸川は会議室で会原と向かい合っていた。
「はあ、なるほど、シナリオライターが倒れたと」
わざとらしく眼鏡をいじりながら会原が頷く。
「そうなんだよ。売れっ子のセンセイって奴でね。半端に他のライターに頼めないんだよ。それで、会原に引き継いでもらいたいんだ。なんてったって、シリーズの初代、『ファーライランド・アドベンチャー』から三作、シナリオを担当した人間なんだからね! お前なら誰からも文句は出ないし、むしろオールドファンは喜ぶはずだ」
戸川がちらりと様子を見ると、会原は口元に浮かんだ笑みを必死に隠そうとこらえていた。
嬉しくて嬉しくてたまらない。ニヤニヤしちゃう。久しぶりにやってきた、表舞台に立つ機会。明らかに喜んでいるが、それを表にあからさまに出すのは恥ずかしいらしい。
「いいだろう、会原。お前の仕事は後は俺がやっとくからさ」
社長にバンバンと肩を叩かれ、顔をガシガシと揉まれて眼鏡が落ちてからようやく、会原は答えた。
「わかりました。会社の危機ですから。シナリオの仕事は久しぶりですし、私のような素人なんかがおこがましいかもしれませんけど、全力でやらせていただきます。会社の為には仕方ありません」
「うん。良かった良かった。じゃあ後は戸川に任せるよ。全体を仕切っているのは彼だから、会原、指示に従ってくれ。期日までに完成させられるように頼んだよ。じゃ、本橋、お見舞いに行こう!」
売れっ子ライターとの諸々の折衝のために、社長とプロデューサーは揃って出て行く。
会議室には二人が残り、向かい合っていた。
「あの、戸川です。よろしくお願いします」
「はい。よろしく」
こうして、「ファーライランド・ストーム」の命運は一人の男に託される事になった。
ファーライランドシリーズは今までに五つの作品がリリースされている。一番最初に出たのが「ファーライランド・アドベンチャー」で、「~・クエスト」「~・ウォーズ」「~・戦記」「~・戦記2」と続く。
「ファーライランド戦記2」の売れ行きがいまひとつ振るわず、そのオーソドックスな内容は時代に合っていないという評価を下され、それで、このシリーズは封印されていた。
最新作の「ストーム」は、そんな伝統のあるシリーズをリニューアルし、時代にあった新しい要素を盛り込んだ作品に、というコンセプトの元作られている。
キャラクターの衣装は華美で、絵柄は透明感あふれる軽くも美麗なものに。出てくるキャラクターは、暑苦しい戦士や魔法使いではなく、大勢が職業云々の前に「美少女」だ。様々なタイプの可愛い女の子の中から四人を自由に選んでパーティを作り、主人公は戦う。世界に落ちた影、その元凶である魔王を倒す為に、旅を進めていくのだ。
新しく第三開発室に用意された机の上に、仕様書、企画書、書きあがったシナリオがどんと積まれ、それに目を通し終わった会原は夕暮れのオレンジの光に照らされながら、震えていた。
「戸川君!」
会原の悲痛な叫び声に呼ばれ、戸川が立ち上がる。
「なんですか?」
「どういう事なんだい」
「何がでしょうか」
「このシナリオだよ」
「何のことですか」
「かあーっ!」
丸められたシナリオが、バシバシと机に叩きつけられた。
「信じられないよ、こんな内容で、ファーライランドシリーズとして出せると思うかい?」
「はあ?」
「ファーライランドシリーズは、剣と魔法の! 由緒正しいファンタジーだよ、戸川君っ!」
二十六歳の戸川は、目の前の四十過ぎの中年の訴えの意味がわからず、困った表情で答える。
「ストームだってファンタジーですよ、剣と魔法の」
「違うよ、違う。全然違う。君はファーライランド・アドベンチャーを遊んだ事はないのかい? ドラゴン・ファンタジー・トリッパーとか、エルランド伝説とか。ああいう、正しいファンタジーだよ」
会原の口にしたタイトルのゲームのタイトルくらいは知っている。どれもこれも、戸川がまだまだ小さかった頃にリリースされた、古き良き時代の粗い画像のロールプレイングゲームたちだ。
「はい、まあ、知ってますけども」
「知ってるならわかるだろう。こんなこんな、こんなアレな、そんなのがだね」
バタバタと足を踏み鳴らし、手を振り、会原が訴えたかったもの。それは、開発部長の熱川が間に入る事でようやく伝わった。
一番狭い会議室、戸川の前には部長と会原が座っている。
ぶすっとした表情の中年の肩を、熱川が仕方ないよと言って叩く。
「気持ちはわかるけどね。けど、今はとにかく、ビジュアル重視でまず客を掴まないと。手に取ってもらわなきゃ始まらないから、キャラクターは重要なんだよ。遊んでみれば内容は結構アツイものになってるし。なあ、戸川」
「ええ、はい。そうですね」
かつて名作RPGと謳われたファーライランド・アドベンチャーのシナリオを手がけた会原にしてみれば、美少女ばかりがぞろぞろ出てきて、主人公にいちいち好意があるような思わせぶりなセリフを吐き、最終的には一番長く時間を過ごしたキャラクターが告白してくるなんていう流れはひどく「軽薄」なものに見えたらしい。
普通じゃないか、と戸川は思う。
確かに主人公はモテ過ぎかなと思うが、何人もと同時に付き合うとか、恋愛シミュレーションのような展開にはならない。最終的にはヒロインの一人とくっつくだけで、非常に「健全」な内容であり、その途中で、ちょっと心ときめく、想像を刺激されるサブイベントがそれぞれに発生するくらいだというのに、このオッサンは何を言ってるんだ、と心の中で毒づいてみたりする。
ゲームの開発は時間との戦いだ。みんな残業残業の毎日を過ごしている。
シナリオライターが倒れたというだけでも不安だというのに、更なる心配の種を増やされては、困るのだ。
それなのに。
「どこがアツイんだよ。確かにそんな要素もちょっとはあるけど、大体は、女の子が可愛い可愛いっていうのと、いちゃいちゃしてるばっかりじゃないか!」
「そんな事ありませんって」
「いいや。これはっ、ギャルゲーかと! 美しい伝統のあるファーライランド・サーガの一員に加える事が許されるのかと僕は問いたい!」
めんどくさいなあ、と思った。熱川も、戸川も、同時に。
ついでに、ファーライランド・サーガってなんだよ、と。思い入れが強いのはわかるが、勝手にサーガ作ってんじゃねーよ、という気分になる。
そんなうんざりを乗り越えて、熱川は落ち着いた口調で会原を諭した。
「確かにこのシリーズは会社にとって大事なものだ。社長にだって、私にだって、本橋にだって、筧にだって大事な、皆で作った代表作だ。今でもよく覚えているよ。毎日毎日ああでもない、こうでもないって皆で話し合って、容量をぎりぎりまで削って、最後の最後までシナリオを詰め込んだ。けど、あの頃と同じものをもう一度作ったってウケないんだよ。今の時代には今の『ファーライランド』が必要なんだ。それが『ストーム』なんだよ」
同じ時代を生きた仲間の言葉に、さすがにぐうの音も出ないらしく、わがまま中年が黙る。
「会原の気持ちはわかる。けど、一人のワガママに他の社員を付き合わせるわけにはいかない。もしどうしても嫌だっていうなら、他の人間を立てるしかない」
話し合いは終わった。会原も諦めがついたのかがっくりと肩を落としつつも、静かに自分の席へ戻っていった。
やれやれ、と席に戻る戸川の安息、いや、ゲームの開発中にそんなものはマスターアップした後と、新しいプロジェクトが始まるまでの短い時間にしか訪れはしないのだが、ほんのひと時の安寧もすぐに破られてしまった。
「戸川君!」
「何ですかもう」
苛立ちを露に立ち上がる若いディレクターの前で、会原は苛立ちをあからさまに噴出させながらまくしたてた。
時刻はもう二十一時。そろそろ、みんな帰ってほしいなという空気がプロデューサーから出ているが、第三開発室の熱心なクリエイターたちは誰一人欠けずに作業に没頭している。
「僕も大人だからね。大人だから、譲ろうと思っている」
「はい?」
「みんなもう、破廉恥極まりない少女達だけど、いいよ。時代がこれを求めているなら、あえて涙を呑もう! だがしかし。だがしかしだね、この子! この子だけは!」
ビラッと戸川の眼前に一枚の紙が突きつけられる。
「見えませんよ!」
出された手と紙を押し戻し、そこに何が描かれているのか確認して、ディレクターは眉をひそめた。
「ミャロですか」
ファーライランド・ストームの登場人物は大勢いる。その大部分を、敵であっても美形の女性キャラクターが占めているのだが、「ミャロ」はその中でもシナリオの白樺一押しの「ケモ耳少女」だ。
可愛らしいオレンジ色のショートカットにぴょこんとのぞく猫の耳。タンクトップにホットパンツの軽装に、手と足は巨大な、肉球つきの猫のものになっている。先のギザギザした尻尾が可愛い、受けを狙いまくったデザインのキャラクターである。
「この子は実にけしからんよ!」
「はあ」
「まず、この薄着。なんだねこのファッションは」
「普通ですよ」
この程度の格好、夏になればそこらじゅうにわんさかいるではないか、と、戸川は思う。
「それに、一人称が『ボク』だ! あーざーとーいー! あざとすぎるだろう!」
「ええ?」
会原は顔を真っ赤にして、ジタバタと手足を振りまくりながら喚いている。
チーム全員が暴れる、新・シナリオ担当の姿に気がつき、ちょっとニヤニヤしながら注目している。
「しかも語尾が『にゃあ』だぞ!」
「猫なんだから当然でしょう!」
「そんなわけあるか! しかも、尻尾が弱点ってどういう事だ! 『はにゃあ、****、そこにさわっちゃらめなのにゃああん!』じゃないだろう!」
「ちょっとしたサービスですよ。可愛いでしょ、猫耳の女の子が弱点あったら」
「いいや。これは性的過ぎる! いやらしい! 過剰にいやらしい!」
他にもこれは、と思ったらしいセリフを会原が読み上げていく。
――恥ずかしいけど、****のためならひと肌ぬぐにゃ! あ、服はこれ以上脱げにゃいから期待しないでほしいのにゃけど……。
――むう~、****の事をいじめるくらいなら、かわりにボクをいじめるのにゃ!
――こんなおっきいの、ボクにはムリなのにゃあ……ん。
――****のソレ、おいしそうなのにゃ。もうガマンできにゃい。ボクにちょうだいっ!
――ボクの口と****口をくっつけてみたいのにゃ。こんにゃ気持ちは、ハジメテなのにゃあ……
「ぶあっはっはっは!」
「何を笑ってるんだ、戸川君は! ゆるさないのにゃあ!」
「気に入ってるんじゃないですか!」
「違うっ。今のはちょっと間違えただけだ!」
こんなやりとりが大声で交わされて、いつの間にか開発室は爆笑に包まれていた。
忙殺される中、少しずつ荒んでいたみんなの心が、平和な笑いで満たされていく。
「とにかく、とにかくだね、いやらしいよ。このキャラクターは、卑猥な妄想をさせるセリフが多すぎるよ!」
確かに、ミャロというキャラクターには会原があげたような、思わせぶりなセリフが多い。
それは、主人公と出会うまで、どちらかといえば猫に近い世界で生きていた少女が突然人間の世界に放り込まれたからであり、異文化とのギャップがあるという設定だからだ。
セリフだけを抜き出せば確かに、おかしな妄想を煽るものかもしれない。しかし、その前後、他の仲間との会話の流れがあれば「天真爛漫な女の子」として受け取られるはずのものである。おっきいのも欲しがっておねだりしたものも、釣った魚なのだから。
「考えすぎですよ。っていうか、会原さんがいやらしいんでしょ。卑猥な妄想をしているって事なんだから」
「いい大人の僕が妄想しちゃうくらいなんだから、十代の男の子はもっともっと妄想するでしょうが! それこそ、頭の中でこのミャロを (余りにも卑猥な表現を含むために中略させていただきます) した挙句、成人指定のエロ同人誌を作って売りさばいちゃうだろうが!」
開発室を更なる大爆笑が包む。
「何を笑ってるんだ!」
「会原さん……、お好きなんですね、……そういうのがっ!」
ピクピクと腹をよじらせながら、戸川がツッコむ。
「違う違う! そんな事は断じてない! 僕はね、僕は、可愛い可愛い、わが子のような、自社ゲームのキャラクターが汚されるのは我慢がならないんだ!」
「確かにまあ、エロいのはアレなんですけども、同人誌になるっていうのは人気がある証拠ですからね」
「だからってだなあ……」
ようやく、部屋の空気が鎮まっていく。
「とにかく、このミャロはけしからんよ。けしからなさすぎる!」
「けしからなさすぎる、って初めて聞きました」
戸川が呆れた声をあげると会原は顔を真っ赤にしたまま自分の席へと戻り、この日の騒動は収まった。
次の日から、渋々といった様子ではあったが、会原はシナリオの仕事に真剣に取り組み始めた。
残っているのは魔王との決戦前。これから最後の戦いに赴くという、物語の中で最もアツイ山場の部分だ。それぞれのキャラクターに用意されたミニシナリオや、敵と対峙した時のセリフなどを作っていく。元々、誰がどのような反応をするかなどは先に決まっていたので、各キャラクターにあった言葉を選んでいけば問題ない。
その作業は順調に進んでいった。
会原の仕事の出来はとりあえず合格であると判断されていた。キャラクター三人分のシナリオが出来あがった時点でプロデューサーと戸川がチェックし、病院の白樺にも確認を取って、OKが出されている。
最初のイヤイヤはなんだったのか、と言いたくなるほどあっさりと、会原は仕事をきっちりと仕上げた。
無事に完成した台本に、みんな、ほっとした笑顔を浮かべる。
「ありがとうございました、会原さん!」
「会社の為に、当たり前の事をしただけだよ」
そっぽを向いてボソっと呟く姿に、ヘタクソな照れ隠しだなと戸川は微笑んだ。
そして思う。最初っからその態度だったら、陰で「エロ同人さん」なんて呼ばれなくて済んだのにと。
無事に完成した台本を持って、戸川はレコーディングスタジオにいた。声優たちの仕事を真剣な顔で見つめ、スケジュール通りに仕事を進めていく。
まだまだゲームの制作は続く。むしろ、これからが本番であるといえる時期だった。しかし、シナリオライターが倒れるというアクシデントを乗り越え、ここにこぎつけられた事は何よりもほっとできた事であり、会社へ帰る途中にあるシュークリームのおいしい店に寄って、みんなに差し入れでもしよう。もちろん、会原にも、なんて、戸川は考える。
そんな彼がトイレへ行って戻ってきた時、とうとう、異変に気がついた。
マイクの前には、数少ない男性キャラクターである、いかつい修行僧であるボーゼ役の声優、津野田が立っている。
「ミャロ、立ていっ! まだ修行は終わっていないぞおっ!」
低いバリトンボイスのシャウト。気迫のこもった最高の演技だ。しかし、そのセリフに戸川は覚えがない。
「ミャロッ! まだ! まだだぞーう!」
慌てて台本をめくると、見覚えのないセリフが並んでいる。いつの間に加えられたのか? 焦るが、すぐにはわからない。
そしてはたと気がつき、戸川はミャロ用の台本をめくった。
「あん!?」
同じシーンナンバーのページをボーゼのセリフと合わせると、何のシーンなのかが浮かび上がっていく。
――最後の戦闘に赴く一行。
夜が更けて、ミャロがボーゼの元を訪れる。
『ボーゼさん、ボク、お願いがあるにゃあ』
『なんだ、ミャロ』
『ボク、ユーリアみたいな話し方になりたいのにゃあ。ボクの話し方、ずっとおかしいって思ってたんだにゃあ』
『ようやく気がついたのか、ミャロ』
『そうなのにゃあ。これじゃ、****にも嫌われちゃうのにゃ。なんとか直したいのにゃあ』
『ミャロは賢いな』
なんじゃこりゃ、と、台本を持った戸川の手は震える。
ボーゼ役の津野田のシャウトは、この後の二人の秘密の特訓シーンのもので、修行僧が鍛えた結果、ミャロは「わたし、がんばります!」などと言い出すような実に勝手なアレンジが施されている事が判明した。
ミャロの音声は既に録音が終わっている。この日の午前中にそれは終了していたのだが、異変には気がつかなかった。もしかしてそれがサウンド担当の筧と交代で昼ご飯を食べにいった間にあったのではないかと気がついて、若きディレクターは胸の中にメラメラと怒りの炎を燃やし始めた。
こんな事をしでかすのは、会原しかいない。
この日の分の収録を終えて開発室に帰り、戸川は思いっきり会原の事を叱りつけた。
バレないとでも思っていたのか、勝手なことをするんじゃない、と散々怒鳴りつけ、ふてくされる中年の頭を丸めた台本で思いっきり叩く。
本橋や熱川が止めに入って、ようやく戸川も落ち着きを取り戻した。会原も正式に会社のお偉方たちから説教され、しゅんとうなだれる。
「すいません。どうしても、ミャロの事を更生させたくって」
「更生って!」
「まあまあ、戸川君落ち着いて」
当然、勝手に追加されたシナリオは没になり、録音された声のデータは廃棄された。
はずだったのだが。
半年後、「ファーライランド・ストーム」は無事に発売される事になった。
シナリオはむっそりーに☆白樺、絵師はHob Gobという豪華なラインナップに加え、古くからの根強いファンの残る「ファーライランドシリーズ」の復活という話題性のお陰で滑り出しは上々。週間売り上げランキングの二位に入り、開発スタッフたちは笑顔で杯を交わすことになった。
とある裏技が発見され、ネット上を沸かせ始めたのは二週間後の事である。
ある条件を満たして、ミャロを育てると、彼女が「更生」されるイベントが発生するという。
あの、没にしたはずのシナリオと音声が、実はバッチリと収録されていたのである。
「どういう事ですか!?」
会議室で戸川の叫びが炸裂する。
向かいには、てへへと笑うサウンドの筧と、緊張した面持ちのプログラマーの水林が座っていた。
「会原君の情熱に打たれたっていうか」
「筧さん!」
長年この会社のサウンドを担い続けてきた「大御所」にはさすがに罵声を浴びせることができず、戸川の勢いは削がれていく。
「水林君も、勝手にこんな事するなんて」
「いや、まあ、なんていうか、ちょっとした遊び心っていうか。ほら、裏技って心躍るじゃないですか。戸川さんもそう思いません?」
「思うけどね!?」
しゅんと落ち込む会原の為に筧がこっそりと動き、余りの忙しさにテンションが振り切れていた水林が、筧のお願いに勝手に応じてしまった、というのが事の真相らしい。
「俺もさあ、ミャロは狙いすぎかなあって思ってたんだよ。いくらなんでも。ファッションだからって裸スレスレの格好してる女の子がいたら、ムラムラされても仕方ないって思うだろ? 可愛い我が子にはそんな目にあってほしくないじゃない」
実際に小学校高学年の娘がいるという筧の言葉に、戸川は反論できない。
「結構好評みたいですよ、あの隠しイベント」
水林の呑気なセリフには、ギリっときつい視線を送る。
結果として、この隠しイベントはあまりのトリッキーさ ――せっかくの天然ケモ耳ボクっ娘が完璧なレディに変身してしまう―― がやけに受け、このゲームをプレイする際には必見であるという評価を受けた。
これが話題になったおかげで、ソフトの売り上げも当初の予測よりも伸び、会社の利益にも貢献している。続編の制作もほぼ決まっているし、チームには臨時のボーナスも出るらしい。
その後謝罪するために会いに行ったむっそりーに☆白樺ですら、妙に悟ったような顔で戸川と、同行した会原にこう話した。
「会原さん、ありがとう。俺は目が覚めましたよ。あざとすぎる萌えよりも、正統派だってね。俺はもう、むっそりーにの名前を捨てます。正々堂々、次は王道バリバリのかっこいいファンタジーに挑戦しますから!」
更生させられたのは、ミャロだけではなかった――。
なんて満足げに話す会原の頭にスパーンとチョップを入れると、戸川は軽く苦笑いをしながら次のプロジェクトの会議に向かった。