#1 怪異を描くいろは
一つ目のわらしべ。
夜の神社などで遭遇することがたまにある。
一人で夜道を歩いていると、自分の足音と少しズレた足音が重複して聞こえるのに気づく。
振り返って確かめようにも、不穏な気を感じてなかなか振り返ることができない。
振り返らずにそのまま帰宅してしまった場合、わらしべも家の中に入ってしまうことになるので、非常に注意するべきだ。
寝ている時間などの、一人きりで無防備な人間の首元を切り刻む遊びをするからだ。
もし、夜道で遭遇してしまった場合は「申し訳ありません。大丈夫です。」と何度かいうと気配は消えるらしい。
雨というのはやはり非日常だ。
電柱の電灯の周囲がぼんやりと光り、ぞうぞうと降る雨粒を見ることができる。滝のようなそれがこの街の隅々に今この瞬間降り注いでいるのかと思うと、思わず驚くほどである。
なるほど、雲は海である、という表現はあながち間違っていないのかもしれない。
怪異の恐ろしさは非日常にある。
生き物の怪異であればどのように描けば魅力的にうつるだろうか?
生き物とは通常、体を動かす存在だ。
だからこそ、取り憑かれた生き物や、生き物の怪異などは体を止め、ボゥっと観察者を見つめるのが良い。
動かない。観察者が近づいて、その表面に触れてきたとしても動かない。動かなくても感じられる皮膚から発せられる熱や、生きた視線が持つ気配こそが最も恐ろしいのだ。
死んでいるのか、生きているのか。
その曖昧さこそ恐ろしさの本意であろう。
逆に、物体の怪異であればどのように書くべきだろうか?
物体とは動かないものである。そのため、先ほどと同じように考えて動かしてみるのが良いだろう。
とはいえ、動くのが定常化してしまうと、この物体は動くことができる物体という枠組みに入れられてしまう。
だからこそ、動いている瞬間をがっちりと見られるのではなく、後ろを向いた瞬間に動いたり、視界の奥に入った瞬間に動き始めるのが良いだろう。
そうすることで、
この物体は動いているのか、動いていないのか。生きているのか、ただの物体か。
そんな疑問が頭を占めるようになる。
疑問というのは疑いであり、疑いは恐怖を想起させる。
なぜならわからない領域というのはその人間の手に負えない領域であり、本能的に恐怖を感じるのだから。
ここまでの文章を最後まで読んでいただいたことにまずは感謝する。
ただ、この文章はあくまでも断片的に解釈した上、個人の文章になる。何かを参照したわけでもない。そのため、正確性に欠けていることを考慮してほしい。




