不老不死差別 :約5500文字 :SF :暴
「おら、早く乗れ! 乗れよ!」
――油断した。
「動くんじゃねえ! 舐めてんじゃねえぞ」
――こいつらは……。
「クソ不死がよお」
――不老不死狩りだ。
数分前――。スーパーのレジ袋をぶら下げ、おれは人けのない路地を歩いていた。空が分厚い雲に覆われているせいもあって、昼間だというのに薄暗い。風が吹き抜けると湿ったカビと埃の匂いが鼻腔にまとわりついた。
おれは小さく息を吐き、足元の小石をつま先で弾いた。乾いた音がアスファルトの上で跳ねた――そのときだった。ふと、前方の壁際に誰かがいることに気づいた。
折り畳み椅子と小さな机。机には赤い布が敷かれており、細々とした何かが置かれている。露天商だろうか。おれはちらちらと視線を向けつつ、通り過ぎようとした。
『もし、そこのお方……』
『え? おれ?』
『はい。よろしければ、手相を拝見しましょうか』
『手相……?』
占い師らしい。目元から下を紫色の布で覆った女が、静かに手招きした。机の上には虫眼鏡やカードなど、意味ありげな小道具が整然と並べられていた。
『ええ、あなたからはとても強い幸運の波長を感じます。さあ、ぜひ』
女はそう言って目を細めた。微笑んでいるようだ。
『……じゃあ、お願いしようかな』
ここで断るのも不自然かと思い、おれは女へ歩み寄った。正直、少し興味もあった――いや、たまには誰かと会話がしたかったのかもしれない。人と距離を置く生活が、思った以上に堪えていたのだ。
だが、それが間違いだった。
差し出した右手を女の指が包む。その瞬間だった。
『いっ!』
手首をぐいと掴まれ、次いで鋭い痛みが走った。
『あ、あ、不死者! 不死!』
針で刺されたのだ。わずかに滲んだ血は瞬きの間に引っ込み、傷口は跡形もなく消えた。
罠だ――不老不死者を判別するための。
女の甲高い叫び声と同時に、近くの建物の陰から数人の男たちが飛び出してきた。複数の手が一斉におれを掴み、腕を捻り上げた。地面に押し倒されて顎を強打し、視界が揺れた。
抵抗する間もなく黒い布を頭から被せられ、引きずられるようにして、おれは車へと押し込まれた。
あるとき、人間は“永遠”を手に入れた。
極小の生体ナノマシンを体内へ注入し、損傷した細胞を修復、老化そのものを停止させる技術が確立されたのだ。
切り傷は塞がり、骨は繋がり、臓器は再生する。老いることはなく、病に冒されることもない――つまり、人類が長年夢見てきた不老不死が、ついに現実のものとなったのだ。
もちろん、傷が治るといっても限界がある。ミンチにされれば、さすがに修復は不可能。だが、首が胴体から離れてもしばらくは生きていられるし、再接合もできる。四肢を失っても、やがて生えてくる。怪我の程度で回復速度に差はあるが、それでも限りなく不死に近い。いつまでも若く健康で、学び続けられる。まさに新人類の誕生であった。
人々はこぞって不老不死を求め、そして手に入れていった。
だが、ほどなくして風が吹き始めた。それも強く、冷たく、おぞましい風が。
『不老不死者は神に背く存在です』
『自然の摂理に反する怪物ですよ、怪物!』
『そもそもいいんですか? この国じゃ、まだ認められてないでしょう。違法じゃないんですか』
『すでに禁止している国もありますよ。政府は動きが遅すぎる』
『このまま増え続けたら年金制度が破綻するぞ!』
嫉妬と恐怖が絡まり合い、差別が始まった。
ワイドショーは不死者をそれとなく悪役に仕立て上げ、コメンテーターはもっともらしく正義を語った。視聴者は煽られ、不満の矛先を定めていった。
不老不死の施術を受けられたのは、金持ちだけだった。もっとも、それは当然のこと。新技術には金がかかる。だが大多数は金持ちではない。それもまた当然。欲してやまないものを他人が持っている。それを妬むのもまた当然。
初めは蔑み、「そんなに生きたいのか」「生き汚い」と嘲笑うだけだった。だがやがて、己の醜さに気づいたのだろう。差別に理屈を与え、正当性を主張し始めた。思想は広まり、思想は行動へ――“不死者狩り”へと発展した。
おれの友人も大勢狩られた。生きたままコンクリートに詰められて海底へ沈められ、火山の噴火口へ投げ込まれ、死ぬまでバラバラにされ、火あぶりにされた。
政府は即座に不老不死狩りを非難した。だが、具体的な対応策は何一つ示さず、『国民は人権意識を持つように』や『遺憾である』といった空虚な言葉だけを並べた。
ところが、高齢の政治家が複数、不老不死施術を受けていたことが週刊誌に暴かれると、風向きは一変した。世論に押される形で、政府はしぶしぶ施術禁止の法案を提出した。
その頃には、他国はすでに禁止していた。いつもの後追いだが、こうして不死者は完全な悪として社会に位置づけられたのだった。
不死者狩りは止まるどころか、むしろ黙認されたも同然となり、さらに勢いを増していった。
おれは人との関わりを断った。街を避け、橋の下や林に張ったテントで夜を越し、各地を転々と渡り歩いて細々と生き延びてきた。
だが今日、ついに捕まってしまった。
車が止まると、ドアが乱暴に開き、腕を掴まれて引きずり出された。尻を蹴られ、よろめきながら歩かされる。郊外だろうか。ぬかるんだ地面に靴がわずかに沈み、ぐちゅぐちゅと嫌な音と感触が足の裏から這い上がってきた。
ギギギ……キイイイ……。歯の奥を引っ掻くような、不快な金属音が響いた。おそらく、錆びついた扉を開けたのだろう。数歩進むと足元の感触が変わり、乾いた靴音が反響した。ぬかるみは消え、コンクリートの硬さが靴越しに伝わる。同時に、埃とカビが混じった空気が肺を掴み、思わず小さく咳が漏れた。
おれは椅子に押しつけられ、腕と胴、脚をまとめて縄でぐるりと縛り上げられた。
頭に被せられていた黒い布が、勢いよく引き剥がされる。
暗い視界が一気に開け、おれは反射的に目を細めた。ここはどうやら廃倉庫らしい。トタン屋根の天井には大きな穴が空き、そこから曇天の鈍い光が斜めに差し込んでいる。光の筋の中で、埃が雪のように舞っていた。空気はひんやりとしており、外とさほど変わらない。コンクリートの壁には雨でできたシミの他、黒いカビが浮き、床には古い油染みと錆の欠片、何かを引きずったような黒ずんだ跡が幾筋も残っていた。
「おっさん、殺すよ? 殺すからね?」
一人の男がおれの髪を鷲掴みにし、顔を近づけてきた。荒い鼻息が頬にかかり、酸っぱい体臭が鼻を刺した。
日に焼けた肌に、短く刈り込まれた髪。ニヤついた顔。黒いタンクトップの下で盛り上がる筋肉は、考えるより先に行動を選んできた人生を雄弁に物語っていた。知性が欠落しているのは明白である。
周囲には他にも数人の男がいて、全員へらへらと笑みを浮かべている。薄汚れたツナギに帽子。自動車修理工か、土方か、いずれにせよ力仕事で日銭を稼いでいそうな連中だ。
「ぐっ!」
挨拶代わりとばかりに、タンクトップの男がおれの顔を殴った。視界が白く弾け、耳鳴りが走る。口の中に鉄の味が広がった。
唇が切れたが、血はすぐに引き、皮膚は何事もなかったかのように繋がる。男たちはそれを見て「おおーっ」「マジだ」と感嘆の声を上げた。
男は「ふへっ」と間の抜けた笑い声を漏らすと、わざとらしく靴音を響かせながら一度離れた。そして、ステンレス製のバケツをぶら下げて戻ってきた。中身ががちゃがちゃと騒がしく音を立て、縁からは柄が何本も突き突き出していた。
男はそのうちの一本を掴み、ゆっくりと引き抜いた。
鋸だった。
他の男たちがおれの靴を脱がし始めた。足首を押さえられ、冷たい空気が皮膚に触れた。タンクトップの男はにたりと笑い、口笛を吹きながら、おれの親指の付け根に鋸の刃を当てた。
口笛が止んだ――そして次の瞬間、足に鋭い熱が迸った。
「ああああああ!」
声を上げまいと、歯を食いしばったつもりだった。悲鳴を上げれば、こいつらを喜ばせるだけだとわかっていたからだ。
だが、声は反射的に喉からあふれ出た。これまでにも何度も危ない目に遭ってきた。痛めつけられたこともある。殴られ、蹴られ、刺されたことも。しかし、痛みに慣れることなど決してないのだ。
「はははは! は……? なんだよ、くそっ」
刃が途中で止まった。骨に当たったのだろう。すでに肉が再生を始め、鋸と皮膚が嫌な具合でひっついている。男は苛立ちながらおれの足を踏みつけ、無理やり鋸を引き剥がした。
「マジかよ」
「すげえ、もう治ってやがるよ」
「気持ちわりいな……」
興奮と嫌悪が入り混じった声が飛び交った。男たちのうちの一人は、ビデオカメラを構え、おれの足を至近距離で撮影していた。
おそらく、不死者を捕まえたのは今回が初めてなのだろう。手際の悪さと、はしゃぎ方がそれを物語っている。だとしたら、おれは相当ハードラックってことだ。
男たちはライターの火でおれの顎を炙り、「うぉい!」などと意味のない掛け声を上げて飛び跳ねながら、代わる代わるおれの頬を殴りつけた。十数秒、首を絞めては離し、息が戻るとまた笑った。殴り、蹴り、ハイタッチを交わすその様は、崖の上で誰が一番ギリギリまで先っぽに立てるか競う悪ふざけのようだった。連中は殺すことだけはどこか恐れているのかもしれない。
「あーい! 目玉、いっちゃいまーす!」
一人が大げさに距離を取り、手を高く掲げた。アイスピックを構えて、助走をつけて突っ込んでくる。
おれにぶつかる直前でバタバタと急停止し、先端は目を外れて眉に突き刺さった。
「貸せ、馬鹿」
タンクトップの男はアイスピックをひったくると、躊躇なくおれの目に突き刺した。鋭い衝撃が脳裏に炸裂し、続いてじんわりと粘つく感触が眼窩いっぱいに広がる。男はぐりぐりと手首を捻り、内部をかき回すように抉ってから引き抜いた。視界がどろりと崩れ落ち、闇に沈んだ。だがその直後、じゅわじゅわと温い再生の感覚が走り、失われた像が引き戻されていった。
男はアイスピックの先端をまじまじと眺め、首を傾げた。どうやら眼球がすぽんと取れるのを期待していたらしい。返しもついていないのだから、できるわけがない。
――おさーるさんだねー。
脳裏に童謡が流れた。おれは連中に見えないよう顔を伏せ、小さく口角を上げた。
その後も、男たちはおれを拷問し続けた。包丁で皮膚を切り裂けば、裂け目が塞がる前に両端からさらに刃を突き立て、ぐぐぐっと破壊と再生の綱引き。ペンチで爪を剥がして、収穫祭。傷がみるみる再生していくのを見ると、子供のようにはしゃいで手を叩いた。
耳をナイフで切り落とすと、枝切り鋏で切断したおれの足の親指の上に乗せ、「へい、お待ち!」。鋸で首を切断マジック。えーんやこら、さっさ、ギコギコと肉を裂き、ゴリゴリ骨を削り、喉元過ぎて反対側に刃が抜ければ、あら不思議。どこも切れてないじゃないの。
腹を掻っ捌いては、肋骨にこびりついた肉をスプーンでこそぎ取り、とろとろとろろろろ。
連中は、初めのうちは殴る蹴るといった単純な暴力を楽しんでいたが、慣れてくるにつれ、用意してきた道具を使って容赦なくおれを壊し続けた。
おれも最初のうちは喉が割れんばかりに悲鳴を上げていたが、次第に声量は落ち、やがて口を閉じて唇をへの字に曲げた。疲れ果てたわけではない。ただ、悲鳴を上げることに飽きたのだ。
連中の顔をぼんやり眺めるだけ。むろん、反射的に声が漏れることはあったが、その回数も次第に減っていった。
「ほらほら、がんばれ、がんばれえ」
連中は、それをおれが弱ってきたからだと解釈したのだろう。下卑た声で励ました。
だから、おれは言ってやった。
「……そんなもんか?」
すると、一瞬空気が凍りついた。次の瞬間、連中は猿みたいに顔を真っ赤にして、一斉に殴りかかってきた。アイアイ。まるでガキが太鼓を叩いているみたいだった。リズムがまるでなっちゃいない。
おれはそれがなんだかとても愉快だった。
「もう殺すよ? 山に埋めっから」
タンクトップの男がおれの髪を掴み、顔を近づけて吐き捨てた。顔に浮かぶ汗に返り血が混ざり、ぬらぬらと光っている。
――ぶっ。
おれはその顔に唾を吐きつけてやった。白い軌跡を追うように、男の眼球がゆっくりと動いた。
次の瞬間には、さらにひどい反撃を食らうだろう。そんな未来、簡単に想像できた。それでも、おれは笑えた。
「てめえ……この――」
男が何か言おうとした、その瞬間だった。突然、倉庫の扉が開いた。逆光の中で髪が揺れ、輪郭だけが浮かび上がる。女だ。
「ねえ、ちょっとこれ見て!」
女が駆け寄ってきた。声でわかった。あの占い師だ。拷問には興味がなく、終わるのを車で待っていたのだろう。女は男たちの間に割り込み、スマートフォンを見せた。
『繰り返します。速報です。ウェンテック社が、飲むだけで不老不死になれる新薬の開発に成功しました。多くの人に飲んでもらえるよう、安価で全国のドラッグストアなどで販売予定です。ウェンテック社の社長は、「人類を新たなステージへ進化させる」と述べ、服用者はSNSなどでの発信を呼びかけています。すでにアメリカでは販売が始まっており、大統領もマスコミの前で服用するなど、以前からロビー活動を行っていた模様で――』
そのニュースを聞きながら、おれの意識はゆっくりと暗く沈んでいった。
次に気づいたとき、拘束は解かれていた。タンクトップの男は、おれを妙に丁寧に引き起こし、立たせると、「おっさん、ごめんね」と軽く背中を叩いた。
おれはそのままストンと椅子に腰を下ろし、連中が倉庫の外――白い光の中へ消えていく背中を見送った。エンジン音が遠ざかり、しばらく経っても、立ち上がれる気がしなかった。
――これから、大勢が不老不死になる。
おれはもう特別じゃない。
おれは死にたくなった。




