兵士の記録「獣のようで、人のままだった」
兵士の記録「獣のようで、人のままだった」
俺は、ただの老兵だ。
若い頃から槍を握ってきたが、もう目も鈍ってきた。
それでも、あの夜――“黒牙掃討”の現場を見たときは、
心臓が久々に跳ね上がった。
あの獣人の娘――クロエというらしい。
ヴァルトニア分家の若い団の一員だ。
最初に見たときは、まるで子犬みたいだった。
礼儀正しくて、よく動くが、戦場ではお荷物。
そう思っていた。
……あの夜までは。
⸻
黒牙氏族の残党が北の街道を抜けたとき、
俺たちは数名で追撃に出た。
その先にいたのが、クロエだった。
彼女は双剣を抜いたまま、風の中に立っていた。
姿勢は低く、目は一点を見ていた。
まるで何か“聞いている”ような、そんな顔だった。
風が吹いた瞬間――
彼女は消えた。
次に見えた時、三体のゴブリンが倒れていた。
傷跡が交差して、まるで糸で切り裂かれたみたいに滑らかだった。
「……あれ、見えたか?」
仲間の一人が呟いた。
俺は、首を振った。
⸻
彼女の動きは、人間じゃなかった。
足音がない。呼吸も乱れない。
ただ、“風と一緒に移動している”みたいに見えた。
俺たちが十歩踏み出す間に、
彼女は二十、いや三十の敵を倒していた。
双剣が光るたび、風が鳴る。
音じゃない、“気配”が斬られていく感じだ。
あの瞬間、俺は悟った。
――この娘、あの執事の弟子だ。
⸻
戦いが終わったあと、
彼女は地面に腰を下ろして、膝に手を置いた。
息も切らしていなかった。
けれど、瞳だけが獣みたいに輝いていた。
「……もう少し、見えました」
そう呟いた。
俺には意味がわからなかった。
だが隣の若い兵が言った。
「地の流れを読んでる。
――セバス様の“地脈歩法”だ」
……そりゃ、見えるわけがない。
⸻
あとで聞いた話だ。
彼女は、レイクス伯爵とセバス執事に直接稽古をつけてもらっているらしい。
最初は毎日筋肉痛で動けなかったそうだ。
それでも休まなかった。
だから、今の“動き”がある。
俺は正直、あの二人がもう規格外すぎて、
「人間やめてる」と思ってた。
けど、クロエを見て、ちょっとだけ考えが変わった。
――努力すりゃ、まだ届く場所があるのかもしれねえ。
⸻
帰り道、風が吹いた。
その風の中に、ほんの一瞬、
あの娘の足音が混じっていた気がした。
獣みたいに速く、
でも、人間らしく真っ直ぐで。
俺は笑った。
「まだ、負けられねえな」って。




