アルカディアの朝
アルカディアの朝
朝靄の中、アルカディアの城壁が光を帯びていく。
夜の戦の名残を映したまま、
街はいつになく静かだった。
だがその静けさこそ、異常の証だった。
「……おかしいですね。
昨夜のうちに撤退した? そんな動き、見てません」
クロエは城門の上から遠眼鏡を覗き込み、眉をひそめた。
夜明け前から彼女は捜索に出ていた。
――昨夜、レイクスとセバスの姿が消えたからだ。
「まさか……お散歩、なんてことは」
自分で言って、頭を振る。
いや、あり得る。
あの二人なら、あり得てしまう。
⸻
「――クロエ!」
城門下から衛兵の声。
「敵影なし! 黒牙氏族、跡形もない!」
「……え?」
クロエが見下ろす視線の先、
外の平原は黒く焼け焦げていた。
昨夜まで続いていた鬨の声は、
夢だったかのように消えている。
「まさか……またやりましたね、あの人たち」
クロエは額を押さえて深く息を吐いた。
⸻
やがて、丘の向こうに二つの影が現れた。
外套の裾を揺らしながら、悠々と歩く。
レイクスとセバス。
その足取りは、まるで散歩帰り。
「……どこ行ってたんですかっ!」
クロエは堪えきれずに叫んだ。
駆け寄りながら、地面に転がる焼け跡を指さす。
「この一面! 全部! どう説明するつもりですか!」
「うるさい。朝から声が大きい」
レイクスが欠伸交じりに言う。
「少し歩いてただけだ」
「歩いて“これ”はないでしょう!」
セバスが紅茶の香り袋を取り出し、
涼しい顔で言った。
「旦那様の散歩は、少々運動量が多いのです」
「少々!? これ、一万はいましたよ!?」
「うむ。良い運動だった」
「運動じゃありませんっ!」
⸻
レイクスが肩をすくめる。
「じゃあ、“掃除”だ。埃は溜めない主義だ」
「掃除って言えば何でも許されると思ってません!?」
「許されてるだろ?」
「許してません!」
クロエの怒り声が、
朝の城壁に響いた。
その様子を見ていた兵士たちは、
思わず顔を見合わせ、
――“あの英雄が叱られてる”――と口を押さえた。
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セバスが控えめに口を挟む。
「クロエ様。とりあえず、報告書は旦那様ではなく私が書いておきます」
「お願いします、ほんとに……!」
「内容は『夜間に風向きの変化で敵陣が自壊』あたりでよろしいですか?」
「……もう、それでいいです」
「助かります」
レイクスがぼそりと呟く。
「書類仕事は嫌いだ」
「それを最初に言わないでください!」
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朝日が完全に昇る頃、
焦げた草原の向こうに鳥の群れが戻ってきた。
アルカディアの街に再び息が吹き込まれる。
クロエは腕を組み、ため息をついた。
「……結局、無事だから文句言えないのが腹立つんですよね」
「無事なら良い。結果がすべてだ」
「そういうところです!」
「褒め言葉だな」
「違います!」
セバスの笑い声が静かに響いた。
「……平和な朝ですね、旦那様」
「ああ。退屈な朝が、一番贅沢だ」
その背に朝日が差し込み、
三人の影がゆっくりと街へ伸びていった。
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