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レイクス戦記  作者: ゆう
ゴブリンの襲来
94/99

階段

会談


 マルターレス家本邸、司令室。

 壁一面の地図には、赤と黒の印が幾重にも重ねられていた。

 油の匂いと血の気配が混じり合う中、

 リストール伯は机に手を置き、報告書を広げていた。


「……セレーネが沈黙しました。王都陥落。魔導院は壊滅とのことです」


「ヴァルドラは?」とレイクス。


「防衛を継続中。ただ、補給線が凍結すれば持ちません。

 冬を越せば、雪原ごと封鎖されるでしょう」


 報告するリストールの声は低く、

 その瞳の奥には焦燥と責務が同居していた。



「つまり、北東が崩れた。次は中央だな」

 レイクスは地図の上、黒牙氏族の印に指を滑らせた。

「奴らの目的は略奪じゃない。『支配』だ。

 人を喰うためではなく、土地を奪うために来ている」


「……確証を?」


「この二百年、奴らの動きを見てきた。

 戦いのたびに残す焼け跡が違う。今回は、残す場所がある」


 リストールは黙った。

 老練な戦略家の言葉は、理屈ではなく経験に裏打ちされている。



「アルディアは南部を維持していますが、王都オルデラは既に包囲されつつあります。

 ――ヴァルトニア家からの支援要請があれば、王国の方針も変わるでしょう」


「動けば越権行為になる」

 レイクスは短く言い切る。

「王家の命を待て。

 俺が動けば、秩序が壊れる」


「……それでも、戦場は待ってはくれません」


「だからこそ、冷静にだ」

 その声音は淡々としていたが、

 部屋にいた兵士たちは思わず背筋を伸ばした。



「お前の娘、リリナはどうしている?」

 唐突に、レイクスが話題を変えた。


「避難民の指揮を。南街の収容を任せています」


「よく育ったな。昔のリースバルトを思い出す」


 リストールは小さく笑みを浮かべた。

「恐れ多い。……ところで、ゼノの件を伺いたい」


「エデンの分家に移した。あの娘のところにな」


「ヴィーナ殿に、ですか」


「ああ。あいつの眼はよく見ている。

 ゼノも、それを見抜いて仕えると決めた。

 もう俺が手を出すことじゃない」



「……英雄殿らしからぬ、静かな語り口ですな」

 リストールが少しだけ笑う。


「歳を取った。それだけだ」

 レイクスは椅子を離れ、窓際へ歩く。

 外では、夜風が戦の煙を運んでいた。


「リストール。

 この戦は、お前たちの世代のものだ。

 俺ができるのは――見届けることだけだ」


 静かな一言。

 その中に、かつて大陸を焼いた男の影が確かにあった。


「……ならば、我々の誓いは生き続けます」

 リストールは深く頭を垂れた。

「あなたが見てくださる限り、アルカディアは決して沈まない」



 沈黙のあと、レイクスがわずかに息を漏らした。


「見届けるだけじゃ、退屈でな」


「まさか、また夜の散歩を?」


「察しがいい」

 レイクスが口の端をわずかに上げる。


 その表情に、リストールは二百年前の“あの若者”を見た気がした。


「……まったく。今夜もまた、誰かが肝を冷やすでしょう」


「構わん。退屈が一番の敵だ」


 レイクスは外套を羽織り、

 背後からセバスの穏やかな声がかかった。


「……まったく、旦那様。風に当たるだけとは言わないでしょうね」


「行くぞ、セバス。夜は静かだ」



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