レイクスとの旅4
風が焼けた街道を吹き抜けていく。
焦土の果てに、ようやくそれは見えた。
灰色の石壁――アルカディアの城塞都市。
「……あれが……」
クロエが呟いた。
遠くの空、城壁の外側に立ちこめる黒い煙。
煙の下で、無数の影が蠢いていた。
「数が……多い」
セバスが眉を寄せる。
「黒牙氏族の主力……ですね。包囲が完全です」
街の外壁は炎に舐められ、塔の先端が崩れていく。
遠くから悲鳴が風に混じった。
ラビット族の少女――ミナが震える声で言った。
「お父さん……お母さん……あの中に……」
クロエは拳を握った。
けれど、何も言えなかった。
⸻
「……あれをどうする気ですか」
クロエの問いに、セバスが視線を上げる。
「攻めるのではありません。突破します」
「まさか、あれを!? 三人で!?」
セバスは小さく笑った。
「旦那様がいるのです。三人で十分ですよ」
レイクスは無言で前へ歩き出す。
風が吹いた。灰が舞い、黒い空が裂けた。
その瞬間、圧力のようなものが空気に満ちる。
「……空気が……重い……?」
クロエが思わず喉を押さえる。
まるで大気そのものが震えているようだった。
セバスが低く呟く。
「久しぶりですね……“本気”の空気です」
⸻
黒牙の軍勢がこちらを見た。
咆哮が上がり、波のように押し寄せる。
「……セバス」
レイクスが呼んだ。
「右を頼む。左は俺がやる」
「了解しました。では――」
セバスが軽く手を払う。
その瞬間、大地がざわりと鳴った。
足元の土が盛り上がり、岩壁のような塊がせり上がる。
黒牙の群れがぶつかり、砕ける。
「うそ……これが……」
クロエは声を失った。
その横で、レイクスが剣を抜いた。
音もなく、刃が風を裂く。
雷鳴は――落ちなかった。
ただ光だけが瞬き、百の影が消えていた。
⸻
クロエは息を呑んだ。
今まで見たどんな戦いよりも、静かだった。
叫びも、怒号も、呪文もない。
ただ、一撃ごとに世界が削られていく。
「……これが、英雄の戦い……」
その声は震えていた。
ミナがその手を握る。
「ねぇ……お姉ちゃん。助かるの?」
「――助かるよ」
クロエは小さく笑った。
「だって、あの人たちは“奇跡を起こす人たち”なんだから」
黒煙が空を覆い、太陽の光さえ届かない。
焼けた大地に吹く風は、血と灰の匂いを運んでいた。
黒牙の軍勢――その数、ゆうに三千。
槍と棍棒を掲げ、狂気の咆哮をあげながら突き進む。
それでも、レイクスとセバスは一歩も退かない。
⸻
「クロエ。下がっていなさい」
セバスの声はいつも通り穏やかだった。
だが、その一言で世界が変わった。
彼の足元に、風が集まる。
砂塵が巻き、空気が震える。
低く、古い言葉が紡がれた。
――〈風精霊シルフィア、地母の腕にて導け〉
瞬間、地が割れた。
風が形を持ち、巨大な蛇のように蠢く。
それは黒牙の群れを包み込み、渦を巻き上げる。
砂嵐が壁となり、敵の前進を止めた。
「……これが、“おじいちゃん”の本気……?」
クロエが息を呑む。
「おじいちゃんではありません」
セバスは微笑んだ。
「“執事”です」
⸻
レイクスが剣を抜いた。
音はなかった。
ただ、世界が一瞬――止まった。
雷鳴もなく、風も止まる。
次の瞬間、視界の端で光が弾けた。
十歩先にいた黒牙の巨体が、音もなく崩れる。
さらにその奥、二十体、三十体。
誰も見えなかった。
誰も、動きを捉えられなかった。
「……消えた?」
クロエの声が震える。
セバスが淡々と言った。
「速すぎて、雷が追いつかないのですよ」
⸻
地鳴りが走る。
黒牙たちが再び咆哮をあげる。
セバスの魔法障壁が軋み、風が悲鳴を上げた。
「数が多すぎる……!」
クロエが叫ぶ。
「押し返せない――!」
レイクスが歩み出た。
その背を見ただけで、空気が変わる。
「セバス、風を上げろ」
「了解」
次の瞬間、嵐が爆ぜた。
風の柱が天へ伸び、灰を吹き飛ばす。
空が割れ、そこに雷光が走る。
それは雷鳴ではなかった。
――光の剣が、空から降り注いだのだ。
⸻
クロエは目を見開いた。
その光景は、言葉にならなかった。
嵐と光がひとつになり、戦場を薙ぎ払う。
黒牙の軍勢が、一瞬で沈黙した。
光が消えたあと、残ったのは――
焦げた大地と、ただ静かな風だけ。
⸻
「……なんて……」
クロエの声が震える。
ミナがその手を握っていた。
「お姉ちゃん……こわいの?」
「……ううん。違うの。
“すごい”って、こういうことなんだね」
彼女の目に映るのは、ただ立つ二人の背。
英雄でも、魔法師でもなく、
――世界の重さを支える“存在”。
⸻
「終わりましたね」
セバスが深呼吸しながら言う。
「旦那様、力を使いすぎでは?」
「少しな」
レイクスは剣を納め、視線を城壁に向けた。
「まだ中に人がいる。行くぞ」
「はい」
クロエは返事をし、ミナを抱き上げた。
その手が震えているのに、
心は、静かに燃えていた。




