幕間 ぴより姫の苦悩
エデンの丘 昼下がり
春の陽光が丘を包んでいた。
うさたん団の旗が風に揺れ、
その下で、ひとりの少女がテーブルに突っ伏している。
「……聞いてない……。ぜんっぜん聞いてない……。」
ヴィーナ=ヴァルトニア、通称ぴより姫。
眉間に皺を寄せ、机に額を押しつけたまま動かない。
クラウスが静かに紅茶を注ぎながら言った。
「お嬢様、頭を冷やされては?」
「冷やしてる最中です……地面で……!」
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ゼノが腕を組んで立つ。
「つまり――お父上の婚約相手が、セリス=アルフェリア嬢。」
「うん……」
「そしてその方は、あなたより年下。」
「うん……」
「つまり、“年下のお母様”になる。」
「うぅぅぅぅぅ……!」
テーブルの上で、ぴより姫が小さくバウンドした。
「ありえないよぉ! あの人、たった二年前まで一緒にお茶してたのに!」
「人生とは出会いと変化の連続です。」
「クラウスさん、それ慰めになってません!」
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レナが笑いをこらえきれず肩を震わせた。
「でも……いい話じゃない? お父さん、ずっと一人だったんでしょ?」
「そ、そうだけどぉ……!」
「だったら嬉しいことよ。」
「うれしいけど……複雑すぎて頭の中がエレメンタルストーム状態なんです!」
「落雷属性の混乱ね。」
「レナさんまで!?」
⸻
ナツキがにやにやしながら口を挟んだ。
「つまり、ヴィーナの友達が母親になって、
その母親の旦那が父親で、
父親が英雄で、
英雄の娘が団長で、
団長の仲間が私たちで――」
「まとめないで! 余計に混乱する!」
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ミルが耳をぴょこんと動かしながら覗き込む。
「でもさぁ、ヴィーナが“ぴよ娘”で、
セリス様が“花母”でしょ? 語感いいよ!」
「うさたんまでふざけてる!?」
「えへへっ、でもほら、“花雷家”とか素敵じゃない?」
「新しい家名つけないでぇぇぇ!」
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ゼノが苦笑を浮かべた。
「とはいえ、父上の決定は変わらん。
いずれは正式な夫人として迎え入れることになる。」
「……わかってる。」
ヴィーナが顔を上げる。
頬は真っ赤だが、瞳はどこか寂しげに光っていた。
「わかってるんだけど……
セリスさんって、私にとっては友達で、
お父さんにとっては恋人で……
どっちとして話せばいいのか、もうわかんないの。」
静寂。
レナがふっと優しく笑った。
「だったら、どっちもでいいじゃない。
――友達であり、家族でもある。それ、最高じゃない?」
「……うん。」
ヴィーナの声が小さく響く。
「……でも“お母さん”って呼んだら、絶対笑われる……。」
⸻
そこへ、
丘の道の向こうから、二頭立ての馬車がやってきた。
クラウスが振り返り、目を細める。
「お嬢様。……お客様です。」
馬車が止まり、扉が開く。
淡い風に花びらが舞った。
「――やっと来られたわ、ヴィーナちゃん。」
白いワンピースの少女――セリス=アルフェリア。
陽光を背に、柔らかく笑って立っていた。
その瞬間、ヴィーナは机の下に隠れた。
「ちょ、ちょっとぉ!? 出てきなさい!」
「無理! まだ心の準備できてないのぉぉぉ!」
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セリスが小首をかしげる。
「隠れちゃった……可愛いわね。」
ゼノが苦笑する。
「……あれでも、領主です。」
「ふふ、そこが好きなのよ。」
テーブルの下から、小さな声が漏れる。
「それ聞こえてるんですけどぉぉ!?」
⸻
やがてヴィーナは、ゆっくりと這い出てきた。
「……こんにちは、セリスさん。」
「こんにちは。婚約、びっくりしたでしょ?」
「……うん。びっくりしすぎて昨日寝られなかった。」
「ごめんなさい。でもね、
ヴィーナちゃんの“お父さん”を好きになったの、
たぶん……自然なことだったの。」
「……知ってる。
セリスさん、優しい人だから。」
ヴィーナはゆっくり微笑んだ。
「……一年後、ちゃんとお祝いするね。
でも今だけは……“お友達”のセリスさんでいてください。」
セリスの瞳が柔らかく細まる。
「もちろん。――あなたがそう呼ぶ限り、ずっとお友達よ。」
⸻
風が丘を渡った。
旗が鳴り、春の雷が遠くで光る。
「ねぇ、お父さんにも伝えておいて。
“娘はぴよってます”って。」
セリスがくすくす笑いながら頷く。
「ええ、ちゃんと伝えるわ。」
⸻
そして丘に、穏やかな笑い声が広がった。
花と雷のようにまぶしく、
少し切なく、けれど温かい。
――“家族”という言葉の形が、
今日またひとつ、変わった気がした。




