竜壁、囮として立つ
竜壁、囮として立つ
夜明け前。
霧が森を覆い、湿った空気が息を重くする。
地面には黒い灰。砦の方角からは、途切れぬ咆哮。
黒牙氏族の群れが、夜を裂くように唸り続けていた。
「……本当に行くのね」
レナの声に、アルトミュラーが頷く。
「当然だ! 囮といえば俺だろう!」
「自覚あるんだ……」
鎧の隙間から湯気が立ち、竜鱗がかすかに光る。
竜壁の騎士――その異名は伊達ではない。
彼が踏み出せば、大地が鳴る。
しかし今夜は、その足音さえも“囮”の鼓動だった。
⸻
「合図は?」
「俺が吠える。」
「……わかりやすいけど、うるさいわよ?」
「静かな囮などいない!」
「バカねぇ……でも、頼りにしてるわ。」
一瞬、アルトミュラーの顔が真っ赤になる。
「な、なっ!? お、お前、今なんと……!」
「さあ行け、囮隊長!」
「ぐぬぬぬ……!」
⸻
レナが振り返り、背後のヴィーナたちへ視線を送る。
「全員、配置につけ。陽が上がった瞬間に突入するわ。」
ヴィーナが頷いた。
ぴより姫の瞳に、勇気と少しの不安が混じる。
「アルトミュラーさん……絶対、無茶しないでくださいね?」
「安心しろ! 無茶は得意だ!」
「違います! しちゃダメの方です!」
ゼノが頭を押さえた。
「姫、無駄です。筋肉は言葉より先に動きます。」
「筋肉に勝てない……」
⸻
――砦前・黒牙軍包囲陣
夜が白み始める。
ゴブリンたちの咆哮が、一斉に止んだ。
その静寂を裂くように、
“竜の咆哮”が轟いた。
「グオオオオオオオオオオ――ッ!!!」
森が震えた。
黒牙たちが一斉に振り向く。
丘の上に、黒鋼の巨人――アルトミュラー。
右腕に竜槍を構え、全身から蒸気を吹き上げている。
「来いよッ! この竜壁が、貴様らまとめて受け止めてやるッ!!」
言葉通り、黒牙の群れが殺到した。
狂笑と咆哮。地面が砕け、血飛沫が霧のように舞う。
アルトミュラーの竜槍が閃く。
一撃で十体を吹き飛ばす。
牙が肩に食い込んでも、笑って受け止め、逆に叩き潰す。
「これぞ、囮の仕事だぁぁぁっ!!!」
⸻
その混乱の中。
北東の木陰から、うさたん団が静かに姿を現した。
レナを先頭に、リオ、ミル、ナツキ、クロエ、エリカが続く。
風が彼女たちの足元を包む。
「アルトミュラーが暴れてるうちに行くわよ!」
「了解!」
ヴィーナが聖印を掲げ、祈りの光を放った。
「女神よ、道を照らして……」
光が霧を裂き、砦の影が見えた。
⸻
そのころ。
アルトミュラーは、盾のように竜槍を構え、ゴブリンの群れに埋もれていた。
腕も脚も血まみれ、それでも笑っている。
「……ハッ、思ったより楽しいじゃねぇか……!」
背後で誰かが叫んだ。
「援軍は!?」
「いらんッ!」
レナの声が脳裏をかすめる。
――“あんた、壁になりなさい”。
笑みを深め、彼は再び立ち上がった。
「ならば俺が、戦場そのものを壁にしてやる……!」
⸻
砦の外、うさたん団が突入を開始する。
リオが剣を振るい、ミルが跳ぶ。
ナツキが吠え、クロエが二刀を閃かせる。
エリカの詠唱が火線を描く。
その光の奥で、ヴィーナが走る。
白いローブが揺れ、髪飾りが光を返す。
「皆、お願い! 生きてる人を探して!」
その声が戦場に響く。
ぴより姫の指揮――
奇妙に穏やかで、それでいて不思議と士気が上がる声だった。
⸻
砦の門が見えた瞬間、
内側から倒れかけた扉が、音を立てて開いた。
瓦礫の中に、傷だらけの兵士たちがいた。
彼らは目を見開き、外の光を見つめた。
「……助けが、来たのか……?」
「来ました!」ヴィーナが叫ぶ。
「エルディナの名にかけて!」
⸻
そして背後では――
アルトミュラーが、まだ暴れていた。
黒牙の群れをまとめて押し返し、笑って吠える。
「レナァァァァ! もういいかぁぁぁ!?」
「あと五分! まだやって!」
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
まるで竜と鬼が混じったような咆哮。
――それが、後に語られる《竜壁囮戦》の幕開けだった。




