うさたん団選抜試験
うさたん団選抜試験
昼下がりのエルディナ西訓練場。
砂地の広場に掲げられた白布の旗が、春風にたゆたう。
光を受けたその布地は、まるで“誓いの幕”のように柔らかく揺れていた。
その中央に、少女が立っていた。
ヴィーナ=ヴァルトニア。
胸に手を当て、そっと息を整える。
緊張で心臓が早鐘を打つ。けれど、その瞳は澄んでいた。
「……私の旗の下で戦いたいと思ってくれた皆さん、ありがとうございます!」
声は少し震えていた。
けれどその声には、真っ直ぐな熱があった。
百名近い志願者たちが一斉に視線を向ける。
背後にはゼノ、レナ、ナツキ、エリカ、クロエ。
五人の仲間が無言でその背中を支えていた。
ゼノが前に出て、低く響く声を張り上げる。
「これより――うさたん団の選抜試験を開始する!」
砂の地面がどよめき、緊張と期待が交じり合う。
「試験は対戦形式だ。十人一組で、ヴァルトニア本隊の部隊長たちに挑んでもらう!」
「挑む!?」
「本隊だって!?」
「部隊長が試験官だと!?」
ざわめきが広がる。
ヴィーナは拳をぎゅっと握りしめた。
(……だって、そうでしょ。うさたん団がヴァルトニアの名を継ぐなら、
本隊の剣を見なきゃ、誓いなんて名乗れない)
観客席の上方では、群衆に紛れるように二つの影。
白金の髪を持つ男――レイクス。
そして灰銀の執事、セバス。
二人は一言も発せず、ただ静かに娘の試練を見つめていた。
⸻
「第一試験官――第二騎兵隊隊長、イザベル=クロイツァー!」
その名が呼ばれると同時に、空気が凍る。
白銀の髪が春風を切り裂くように舞い、
彼女の歩みと共に、砂塵すら静まった。
「……十人。私に触れられたら、それだけで誇っていいわ」
抜かれた剣が光を弾き、音もなく宙を裂いた。
その美しさに、志願者の息が止まる。
「さあ――始めましょうか」
砂が跳ね、十人の候補者が同時に走り出す。
怒号、衝撃、風の爆ぜる音。
だが次の瞬間、すべてが静止した。
イザベルの姿が霞み、光が一閃。
十人のうち三人が一度に膝をつく。
剣を握る手が、震えて止まらない。
「遅い。……恐怖は剣を鈍らせるの」
さらに二人が崩れ、残る五人が必死に陣形を組む。
イザベルは小さく笑った。
「囲み……悪くない判断ね。でも――」
音が、途切れた。
次の瞬間、五人の武器が宙に舞い、
風が花びらのように散った。
砂の香りと光の軌跡。
それは、ただ美しかった。
観覧席のヴィーナは、思わず呟く。
「……きれい……まるで舞みたい」
その剣は人を斬るためではなく、誇りを奏でるように揺れていた。
ヴィーナの胸に熱が灯る。
(これが……お父さんの“誓いの剣”。
ヴァルトニアが背負う、戦いの美しさなんだ……)
その時、砂煙の中から、ひとりの男が立ち上がった。
肩で息をしながら、それでも目を逸らさない。
「……まだ立つの?」
イザベルが少し驚いたように目を細めた。
青年は血を拭い、叫んだ。
「俺は――騎士になるんだ!
憧れのヴァルトニア騎士団に入るために!」
その声は弱くも震えず、真っ直ぐ空へ届いた。
イザベルの瞳が、一瞬だけ揺れる。
「……ふふ。そうね。叶うといいわね。」
彼女は剣を納め、背を向けた。
静かに、優しく。
“夢”という名の剣を折らないために。
風が吹き、旗が高く舞う。
その光景を見ていた全員が、
その日、“ヴァルトニアの誇り”という言葉の意味を知った。
風が止まり、砂の音だけが耳に残る。
第二試験官――ヴァルトニア本隊 飛竜隊長、レオニス=フレイヴァン。
黒鋼の鎧に身を包み、背には小竜の紋章。
その姿は堂々としていたが、瞳は冷静そのものだった。
鋭く、研ぎ澄まされた灰の瞳。
まるで“竜”そのものが人の形をしているかのようだった。
「十人組。配置につけ」
低い声が訓練場に響く。
先ほどのイザベルの華麗さとは対照的に、
ここには静かな緊張と重圧があった。
「……あれが、飛竜隊の隊長……」
「動かない……まるで、息まで止めてるみたいだ……」
観客たちはざわめき、
ヴィーナは思わず手を握りしめた。
(静か……でも、怖い。動いてないのに“戦ってる”みたい……)
レオニスがゆっくりと剣を抜く。
その動きは一切の無駄がなく、
音すら立たない。
「――始め」
その一言と同時に、十人が走り出した。
風が鳴る。砂が跳ねる。
だが次の瞬間、レオニスが右腕を軽く振った。
砂煙が舞い上がり、二人が地を転がる。
「なっ……!?」
「速くもないのに、避けられない!?」
そう――速さではない。
“呼吸”だった。
彼は敵の足音と呼吸の間合いを読み、
まるで飛竜の翼で風を操るように、
最小の動きで軌道をずらす。
「……見てるんだ、空からの視点で」
レナが呟く。
「彼は地上にいても、“上”から戦ってる」
レオニスの剣が閃くたび、風が形を変えた。
踏み込んだ者の重心が崩れ、盾役が宙を舞う。
「守りを固めろ! 連携を――」
叫びが途中で途切れる。
その声を合図に、隊全体の動きが止まった。
レオニスの剣が、彼らの中心を通過していた。
斬られてはいない。
だが、一歩も動けなかった。
「……力は振るうものじゃない。流すものだ」
淡々とした声。
ヴィーナは息を呑んだ。
「力を……流す……?」
「そう。飛竜の翼のようにね」
レナが目を細める。
「空の上では、力任せに振ったら竜が墜ちる。
でもこの人は、地でも空でも“均衡”を掴んでるのよ」
砂煙の中から、一人の志願者が立ち上がった。
大盾を構えたまま、息を切らしながらも退かない。
「俺は……守り抜くッ!」
その声に、レオニスの目がわずかに細まる。
「いい声だ。飛竜の鳴き声みたいだ」
巨剣が振り下ろされ、盾がきしむ。
だが、砕けない。
志願者が踏み込み、押し返す。
「まだ――だ!」
その一撃に、レオニスの口元が初めて緩んだ。
「……そうだ。それでいい」
風が止み、静寂が戻る。
レオニスは剣を下げ、静かに一礼した。
「力を制するのは、力じゃない。呼吸だ。
お前の盾に、それを感じた」
観客がどよめく。
ヴィーナの胸の中に、別の熱が広がる。
(あの人……竜と同じ目をしてる。
人を守ることが、戦いなんだ……)
高台の影で、セバスが呟く。
「……空を歩くような戦い。見事です」
レイクスは静かに頷いた。
「飛竜を操る者は、常に“風”と対話している。
――その心を、地上でも忘れていない証拠だ」
空を渡る風が吹き、旗がたなびく。
白布の上に描かれた誓いの紋章が、柔らかく揺れた。
夕暮れの陽が砂を金に染める。
訓練場に静寂が落ちた。
先ほどまでの喧騒が嘘のように、
風がひと筋、旗を揺らして過ぎていく。
第三試験官――ヴァルトニア本隊 魔法師隊長、サイラス=エルグレイン。
黒衣の裾を翻し、無表情で砂の中央に立つ。
青灰の瞳が冷たい光を宿し、淡々と告げた。
「……第三試験を開始する。十名、前へ」
ヴィーナは観覧席で身を乗り出した。
その隣でゼノが低く呟く。
「サイラスは理の魔導師。
彼の試験で心を折られた者は多い――気をつけろよ」
ヴィーナは頷き、視線を戦場へ向ける。
その中に、小柄な影があった。
長い耳。白銀の髪。
ラビット族の剣士――ミル。
その瞬間、ヴィーナの胸が小さく震えた。
(あの子……やっぱり、目がいい。
怖がってるのに、下を向かない)
⸻
サイラスが杖を地に突く。
「《重力界:第Ⅱ式》」
言葉と同時に、空気が重くなる。
砂が沈み、十人の志願者の足が取られた。
視界が歪み、呼吸すら難しい。
「な、なにこれ……!」
「立てない……!」
サイラスは一歩も動かず、冷ややかに告げる。
「重力は平等だ。
理を超えられぬ者に、剣を持つ資格はない」
その声に、数人が剣を落とした。
だが、ひとりだけ――ミルがまだ動いていた。
重圧に押し潰されそうな体を、
まるで風に押されるように少しずつ前へ。
「……風が、こっちって言ってる……」
小さな声。
それでも、その言葉には確信があった。
サイラスの瞳が揺れる。
「風……だと?」
次の瞬間、ミルの体が跳ねた。
砂を蹴り、重力の中を抜けるように。
その動きは滑らかで、まるで“風が跳ねた”かのようだった。
剣が閃き、魔法陣を断ち切る。
サイラスが杖で受け止め、火花が散った。
「な……!」
観客席がざわめく。
ミルが笑う。
「理屈なんてわかんないけど、風を感じたら跳ぶんだよ!」
その言葉に、サイラスがふっと息を吐いた。
「……理を知らぬがゆえに、理を越える、か。
まったく――風の子らしい」
結界が解ける。
ミルはそのまま地に降り立ち、笑顔を浮かべた。
「ふぅ……なんとか跳べた……!」
剣を握る手は震えていたが、瞳は真っ直ぐだった。
サイラスが彼女を見つめ、静かに頷く。
「……よくやった。あれでいい」
⸻
観覧席で、ヴィーナは立ち上がった。
胸の鼓動が早くなる。
その姿を見ているだけで、胸が熱くなった。
(そうだ……この子がいい。
うさぎのように跳ねて、風のように自由で、
心で戦う――)
彼女は小さく拳を握り、呟いた。
「ねぇ、ゼノ。あの子を――私の騎士にしたい」
ゼノが微笑む。
「団長の決定だ。俺たちは異論なしだよ」
ヴィーナは風を受けながら、
静かに空を見上げた。
旗がひらりと揺れる。
白地に描かれた“うさぎと髪飾り”が、
まるでミルの跳躍を祝福するように光った。
「――ようこそ。私の旗の下へ」
その一言が、夕暮れの訓練場に響いた。
風が止まり、すべてが穏やかな静寂に包まれる。
それは、ヴィーナ団の最初の“誓い”だった。




