レイクスの決断
レイクスは重々しく目を閉じ、やがて低く告げた。
「……それぞれの意見、よく分かった。だが、ここはセバスの言う通りとする。
砦は王国の管轄だ。ヴァルトニアが勝手に動けば、王家の権威を損なうことになる」
セバスが一歩進み出て深々と頭を下げる。
「ご賢明なご判断かと存じます」
レイクスは続ける。
「ヴァルトニア騎士団を動かせば越権行為になるだろう。
ゆえに、本隊は動かさない」
その言葉に、室内の空気が一層重く沈んだ。
アルトミュラーは拳を震わせ、唇を噛みしめる。
「伯爵様……!」
その緊張を破るように、ゼフィールが影から一歩踏み出した。
「……ならば別件の報告を」
黒衣に包まれた姿が揺れ、低い声が響く。
「影の網によれば、ゴブリン領からの進軍はアルディアだけに留まりませぬ。
セレーネ魔導王国に十万、ヴァルドラ寒冷王国に十万、バラルカ帝国に十万。
三方向同時――計三十万の軍勢が動き出しております」
「……っ!」
ナツキが蒼白になり、クロエの耳が伏せられる。
エリカは震える声で「三十万……国ひとつ滅ぶ数よ……」と呟いた。
レナは唇を固く結び、拳を握る。
セバスが低く唸る。
「……もはや国境の小競り合いではない。大陸全土を呑み込む“移動”……」
レイクスは頷き、鋭く言い放った。
「だからこそヴァルトニアは動かぬ。迂闊に動けば敗北は免れないからな」
室内の空気は張り詰め、誰もが言葉を失った。
その時、室内を満たしていた重苦しい沈黙を破るように、ヴィーナが声を張った。
「……でも! それでも私は、アルディアを助けたい!
二十万もの軍勢が押し寄せて、人々が苦しむのを見ているだけなんて……絶対に嫌!」
その叫びに、皆が息を呑む。
ナツキは驚きに目を見開き、クロエの耳がぴんと立つ。
エリカは怯えながらも目を逸らさず、レナは黙って盾を握り直した。
レイクスは娘を見据え、重々しく言葉を紡ぐ。
「……ならば答えはひとつだ。ヴィーナ。お前に家を与える。
この日より、お前をヴァルトニア分家の長とし、男爵位を授ける。
己の旗を掲げ、望むなら仲間をその旗の下に集え」
「わ、私が……家を……?」
ヴィーナは驚きに目を見開いた。
やがて彼女は振り返り、仲間たちを見渡す。
「……みんな。お願いがあるの。
私一人じゃできないから……一緒に来てほしい! 私と一緒に、新しい“家”を作ってほしい!」
ナツキが肩をすくめ、剣の柄を叩いた。
「やっぱり言うと思ったぜ。……仕方ねぇな。俺の剣はお前についてく」
レナは真っ直ぐに頷き、盾を掲げる。
「あなたの旗の下に、私は立ちます」
クロエはそっぽを向きながら短く言った。
「……主が決まるなら、従うだけだ」
エリカは胸に手を当て、震える声で。
「わたしも……ヴィーナと一緒に行く……」
仲間たちの言葉に、ヴィーナの瞳が潤んだ。
そのとき、レイクスの視線がゼノへと移る。
「……ゼノ。お前に命じる。新たに立てるヴィーナの家、その騎士団を率いよ」
重い言葉に室内がざわめく。
ゼノは目を見開き、拳を握った。
「……私が……団長に……?」
レイクスは頷き、言葉を続けた。
「お前の剣と忠義はマルターレス卿のもとで鍛えられたもの。
だが、これからはヴィーナの旗の下で、その力を振るえ」
ゼノの胸に、言葉にならぬ感情が渦巻いた。
――ヴィーナ。旅の道中で見た、その真っ直ぐな瞳。
彼女ならば主として仕えるに値する。
そして、ヴァルトニア。
幾度も耳にし、遠くから憧れてきたその名。
今、その名を継ぐ者のもとに自分は立っている。
(……これが、俺に与えられた運命なのか)
ゼノは膝をつき、深々と頭を垂れた。
「……承知しました。
この命、この剣を――ヴィーナ様、あなたの旗の下に」
レイクスは満足げに頷き、力強く宣言した。
「よし。ゼノを団長に据え、ヴィーナの家に騎士団を立てる。
これをもって――ヴァルトニア分家の誕生とする!」
室内にざわめきが広がり、空気が熱を帯びた。
ヴィーナは涙を拭い、仲間たちに微笑みかける。
「……ありがとう、みんな……! 私がんばる!」
レイクスの宣言が響いたあとも、室内は熱を帯びたまま静まり返っていた。
その中心に立つヴィーナは、胸に手を当て、深く息を吸った。
「……分家を作るって言っても、まだ何も決まってないよね。
だから、ここで決めよう。私たちの旗を……騎士団の形を」
ナツキがにやりと笑う。
「おう、来たな。どうせなら派手な旗にしようぜ? 剣とか炎とかドーンってな!」
クロエは呆れたように肩をすくめる。
「……悪目立ちしてどうする。もっと落ち着いたものにすべきだ」
エリカは小声で手を挙げた。
「で、でも……かわいいのがいいな……。見てて元気が出るやつ……」
「かわいい……」ヴィーナはふと自分の髪飾りに触れ、そして小さく笑った。
「じゃあ……“うさたん”にしようか。お母さんからもらった大事な髪飾りと、一緒に」
一瞬、沈黙が落ちた。
「うさ……?」ナツキが呆気に取られる。
「たん……?」クロエが耳をぴくりと動かす。
次の瞬間、エリカがぱっと顔を輝かせた。
「いい! すごくいいよヴィーナ! 絶対かわいい!」
レナは少し驚いたように目を瞬かせ、それから小さく笑った。
「意外ですが……確かに、心を和ませる旗印は士気を高めますね」
ゼノは腕を組み、目を伏せながら小さく息を漏らす。
「……うさたん団、か。可愛らしいが……妙にしっくりくるな」
レイクスが喉を鳴らし、抑えたように笑った。
「旗印が何であれ、団を束ねるのは覚悟だ。……好きに決めよ」
⸻
ヴィーナは仲間たちを見回し、今度は役職について口を開いた。
「団長は……お父さんが言った通り、ゼノさんにお願いしたい」
ゼノは一瞬だけ目を伏せ、やがて厳かに頷いた。
「拝命いたします。ヴィーナ様、うさたん団の剣として」
「副団長は……レナ。仲間を守るあなたに、任せたい」
レナは目を丸くし、それから真剣に頷いた。
「……わかりました。あなたの盾として、必ず支えます」
「それから……親衛隊は、ナツキ、クロエ、エリカ。三人に守ってもらいたい」
ナツキが大きく笑い、肩を叩いた。
「よっしゃ! 任せとけ! 俺がいれば百人力だ!」
クロエは短く答える。
「……了解した。背中は預かる」
エリカは少し震えながらも微笑んだ。
「わ、わたしも……精一杯がんばる……!」
⸻
ヴィーナは胸いっぱいに息を吸い込み、父を見上げた。
「これで……私の家と騎士団ができたよ、お父さん」
レイクスは目を細め、優しい笑みを浮かべる。
「うむ。ならばあとは――王城で叙任を受けるだけだ」




