王城の門を越えて
第13話 王城の門を越えて
エルディナ王城。
広間も回廊も、戦支度に追われる兵と役人でごった返していた。
甲冑の音、怒号、命令の声。
誰もが「レクシア本隊が迫っている」と信じ、王都防衛の準備に必死だった。
◇
「そこの荷を急げ!」
「弓兵は北塔に配置しろ!」
「伝令はまだ戻らぬのか!」
慌ただしい叫びが飛び交う中、ひとりの青年が門をくぐった。
外套を羽織り、腰にはただの剣。
その外套には――指輪と雷と翼の意匠が、銀糸の光を返していた。
青年は城内を見渡し、肩をすくめる。
「……昔と変わらんな。城というのはいつもさわがしい」
「止まれ!」
槍を構えた兵が、彼の前に立ちはだかる。
「ここは王城だ。身分と用向きを示せ!」
青年は歩みを止めず、ちらりと兵を見やった。
「……通してくれ。セレーナに用がある」
その眼差しに、兵の背筋が凍りつく。
次の瞬間には、槍を握る手が自ら力を失い、道が開いていた。
◇
「静まれ!」
その場を鎮めたのはフィアナだった。
鎧をまとい、腰の剣に手をかけながら広間へ姿を現す。
「ここは王城。乱れた声は敵に背を見せるのと同じこと。恥を知れ!」
兵たちは一斉に背筋を伸ばし、場の空気が締まる。
「……やはり、あなたでしたか。一昨日の謁見以来ですね」
フィアナは短く吐息を漏らし、青年――レイクスをまっすぐ見据え、深く礼を取った。
レイクスは軽く片手を上げて応じる。
「久しいな、フィアナ。今日はセレーナに会いに来た」
その声音はまるで狩り帰りの談笑のようにさらりとしていた。
だが、フィアナの瞳が一瞬だけ大きく揺れる。
「……この状況で……ですか」
彼女は小さく息を整え、再び冷静さを取り戻した。
「……よろしいでしょう。案内いたします」
◇
外套の紋様が翻るたび、広間の慌ただしい気配は自然と薄れ、代わりに張り詰めた緊張が広がっていく。
だが誰も立ち止まることはできなかった。
戦の準備に追われながら、ただ青年の歩みに道を譲る。
――その時、まだ誰も知らない。
レクシアの大軍は、すでに一夜にして灰燼と化していることを。
玉座の間には、緊張した空気が満ちていた。
地図を広げた重臣たちが声を張り上げ、兵士たちが命令を運んでいる。
王座に腰掛けるセレーナは、凛とした姿勢を崩さずにそのすべてを見ていた。
若き女王の瞳は疲労を隠せぬほど曇っていたが、それでも揺るぎない威厳を放っていた。
◇
「陛下、敵軍はすでに国境を越えております!」
「伝令によれば、本隊は二万。砦が落ちれば直ちにこちらへ――」
言葉を遮るように、重い扉が開いた。
広間の空気が凍りつく。
外套を翻し、ひとりの青年が入ってきた。
銀糸の紋様――指輪と雷と翼――が、月光のようにきらめく。
「無礼者! ここがどこだと思っている!」
重臣が叫ぶが、青年は気にも留めず歩を進めた。
◇
セレーナの瞳がわずかに揺れる。
(……やはり……)
フィアナが一歩進み出て、膝をつく。
「陛下。この方は――レイクス様です」
広間にざわめきが走った。
だがセレーナは静かに片手を上げ、場を鎮める。
「……何の用で、ここへ?」
青年――レイクスは軽く笑んだ。
「戦の報せではなく、君に会いに来た」
広間の重臣たちは息を呑む。
だがセレーナは視線を逸らさず、真っ直ぐ彼を見返した。
「……この国に二万の軍が迫っていることを、ご存じで?」
レイクスは軽く肩をすくめた。
「心配はいらん。すでに灰になっている」
◇
「馬鹿なことを……!」
「そんな証拠がどこに――」
重臣たちが口々に反論した、その時だった。
扉が再び開き、泥にまみれた伝令兵が駆け込んだ。
「報告! 先発隊八千――全滅ッ! 敵陣は炎に包まれ、残兵は確認できず!」
広間に驚愕の声が渦巻いた。
「ば、馬鹿な……!」
「一夜にして八千が……?」
セレーナは小さく息を呑み、レイクスを見た。
その瞳には驚愕と、そしてわずかな確信が宿っていた。
レイクスは片目を細め、からかうように笑った。
「そうだ。――ああ、それと」
広間にいる誰もが耳を澄ませた。
「セリスに群がっていた虫どもは、もう排除しておいた。
工作員だよ。放っておけば災いになる。だから消した。……次はない」
その声音には冗談の響きなど一片もなかった。
フィアナの眉がわずかに動く。
セレーナもまた表情を崩さなかったが、その指先が肘掛けを強く握った。
「……感謝します」
女王の静かな言葉が、重く玉座の間に響いた。
◇
王城を満たす空気は一変していた。
先ほどまでの慌ただしい戦支度は、ただ一人の来訪者によって、言葉にできぬ緊張へと塗り替えられていた。
レイクスが玉座の間を去ったあとも、広間には重苦しい空気が残っていた。
伝令が告げた「八千の全滅」という報せが、まだ誰の胸にも信じきれずに響いていたのだ。
「本当に……?」
「一夜にして八千が消えるなど……」
「では、本体二万はどうなる……?」
重臣たちは顔を見合わせ、ざわめきは収まらない。
◇
セレーナは静かに立ち上がり、周囲を見渡した。
「ペガサス隊を飛ばせ」
その一言に、広間がぴたりと止まる。
「敵本隊を偵察させよ。……真実を確かめるのだ」
命を受けた将校たちは慌ただしく動き、すぐに伝令が走った。
空を翔ける翼だけが、この混迷を打ち破る証になると信じて。
◇
一方その頃。
レイクスは、まるで何事もなかったかのように王城を後にし、夜の街道を歩いていた。
冷たい風が外套を揺らし、銀糸の紋様が月光を返す。
その足取りは戦場を駆け抜けた者のものではなく、狩りを終えた者のように軽やかだった。
◇
屋敷の扉を開けると、灯りのともる部屋から清らかな声が迎えた。
「おかえりなさい、レイクス」
そこにいたのはセリスだった。
淡い金髪が炎の灯に揺れ、翠を帯びた蒼の瞳が彼を見つめる。
胸元には、小さな香草袋――彼女が自ら縫ったものが下がっていた。
レイクスはわずかに目を細める。
その香りは、かつてのセラを思い出させるものだった。
「……ただいま」
戦の緊迫を背負ってきたはずなのに、その言葉は驚くほど穏やかにこぼれた。
「外が騒がしかったようですが……何かあったのですか?」
セリスが首をかしげて問う。
レイクスは苦笑し、椅子に腰を下ろした。
「虫が少し飛んでいただけだ。……もう片付いた」
「また、そうやってはぐらかすんですね」
セリスは小さくため息をついたが、その瞳には安堵の色が広がっていた。
「でも……あなたが無事なら、それでいいです」
レイクスは一瞬だけ視線を落とし、そして彼女を見返した。
その瞳には、かつて失ったはずの人影が重なっていた。
(……セラ……)
言葉にはせず、ただそっと笑みを返す。
その笑みだけが、ふたりの胸の奥にある想いを確かめる答えとなった。
◇
その夜、王城ではペガサス隊が空へ舞い、緊迫が続いていた。
だが一方で、静かな屋敷には戦とは無縁の灯火がともり、
レイクスとセリスの穏やかな語らいが続いていた。
まるで――時を越えて結ばれる運命を確かめるように。




