出立
第6話 出立
まだ空が白み始めたばかりのオルデア南門。
甲冑のきしむ音、槍の列、翻る旗――王都じゅうを震わせるようなマルターレス騎士団の出立準備が整っていた。
「すっげぇ……本当に千人くらいいるんじゃないか?」
ナツキが口を半開きにして列を眺める。
「口を閉じなさい。田舎者みたいに見えるわよ」
クロエが冷ややかに言うと、ナツキは「いや実際すげーんだって!」と口を尖らせた。
「でも……本当にこれから戦に行くんだよね……」
エリカは少し不安げにヴィーナの袖を握る。
レナは小さく息をついて言った。
「……私たちも覚悟を決めるよ。もう後戻りはできないんだから」
◇
ヴィーナは仲間たちのやりとりを聞きながら、胸の奥で小さく息を整えた。
(……お父さん。必ず……会えるよね)
そのとき、ゼノが馬を引いて彼女の前に片膝をつく。
「本日より護衛を務めさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」
その言葉に周囲の兵がざわめいた。
「ゼノ隊長が直々に……!」
「いったい何者なんだ……」
ヴィーナは慌てて手を振った。
「そ、そんな大げさにしなくても! 私はただの――」
「ただのヴィーナ、ね」
クロエが肩をすくめる。
「でも、あの人たちにとってはそうじゃない」
「うん、でも私は嬉しいよ」
エリカが笑顔を見せる。
「……俺はまだ緊張で腹が痛ぇけどな」
ナツキのぼやきに、一同が小さく笑った。
◇
そのとき、角笛が鳴り渡る。
リストール団長の号令に合わせ、千を超える騎士たちが一斉に動き出した。
馬蹄が石畳を叩き、王都の門が重々しく開かれていく。
ヴィーナは深呼吸をして一歩を踏み出した。
仲間たちがその背を支え、ゼノがその傍らを守る。
――こうして、少女と仲間たちは、戦の地エルディナへ向けて歩みを始めた。
夜明け前の冷たい空気が野営地を包んでいた。
マルターレス騎士団は行軍の支度を整え、南方――エルディナへ進軍を控えている。
その規律正しい空気を切り裂くように、泥だらけの斥候が駆け込んだ。
「報告――!」
彼はリストール団長の前に膝をつき、息を荒げながら声を張り上げる。
「レクシア軍先行部隊、八千! 夜明け前に――ヴァルトニア騎士団の急襲を受け、壊滅状態とのこと!」
◇
ざわめきが一気に広がった。
「ヴァルトニアが動いたのか……!」
「やはり噂通り、精鋭中の精鋭……」
「俺も試験を受けたが、一太刀で地に伏した……」
「ははっ、俺もだ。通るのはほんのひと握りだからな」
若い騎士たちは目を輝かせ、年配の兵は苦笑まじりに首を振る。
「憧れの部隊だが……選ばれる者はほとんどいない」
視線が自然とゼノに集まった。
彼は短く目を閉じ、静かに応じる。
「……俺も若い頃に受けた。だが実力不足で選ばれなかった」
その一言に兵たちは息を呑み、やがて深くうなずいた。
――ゼノほどの実力者ですら届かぬ門。
それがヴァルトニア騎士団という存在の重さを雄弁に物語っていた。
◇
仲間たちも息を呑んでいた。
「ヴァルトニアって……そんなにすごいの?」
エリカが呟く。
「八千を壊滅だぜ……とんでもねぇ」
ナツキは喉を鳴らす。
「数ではなく質。そういう部隊ね」
クロエが冷静に答える。
レナは視線を落とし、静かに呟いた。
「……だからこそ、憧れと畏怖が同居するのね」
◇
ヴィーナは胸の奥に熱とざわめきを覚えていた。
(……お父さん……?)
リストール団長は低く頷き、命じる。
「我らも急ぎ、エルディナへ進む。今日中に国境を越えるぞ」
角笛が鳴り渡る。
その響きは――憧れの象徴が現実に剣を振るう時代の始まりを告げていた。
進軍を続けるマルターレス騎士団。
昼下がりの陽光の下、列の後方でヴィーナたちは歩調を合わせていた。
「ねぇゼノさん」
ヴィーナがおずおずと口を開く。
「……ヴァルトニア騎士団って、どんな人たちなの?」
その問いに、仲間たちも耳を傾けた。
「俺も気になるぜ。八千を壊滅って、桁が違うだろ」
ナツキが言えば、
「単純に数が強さじゃないのは分かってるけど……」
クロエが眉をひそめる。
エリカは首をかしげた。
「やっぱり特別な魔法とか? それとも伝説みたいに“雷”とか……」
◇
ゼノは短く息を吐き、前を向いたまま答えた。
「……ヴァルトニア騎士団は、数を誇る部隊じゃない。一人ひとりが軍勢に匹敵する存在だ」
彼の声は落ち着いていたが、その奥に宿る敬意は隠せなかった。
「俺が若い頃、入団試験を受けた。だが実力不足で選ばれなかった。
――そのとき悟った。あの門は“強さ”だけじゃない。
覚悟、信念、そして命を投げ出せる心。そのすべてが試される」
仲間たちは息を呑んだ。
「……命を投げ出す心?」
エリカが不安げに繰り返す。
「そうだ。あの騎士団は、“勝つ”ためじゃなく、“守る”ために全てを捨てられる者だけで成り立つ。
だからこそ、八千を相手にしても退かない」
◇
「……やっぱりヴァルトニアの名前はすごいんだね」
レナがぽつりと呟いた。
「ヴィーナのお父さんって……いったい何者なんだろう」
仲間たちの視線が自然とヴィーナに集まる。
彼女は答えられず、ただローブの裾を握りしめた。
◇
そのとき、角笛が前方から響いた。
行軍の列が加速する。
エルディナ国境までは、もうあと一日。
――憧れの名は現実に動き出し、少女の胸をさらにざわめかせていた。




