開戦の高まり。
エルディナ王城
白亜の王城、謁見の間。
高く掲げられた聖火が揺らめき、その明かりが重苦しい空気を映し出していた。
廷臣も騎士団長も一様に顔を強張らせ、ただ一人、玉座に座す女王セレーナだけが落ち着きを崩さなかった。
「陛下! レクシア神聖国の軍勢、すでに国境の街ベルディアに向けて進軍中!」
泥に汚れた伝令の声が謁見の間に響き渡る。
「敵軍は聖職者を伴った弓騎兵主体の部隊、数は我らの三倍以上にございます!」
広間がざわめく。
ハルバート伯ゼオが一歩前に出る。
「第二騎士団はすでにベルディアに集結、籠城の備えを整えております。しかし数は圧倒的に劣勢……援軍がなければ、一日と持ちませぬ!」
「ならば急ぎ出陣を!」
王女リアーナが立ち上がる。
「民を守るため、躊躇う理由などありません!」
「姫様……!」
聖騎士団長フィアナが制止の声を上げる。だがその瞳は王女と同じ決意に燃えていた。
「現実を見よ!」
ゼオが声を張り上げる。
「第一騎士団とペガサス騎士団を動かさねば防衛は不可能! だが、その戦力を抜けば王都の守りは手薄となるのです!」
「財の裏付けが必要です!」
西交易領の若き子爵、レオニスがすかさず進み出る。
「この戦は長期戦となるでしょう。商人は恐れて交易を止めています。国が保証を示さなければ、物資は届きません!」
「戦う兵に必要なのはまず心!」
聖泉領を治める老侯アルベールが、杖を強く鳴らした。
「聖泉より巫女を派遣し、祈りを軍へ届けましょう。信仰こそ士気を繋ぐもの!」
軍事・財政・信仰――三家の意見が交錯し、謁見の間は混乱に包まれる。
その最中、女王セレーナが静かに立ち上がった。
衣擦れの音と共に広間が一瞬で静まり返る。
女王は柔らかな声音で、しかし揺るぎない眼差しで廷臣を見渡した。
「ゼオ伯。兵の数も大事ですが、飢えた兵に勝利はありません。補給路の確保を忘れずに」
ゼオははっとし、深く頭を下げる。
「……御意」
「レオニス。あなたの財と交易の才は今こそ国の力となります。保証は王家が引き受けましょう。安心して商人を動かしなさい」
若き子爵は目を見開き、すぐに胸に手を当てて深く礼をした。
「は……! 必ずや糧を届けてみせます!」
「アルベール侯。兵の心を折らせぬため、あなたの信仰と祈りを必要とします。どうか軍のもとに巫女を」
老侯は涙ぐむように頷き、深々と頭を垂れた。
「陛下の御心に従いましょう……」
セレーナは広間を一望し、凛とした声で告げる。
「第一騎士団は北部戦線へ。ペガサス騎士団は遊撃として敵の補給を断て。諸侯の領軍は即刻ベルディアへ派遣せよ。――この国を守り抜くのです」
その言葉は優しくも揺るぎなく、広間に満ちた混乱を一瞬で鎮めた。
女王セレーナの声が謁見の間に響き渡り、揺れていた廷臣たちの心がようやくひとつにまとまりかけた、その時だった。
――扉が大きな音を立てて開かれる。
衛兵が慌てて姿勢を正すより早く、一人の伝令が駆け込んできた。
鎧は土に汚れ、外套は泥に染まっている。息を切らし、玉座の前で深々と膝を折った。
「御前を汚す無礼、どうかお許しください! 急ぎの報せにございます!」
広間がざわめきに包まれる。女王は片手を上げ、静かに促した。
「申せ」
「――ヴァルトニア伯爵、レイクス様が領館に帰還されました!」
一瞬にして、謁見の間が揺れた。
「な……ヴァルトニアが……!」
「英雄が……戻ったのか!」
「ついに、あの家が再び……!」
廷臣たちが口々に声を上げ、広間は混乱に近い熱気に包まれる。
ゼオ・ハルバート伯が低く呟いた。
「……ヴァルトニア家は王命に従う義務を持たぬ。今回もどう動くかわからんぞ……」
レオニス・エスティナ子爵が険しい表情で続ける。
「しかし、彼がどのように動くかで国の未来は変わる。戦の勝敗すら左右する……」
女王セレーナは広間のざわめきを見渡し、静かに立ち上がった。
その声音は柔らかでありながら、凛とした力を帯びていた。
「ヴァルトニアは命じて動かす者ではない。我らと共に歩む柱だ。敬意をもって迎えよ。彼の帰還は、この国の運命が変わる証である」
そして、玉座から真っ直ぐに声を投げかける。
「――第一騎士団長、フィアナ」
呼ばれた瞬間、女騎士は鎧を鳴らして一歩前へ進み出る。
長い金の髪が揺れ、青い瞳は真摯に女王を見据えていた。
「ここに」
「そなたを使者としてヴァルトニア館へ遣わす。国の誠意を伝えよ。そして……彼が何を望むのかを、必ず余に報せるのです」
フィアナは胸に拳を当て、深々と跪いた。
「はっ。この命にかえても、女王陛下の御心に応えてみせましょう」
その誓いの言葉に広間は静まり返る。
戦乱の足音が迫る中、エルディナはついに「雷光の伝説」を迎えるための一歩を踏み出した。
その頃、 レクシア神聖国・荘厳な大聖堂の奥、白大理石の柱に囲まれた謁見の間。
教皇アルシオンの前に、慌ただしく駆け込んだのは聖戦士団の伝令だった。
「教皇猊下! 急報にございます!」
声は震え、汗に濡れた額が光っている。
「エルディナ王国に――ヴァルトニア伯爵、レイクスが帰還したとのこと!」
広間にいた聖職者や騎士たちが一斉に息を呑む。
ざわめきが恐怖へと変わり、やがて誰かが呟いた。
「……雷と炎で、我らの軍を焼き払った……」
二百年前、聖戦を退けた災厄。
天より雷を呼び、炎を撒き散らし、数万の軍を灰にしたその存在は、今なお「異端の象徴」として語り継がれていた。
「まさか……まだ生きているのか」
「いや、ありえぬ。これは伝説の再来にすぎぬ」
「だが……もし現実だとすれば……」
恐怖と疑念が入り交じる中、異端審問官セレニアが一歩前に出た。
赤い瞳に冷たい光を宿し、鋭く言葉を切り捨てる。
「怯えるな。たとえ本物であろうと、我らの信仰を揺るがすことはできない。
だが――確かに、ヴァルトニアは神聖国にとって最大の障害。今度こそ、異端の血を絶やすべき時です」
広間が静まり返る中、教皇アルシオンがゆるやかに口を開いた。
その声は重く、白大理石に反響して聖堂全体を支配する。
「……全能の神が与えた試練ならば、我らはそれを討ち払うのみ。
聖戦をもって――雷光の異端を滅ぼすのだ」
その宣告に、聖戦士も聖職者もひざまずき、声を失った。
だがその背を冷たい汗が伝い、胸の奥を得体の知れぬ恐怖が締めつけていた。




