レイクスの帰還
44話 レイクスの帰還
エルディナ聖王国の王都リュミナ。
白亜の大聖堂を頂く女神の都は、巡礼と商いで賑わい、誰もが平穏な日常を疑わなかった。
戦の影が迫っているなど、この時の民は知る由もない。
その街を抜け、北へと進めば、一つの館が姿を現す。
黒鉄の門と堅牢な石壁、重厚な屋根。
――ヴァルトニア伯爵家。
二百年前に授爵されたその館は、今も威容を保ち続けていた。
門の前には、二つの影が立っていた。
灰銀の髪を束ねたハーフエルフの執事セバス。
そして竜の血を継ぐ騎士、アルトミュラー。
二百年の時を経ても変わらぬ姿で、主を待ち続けた忠臣たちである。
その背後には、十数名の使用人が列をなし、大扉を開け放っていた。
さらに石畳の奥では、黒銀の甲冑を纏った騎士たちが整列する。
胸甲に刻まれた意匠は“指輪に香草袋”。
背後の軍旗には伯爵家の家紋“雷に翼と指輪”が翻っている。
――ヴァルトニア騎士団。
伯爵家を護るために結成された精鋭は、今もその誓いを守り続けていた。
外套を翻して歩み寄る男の姿を見た瞬間、全員が一斉に膝を折る。
レイクス=ヴァルトニア。
二百年の空白を越え、主が帰還したのだった。
「……よくぞ、留まってくれた」
低い声が響くと、セバスは深く頭を垂れる。
「我らはずっと、この日を待ち望んでおりました。伯爵様……ヴァルトニア家は再びその旗の下にございます」
アルトミュラーは剣を胸に掲げ、誓いを捧げる。
「竜の血も、我らの剣も、未だ鈍らず。二百年を越えて、この命、再び貴殿に」
騎士団が一斉に剣を掲げ、陽光を反射させた。
失われたはずの伯爵家の威光が、確かに蘇った瞬間だった。
館の大扉をくぐると、赤い絨毯が一直線に延び、燭台の炎が広間を揺らしていた。
最奥の壁に掲げられているのはただ一つの肖像画。
――初代ヴァルトニア伯爵、レイクス=ヴァルトニア。
その鋭い眼差しは、今もなお館を見守っているかのようだった。
広間の両脇には、魔封結界に守られた展示室が並ぶ。
そこに眠るのは数々の伝説級の武具。
星詠みの杖、黒耀の剣、水霊の指輪、烈火竜の剣、ワイバーンウィンドダガー。
いずれも大陸の歴史を左右した力を持ち、今なおヴァルトニア家の誇りとして守られていた。
「全ては主の御為に」
セバスの声が広間に響く。
「いつの日か再びその力を振るわれると信じ、我らは守り続けてまいりました」
レイクスは静かに頷き、そして言葉を継ぐ。
「……長き留守の間に、新たに守るべき存在を得た。養女だ。名をヴィーナという」
その名を口にする時、わずかに声音が和らいだ。
セバスは驚きに目を見開き、深く頭を垂れる。
「……伯爵様にお子が……。それは、我らにとっても何よりの喜びにございます」
「明るく、強い娘だ。だが、まだ幼い。
この国に安らぎがあれば……いずれ連れて来ることになるだろう」
「承知いたしました」
セバスは声を震わせ、アルトミュラーもまた胸に手を当てる。
「この武具も、騎士団も、館も――そしてその御息女も、すべてお守りいたします」
レイクスは広間を見渡し、ひとつ息を吐いた。
二百年の空白を越えても、この館は生きている。
そして自分もまた、帰るべき場所に戻ったのだと。
その夜。
寝台に横たわりながらも、眠気はなかなか訪れなかった。
ふと、枕元から微かな香草の香りが漂う。
懐かしい、失われた祈りの記憶を呼び覚ます匂い。
夢が訪れる。
光に満ちた泉のほとりで、白と水色の巡礼衣を纏った少女が立っていた。
淡い金の髪、蒼に翠を帯びた瞳――彼女は振り返り、微笑む。
その姿を見た瞬間、胸の奥から名があふれた。
――セリス。
声は届かず、姿も淡く揺らいでいる。
だが確かに、あの香草袋と同じ香りが、夢の中でレイクスを包んでいた。
目を覚ますと、夜はまだ深い。
窓の外、聖泉から流れる風がカーテンを揺らす。
胸の奥に、長い時を超えた確信が芽生えていた。
――この国に、彼女がいる。




