賢者ってそっちの賢者かよ
俺の日常は大体最悪な気分から始まる。
「ピピピピピ」と、既に平時ですらトラウマになって久しいアラーム音を消すと、俺は二度寝に落ちてしまう前にスマホを開いて寝ている間の通知を確認する。
こうやってブルーライトで脳を起こすのが、低血圧で朝に弱い俺のいつものルーチンだ。
Xを軽く眺めているうちに少し時間が経って、ようやく覚醒した俺はベットからゆっくりと立ち上がる。
まだ登校時間までそれなりの時間があるが、俺は朝風呂派なので余裕があると言うわけではない。
そのまま洗面台で歯を磨いて髭を剃り、風呂をサッと済ませてすぐに学校へ向かう。
俺の通う高校はそれなりの学校だが、これと言って勉強に精を出すでも無く、ただ友人と馬鹿みたいなことをして日々を消費している。
将来に対して特別の不安も無ければ目標もなく、今日も授業を適当に聞き流して、放課後に友人とゲーセンや書店を冷やかしてから軽く喫茶店で飯を済ませて解散する。
それが俺、高校一年生の才波葉斗の日常だ。
うちは両親が仕事一筋なので、家に帰宅して誰かがいると言うことは稀だ。
そんな訳で1人家に帰った俺は、友人と通話で騒ぎながらゲームをして、寝る前にアニメを軽く流し見して、今日もいつもの日常を何の感慨もなく終える。
あるいは人生で最後のこの日常を。
俺がいつもより少し快適に目覚め、ベットに横たわったまま寝ぼけ眼をよく擦ると、そこはいつもの見慣れた部屋ではなかった。
目線の先にある天井は真っ白そのもので、確かに俺の部屋と同じではあるものの、材質が根本的に違う。
困惑で頭が少しフリーズする。
「お目覚めですか、葉斗さん」
ふと横から声を掛けられた。
俺が声の方へと視線を移すと、そこには巨乳の美少女がいた。
髪はピンクのロング、幼さの残る可愛らしい顔にやや崩れかけた笑みを湛えた彼女は、白を基調としたカジュアルな服装....なんて紹介してる場合じゃ無いか。
「....ええと、誰ですかね」
とりあえず、俺はこの身元不詳で明らかに怪しい女に素性を尋ねてみる事にした。
「おめでとうございます!あなたは異世界転移を果たしました!これからは私と2人、のんびりスローライフを送りましょうね」
「だから誰なんだよお前」
俺の試みは不発に終わったようだが、それ以上のとんでもない情報が飛び込んできた。
俺はどうやら、アニメやラノベで言う“異世界転移”と言うものをしてしまったらしい。
だが、不思議と高揚感は無い。不快感もない。
ただ異世界転移した事実を淡々と受け入れている自分がいた。
「えっと、あなたのお世話役みたいな感じですかね。ニーナとお呼びください」
ようやく彼女が自己紹介をしてくれたが、さらに事情がわからなくなる。
「全く意味がわからないんだが....お世話係ってなんだ?」
当然の疑問だろう。
ニーナは少し考えると、こう答えた。
「実は、葉斗さんの異世界転移は事故みたいなもので...本当は処刑しなくてはいけないんですよ」
「俺殺されんの!?」
と戯けられる程には恐怖心がない。
「いえ、流石に可哀想なので、私をお世話兼監視役みたいなものにして、とりあえず生かしてはおこうかなと言うのが神々の決定でして。」
「本当に優しいな....いや優しすぎないか?俺1人のためにわざわざこんなこと?」
「一応神ですので」
本物の神様というのは、意外とまともな存在なのかも知れない。
それとも、神様界にもお役所仕事的に「うーん、経費かかるけどシステム上やるしかないよね〜どうせ俺現場じゃないし」みたいな事があったりするのだろうか?
「まあ、とりあえずはありがとうと言えばいいのかな」
俺は色々を飲み込みながら、ゆっくり体を起こす。
「いきなり大丈夫ですか?」
と、不安そうにニーナが聞いてくる。
「何か転移に危険性でもあるのか?」
俺はいつものように動こうとした体をピタッと止めて、一応ニーナに聞いてみた。
「一応体の物質を再構成してますから、多少の不具合は...」
なんとなく読めてきたぞ。
「それってもしかして...精神もって事か?」
ニーナはやや目を逸らす。
「まあ、完全に元のあなただとは言えないかも知れませんね」
どうやら俺はオタク無駄知識の一つ、テセウスの船状態になってしまったらしい。
つまり、俺が感じてる自分の性格への違和感は...
「再構成の過程で....性格が賢者タイムにでも設定されたか」
ニーナがアハハとやりづらそうに笑う。
これは異世界転生と呼んでも良いんじゃないだろうかと思う。
この場合ジャンル分けはどうなるのだろう、とかくだらない話でお茶を濁してみても何も変わらない。
こればかりはしょうがない事だ。
折角の異世界転生?で美少女と二人暮らしなのに何も感じないのは癪だが、なんとか感覚を掴んでいくしか無いだろうな。
「俺は魔法とか使えたりするのか?」
とりあえずニーナに聞いてみる。異世界転生において一番の醍醐味と言えば魔法だ。
「多分無理だと思いますよ...そもそも魔素が無いでしょうし」
うん、終わったな。
前世では剣道と空手も一応収めたのだが、それは魔法があって初めて異世界チートに結びつくもので、魔法がなければどうしようもない。
そもそも魔素ってなんだよ。
「....なんかステータス画面見たいのは見れないのか?」
「そういうのはうちはちょっと....」
ステータス画面伝わるんかい。
それから1時間ほどは、ニーナと軽く談笑をして過ごしていた。
向こうが割と話題を振ってくれるので、特に気まずい雰囲気になることもなく時間が過ぎていく。
「とりあえずなんかお腹が空いたな」
ふと俺は自分の空腹感に気付いた。
低血圧な俺が寝起き1時間で腹を空かすと言うのは珍しい話だが、
「あれ、生理欲求は割と残ってるのか」
そっちの方が驚きを感じる。
通常人間の欲求というのは連動しているものなので、全ての欲がないのであれば生理欲求も割と抑えめになるはずなのだ。
少なくとも、空腹を知らせるために脳が嘔吐感という危機信号を送らない限りは、大して腹は減らないと思うのだが。
「多分、再構成で特殊なバグり方をしたんでしょうね」
「そんな他人事みたいに言わないでくれ」
相変わらず倫理観の少しズレたニーナにため息をつくと、ニーナがふと立ち上がる。
「せっかくですし、遅めの朝食を摂りましょうか」
と言うと、部屋の扉の方へと歩いて行く。
「ああ、悪いな。俺に手伝うことあるか?」
俺もベットの淵から立ち上がり、ニーナに続く。
そんなこんなで俺たちは、ベーコンエッグにご飯という異世界風味の微塵もない朝食をサクッと作り席に着く。
当然のようにニーナは横に座った。
まあ良いんだけどさ。
「いただきます」
ニーナが箸を両親指で挟みながら手を合わせる。
「お前は日本人かよ」
そうつっこむと、俺も久しぶりに手を合わせて「いただきます」と言い、ベーコンエッグを口に運んだ。
「えっと...お味はどうですか?」
ニーナが上目で伺うようにこちらを見ている。
「君の想像通りだよ?」
「こういう場面でふざけるのは乙女心的にどうかと思います」
プイっとそっぽを向いてしまった。
「悪い悪い、だけどまあ本当に無味無臭だな」
それが俺の感想だ。
正直言うと、今の俺は味覚を殆ど感じないらしい。
いや、これは適切な言い方では無いな。
辛い、甘いなどは感じるのだが、それが「旨い」に結びつかないのだ。
例えば「旨味」などは、人間のエネルギー源として最適なアミノ酸に対して反応するようにプログラムされている味覚だ。
俺はそれを「旨味」として探知はできるのだが、それが「旨い」と言う満足感へ繋がらないのだ。
ただ調味料を舐めているような感覚と言えば近いだろうか。
これも賢者タイムのせいだろうが、非常に厄介な話だ。
人間は栄養素を摂れば幸せになり、取らなければ苦痛に喘ぐように設計されている。
言わば飴と鞭方式なのだ。
なのにこれでは、鞭しか無い1人ドMプレイじゃ無いか。
「それは少しショックですね...」
ニーナが見るからにシュンとしてしまった。
自分が作った料理が無味無臭と言われたら無理もない。
こんななら、極論料理などせずに必要な栄養素だけぶち込めばそれで良いと言う話になってしまう。
つまるところ、この料理は完全な無駄骨だったと言う訳だ。
俺は特に慰めの言葉も思い浮かばなかったので、とりあえずこの場を納めることにした。
「まあお前のせいじゃないし」と慰めても、それはそれで藪蛇としてグサっと刺さりかねない現状を鑑みると、あまり適切な言葉が思い浮かばなかったのだ。
「まあしょうがない....こんなんだけどまあ、これからよろしくな」
ニーナに向いて言う。
そう言った諸々を受け止めて前に進むのもラノベの王道だ。
チートのないガチのスローライフを送るのだっていいじゃないか。
そもそもスローライフ主人公達が求めていた生活とはこう言った物な筈だ。
俺にはチートスキルも勇者の称号も無いし、最強パーティーを追放されたわけでも無い。
邪魔者はいない筈だ。
設定上はあいつらが夢にまで見たと言う生活を満喫するのも、そう悪い話じゃ無い。
「ええ、よろしくお願いしますね!」
ニーナはそう言っていきなり僕を抱きしめると、心底幸せそうに笑うのだった。
「あ」
当然ながら勃たなかったし、俺のベーコンエッグは地を跳ねた。
「えーっと...ウォーター!」
いとも簡単に空中に水が放出される。
「できて....しまった....」
とは言え魔法が使えるのかは気になるだろう。
使えませんで引き下がるなら、俺はGoogleの画像検索機能を使ってエロ画像をサーチしたりはしない。
転移先の古屋の裏庭で一応試してみたところ、どうやら俺も魔法が使えるらしい事が分かった。
しかも....
ボン、シュッ、ドン......
全ての属性を無詠唱で、しかも威力も形態も完璧に想像通りに再現できる。
そもそも属性とかあるのか分からないけど、とりあえず思いつくものは全て出来てしまった。
その上
「螺旋玉!!」
ドゴーン。とりあえず想像出来るならなんでも出来るらしい。
俺の剣術スキルはどうだろうか。
「スターバーストストリーム!」
10連撃で止まる。
どうやら剣術に関してはそこまでチートでも無いらしい。
俺は直葉のフォームとキリトのフォームのどちらで戦えばいいのだろうか。
と言うか、これって魔法判定なのか?剣術判定ってそもそも何?
ブゥゥンはどっちに分類されるんだ?
「なにごとよ!」
俺のスター略(10連撃)の音に驚いたのか、ニーナが慌てて外に出てくる。
「えっと....俺なにかやっちゃいました?」
まあ、やっちゃってるよな冷静に考えて。
と思うのだが、ニーナはそこまで驚いていないらしい。
異世界人にとってはこれが普通なのだろうか。
まあ、神の使いの反応で一般人の尺度を測るのもおかしな話なんだけどな。
「....魔法、使えたのね」
ニーナは微妙に歯切れが悪い。もしかして隠してたなこいつ。
「有難いことにな。何か問題でも?」
どうやら俺はこの世界でもそれなりにやれるらしい。
多少の皮肉を返してニーナの出方を伺う。
対するニーナは少し考えると、
「一応、あなたはこの世界にいない事に手続き上なってるので、その力は隠して貰わないと困ります」
と言ってきた。そんなご無体な。
これじゃあ本当にチート持った状態でスローライフ送る羽目になるじゃ無いか。
そんなの誰も本当は望んでないんだよ。
いや、今の俺に望むとか望まないとかの感情そこまで無いんだけど。
「一般人レベルの魔法だったら、使っても良いわけだな?」
確認を取る。
「構いませんが...と言うか、葉斗さんはそもそもここから離れるの規則的に禁止ですから、その力があっても別に使う機会ないと思いますよ?」
「俺は賢者タイムの状態で一生ここで暮らすのか?」
「そうなりますね....で、でも私もいますよ!?」
ニーナはそう言うとおもむろに腕を絡めてくる。
「そう言う事だってし放題ですし....ね?」
「俺が賢者タイムじゃないならそれも良いんだけどな」
「あー...」
ニーナは若干残念そうだ。こいつもしかしてビッチ?
「異世界に来たんだ。冒険か学院か、どっちかはやらせて貰うぞ」
「そう言われましても....」
本当にニーナは困ってしまう。そして
「なら...しょうがないですね」
俺の体が拘束される。
「私は葉斗さんにこう言うことはなるべくしたくないんだけど」
コイツ本気だ。
俺、もしかして一生こいつの管理下に置かれて自由もなく暮らすのか?
この魔法で縛られて?冗談じゃない。
「解呪!!」
しかし魔法は一向に解ける気配がない。
「葉斗さんは強いですが、どう逆立しても私には勝てない。そう言うものなんですよ」
「やめろ、俺に普通の異世界ライフの邪魔をするな!」
すると、魔法が完全に解けたじゃないか。
どう言う風の吹き回しだろうか。
「もしかしてお前、俺の命令に逆らえなかったりする?」
一瞬の沈黙が走る。
「...さっ、さぁどうでしょうねぇ...?」
左斜め上を見つめるニーナ。
俺はどうやら、ポンコツ使徒に振り分けられてしまったらしい。
神、もう少し真面目に仕事しろよ。
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無くても多分続く。