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女神が消えた日  作者:
9/14

9.ビュード

北部の春はまだ遅く、こじんまりとした修道院は残雪で覆われていた。


カイルが到着すると同時に身ぐるみを剥がされ、髪は乱雑に短く断髪された。

簡素な修道士のローブ一枚ではいかんせん寒過ぎた。ユリアンヌが持たせてくれた大判のブランケットがなければ耐えられなかったかもしれない。


春先でこれでは、真冬はどうなるのかと想像するとカイルは暗澹とした気分になった。


ビスケット数枚とコーデュアルひと瓶を残して、後は皆で分けた。

それはすぐになくなった。


擦りきれた暗色のローブに、使い込まれてヨレたブランケットを纏い、痩躯に目ばかりが大きく見える相貌を誰もがしていた。

それでも不平不満を口にすることなく、日々静かに戒律を守り続けている。


浄めの水行は、心臓麻痺か凍傷になるのではないかというほどの冷水を浴び、食事は院内の畑で収穫したものと、肉体労働をした対価に食べ物を得る、托鉢して得たものに限られていた。

卵と魚は食すが、肉は禁止されている。


金銭は一切受け取らず、物々交換、紙や石鹸の類いは自分達で作るという徹底ぶりだ。


日に三度の礼拝以外に、水汲み、掃除に洗濯、草刈り、畑仕事、鶏の飼育、養蜂、薪割り、煮炊きに繕いに、簡単な建物の修繕にと毎日が目まぐるしく、1日の終わりはヘトヘトになった。

はじめのうちは、誰にも遠慮せずにゆっくりイナンナを悼むなどという余裕など全くなかった。


ただ、夜明け前に起きるということは、それは黎明の青を堪能できる至福の時間ではあった。



『カイル』


妻になる筈だった愛しき人が自分を呼ぶ声と姿をその青で思い出させた。


『殿下、ちゃんと眠れていますか?』


イナンナにいくらか似ている瞳の、世話焼きなあの令嬢も時には思い出すこともある。


ユリアンヌはルーヴェンス侯爵家で上手くやっているだろうか?



自分の最大の過ちは、イナンナを手放せなかったことかもしれない。


イナンナの安全を思うならば、婚約を破棄してでも、ハーベイに彼女を譲っていたら、イナンナはまだ生きていたことだろう。

ハーベイならばイナンナを守り通せたのではないかと、今でも悔やみきれない。


そうすればこんなにもルーヴェンス一家を悲しみの淵へ突き落とすこともなかったかもしれない。


すまない、ハーベイ。


許してくれ、イナンナ。


自分が愛のない政略結婚を選ぶことができていたならば、誰も命を失わずに済んでいたのではないか。


イナンナだけでなく、ひょっとしたらあの吟遊詩人すらも。


止めどなく後悔だけが押し寄せていた。



カイルはふと目が覚めた時、ブランケットの角の妙に固い部分が体に当たって気になった。

触って見るとその形状から中身は金貨かもしれないと思った。

確認して見ると、どうやら同様に四隅に入っているようだった。


これは旅人などが大切な物をコートやマント等に縫い付けて隠す細工と同じものだ。


そしてよく見ると、銀糸でイナンナのイニシャルと、金糸でカイルのイニシャルのそれぞれの飾り文字を薄桃色の芍薬の花の図案に組み合わせて刺繍が小さく施されていた。


「······これは一生大切にしないとならないな」


まだ冷える夜を、これを自分に贈ってくれた彼女の優しさで温めてもらえたような気がした。



「ユリアンヌ、どうか君も幸せに」



カイルは絶望して起きる朝はもうとっくになくなっていた。


元王族にとっては過酷な修道生活だとしても、今では黎明の青からはじまる1日を心待ちにするようになったのだった。


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