8.王妃サイベル
密告文とパーシヴァルの毒殺から、カイルはイナンナの死に王妃サイベルが関与したと確信した。
兄のクオレがそこまで関与していたという証拠はない。
王族は自分の手を決して汚さずに、他の者に代行させることは多い。
王妃が誰かに命じたのであれば、王妃が殺したも同然だ。
パーシヴァルが残した歌の歌詞に女神を追いかける人物として、王、王子、兄、吟遊詩人が登場するが、それは恐らくカムフラージュだ。
登場していない人物こそが真犯人という解釈をするならば、それは王妃だ。
パーシヴァルは女神を殺すつもりはなかったと言い、死に際にサイベルの名を口にした。
「なあ、カイル、王太子をどう思う?」
「兄上は黒に近いグレーだ」
「王族とは醜悪な生き物だな」
「ああ、本当にな。この血を呪いたくなるよ」
「いっそもう、廃嫡されたらどうだ?」
平民となっても、あの女は自分を殺しに来るかもしれない。
「出家でもするか」
「ユリアンヌはどうするんだ?」
「彼女は妹のようなものだ。お前が娶って侯爵夫人にしてやってくれ」
「何ぃ?!」
「·····俺はイナンナじゃないとダメなんだ」
ハーベイは、それは俺もなんだぞと心の中で叫んだ。
イナンナはハーベイの気持ちに気がついていたかもしれないが、彼女はあくまでも兄妹という線引きをしていた。
侯爵家の嫡男でありながら、二十五になるこの歳でまだ婚約者を持たないのは、未練がましい思いが燻っていたからだ。
イナンナが亡くなり、やり場のない苦しみに苛まれたのはハーベイも同じだった。
王妃サイベルについての密告はそれからもまだ続き、『王太子はサイベルが産みの親である』という衝撃的なものまであった。
「兄が王妃と通じているとすれば、理由はただそれだけなのかもしれない」
「この密告者は一体誰なんだ?」
「······兄上かもな」
当然筆跡は変えてあるが、この内容を知り得るのは本人しかいない。
自身でこの秘密をカイル達に打ち明けたということは、兄は王妃を切り捨てるつもり、追い詰めようとしているのかもしれない。
二人は引き続き、次の密告、更なる情報を待つことにした。
『王妃サイベルは、特殊な香を焚き呪術で人を操っている。現王もそれで判断力を損ない、王妃の意のままになっている』
『王妃サイベルは宰相と不倫関係にある』
『王妃サイベルは隣国の······』
密告は全て王妃についてのものだった。
「何で俺宛てなんだ?お前に直接届ければ済むことだろうに」
「ははは、お前の方が身内の俺よりも兄上の信頼が篤いんだろうよ」
ハーベイは顔をしかめた。
「裏を取るのも全部俺かよ!?」
「悪いな、俺は下手に動けない。よろしく頼む」
身内による断罪は、中立性を欠く可能性がある。サイベルが兄の実母というのが事実ならば、尚更だ。
また、面倒事は自分ではやらずにカイルに全部やらせようという魂胆なのかも知れなかった。
その後数々の不正と背信行為が明らかになり、王妃サイベルは失脚、絞首刑に処され、王妃の側近は粛清された。
王はサイベルによる長期間の呪術の影響で衰弱しており、政務に復帰するのは困難と判断され、王太子が新王に即位することが決定した。
戴冠式の夜、カイルは兄と二人きりで酒杯を傾けた。
「陛下、おめでとうございます」
「ああ」
ほどよく酔いがまわって上気した顔で微笑む兄は、機嫌が良かった。
その笑顔はどことなくサイベルを彷彿とさせた。
今まで気がつかずに来たのが不思議で仕方がない。
「お前に頼みがある」
「何でしょうか?」
「済まないが、出家してくれぬか?」
カイルは盃を運ぶ手を止めた。そして静かに席を立つと、新王の前に跪いた。
「陛下の思し召しのままに。謹んでお受け致します」
新王クオレは満足げに頷いた。
カイルは王国北部の辺境ビュードの修道院へ入ることが決まった。
他の貴族向けの修道院とは違い、戒律の最も厳しい宗派なのだそうだ。
文字通り清貧生活が待っている。
そこでは王家の息もかからず、純然たる求道に没入できることだろう。
弟をわざとそこに行かせるあたり、クオレの腹黒さをハーベイは苦々しく思い知った。
俗世から隔絶される出家も悪くないと思っていたカイルは、残されたもの達の余計な対立を避けるため、王命で出家したのではなく、自ら願い出た出家であることを表明した。
立つ鳥跡を濁さずで、お互いの確執などないことを公にアピールした。
「殿下!」
「ユリアンヌ、私はもう王族ではないよ」
ハーベイと出立を見送りに来たユリアンヌは、大粒の涙を浮かべていた。
「これは私が作りました。よろしければお使いくださいませ」
ユリアンヌは籠一杯のビスケットと身体を温め免疫力を上げるコーデュアルを数本、そしてウールの大判のブランケットと厚手の靴下数枚をカイルに手渡した。
「ありがとうユリアンヌ、またいつか」
カイルは風で乱れた長い銀髪をかきあげて、清々しく微笑んだ。
「カイル様、どうかお元気で」
「ハーベイ、ユリアンヌを頼む」
「ああ、任せておけ」
まだ浅い春の日、女神が消えてから一年、カイルは護衛に伴われ辺境ビュードに旅立って行った。