6.吟遊詩人パーシヴァル
吟遊詩人パーシヴァルのパトロンとパトロネスはこの国の王族や貴族には沢山いた。
一番のパトロネスは王妃サイベルだったが、王太子も加わって来たのは驚きだった。
吟遊詩人は情報屋、スパイ的な役割を担うこともあるのだが、一年ほど前、ほぼ同時に二人の人物から別個に密命を受けた。
王妃サイベルと、王太子クオレは第二王子カイルの婚約者であるイナンナを誘惑し関係を持てというものだった。
王太子は関係を持てなくても噂を立てるだけでも構わないと言ったが、王妃からはイナンナの純潔を奪えと命ぜられた。
過去に某令嬢から、恋敵の令嬢を誘惑して婚約破棄にできたら報酬を支払うという依頼をされたことがあった。
恋愛経験の浅いうぶな恋敵の令嬢は造作もなく落ちた。婚約破棄となった令嬢はその後自ら修道院に入った。
磨けばもっと光るであろう、なかなかいい女だったのに、もったいないことだ。
他にも婚約破棄から鬱になって自ら死を選んだ子息、不倫がバレて離婚し転落人生を送ることになった夫人達もいた。
それでも社交界から追放されずにいるのは、パトロンが王族だったからだ。
周囲からは好んで火遊びをしているように思われているが、自分から貴婦人に惚れて手を出したことはほぼ無い。
多くは依頼を受けた誘惑という任務に過ぎない。ハニー・トラップを請け負っているだけだ。
それによって多くの恋人達や夫婦の人生を壊し狂わせて来たのも事実。
彼が吟遊詩人として歌う自作の恋歌は、数々の依頼でひらめいた副産物だ。
パーシヴァルは誘惑される方にも責任はあると思っている。
身持ちの固い人間なら、ハニー・トラップには引っ掛かりはしないものだからだと。
没落貴族の末っ子に生まれ、たまたま容姿と美声に恵まれていたのを生かして、吟遊詩人という名の男女に春をひさぐ男娼で食い繋いできた。
好きでも無い令嬢や愛してもいない夫人に愛を囁くなんて朝飯前だ。
今回のターゲットはイナンナ·ルーベンス侯爵令嬢。恐れ多くも第二王子の婚約者、依頼を受ける前からその存在はもちろん知っていた。
高嶺の花、最高級の目の保養である令嬢。
しかし彼女の身持ちの固さは想像以上で全く歯が立たなかった。
パーシヴァルはカイルに激しく嫉妬した。
しかも、兄のハーベイが目を光らせていて付け入る隙も無い。
何度か試みた接触で、「お前、誰に頼まれた？」とハーベイに見抜かれ、警戒したカイルにイナンナへの王家の影を配置されてしまった。
鉄壁の護りに手も足も出なくなって、一旦引き下り、ほとぼりが冷めるまで王宮から離れることにした。
王宮を去る前にイナンナ付の侍女を買収したり、情報を聞き出すため侍女と懇ろになった。
お陰でイナンナの、普段は着衣で見えない身体的特徴を聞き出すことができた。
黒子がある位置や、お転婆だった子供の頃に怪我をして残ったごく小さな傷跡などを。
それらは着替えや入浴を手伝う者か、男女の関係にならない限りは見ることができない場所にあった。
そしてそれを元にある歌を作った。
狙いは王妃にイナンナと関係を持ったと思い込ませるためで、王や王子を歌詞に登場させて、自分の依頼主を匂わせ、いざと言う時の盾にするためだった。
イナンナの醜聞に近い内容の歌を流行らせれば、王太子の依頼はとりあえず完了したことにもなる。
王族の依頼に応じないと下手をすればこちらが消されてしまう。だから保身のための歌を必死に用意したのだ。
しばらく王宮を離れていたが、王妃に呼び戻された。
保身の歌を披露すると新たな依頼を受けた。 今度の依頼はイナンナを殺せというものだった。毒殺用の毒と短刀を手渡された。
恐ろしくなって、助言を仰ぐために王太子の元へ焦りながら向かう途中、偶然イナンナに出くわした。
イナンナもパーシヴァルも王族専用の秘密の近道を使用していた。
イナンナは準王族だったが、吟遊詩人までがここを通ることなど本来はあり得なかった。
イナンナは驚愕し後ずさった。
あれから数ヶ月経ったせいか、もう王家の影はいないようだった。
「これはイナンナ様、お久しゅうございます。急いでどちらへ？」
彼女の腕を掴むと、青い瞳が毅然と睨み返してきた。
「手をお放し下さい」
彼女の高潔な美しさにゾクゾクし痺れた。
この日は王城での武術大会が開催されていた。
護衛騎士達も会場に集中して配置されていたため、王宮内の護衛がいつもより手薄だった。
イナンナの護衛騎士も試合に参加するため、この日は外していた。
イナンナはカイルが参加する午前の部だけを見学し、王宮にある自室で休憩を取っていた。
そして、表彰式の時間が近くなったので会場へ再び戻るところだった。
侍女は日傘を忘れて取りに戻っていたためイナンナは一人だった。
パーシヴァルは彼女の足元に跪き、両手で彼女の脚を抱きしめようとした。
眉をしかめながらイナンナは腕をすぐさま避けたが、その勢いで体勢を崩して横倒しに倒れ込てしまった。
イナンナの片方の靴が脱げて転がった。
パーシヴァルはその青いベルベッドの靴が視界に入ると、猛烈に彼女を嗜虐したい欲望に襲われ我を忘れた。
立ち上がろうとした彼女の濃紺のドレスの裾を踏みつけて、わざと自由を奪った。
「······！！」
それでも必死に抵抗した彼女は床に手をつき身体を引きずりながら後ろへ下がっていった。
この通路は窓がないため、密室と変わらない。
パーシヴァルは彼を見上げながら恐怖に歪んだ女神の美しい相貌に見惚れた。
パーシヴァルが二歩三歩と近寄るとその分彼女も後ずさった。
イナンナは力を振り絞って立ち上がると、狼藉を働く男から少しでも遠ざかろうと大きく一歩後へ下がった。
だが、そのイナンナを受け止める足場はそこにはなかった。
「あっ···！」
彼女は背後に待ち構えていた階段へ、身体を打ち付けながら転がり落ちて行った。
王城の中でも急勾配の階段だった。
パーシヴァルは彼女に手を差しのべる余裕もなく、呆然と見送った。
イナンナは階下まであと数段のところにある踊り場で止まったが、だらりと脱力した身体は微動だにしなかった。
パーシヴァルは彼女の脱げた青いベルベッドの靴を握り締めると、わざとらしく叫んだ。
「誰か、大変だ、イナンナ様が！」
美しき女神は、二度と目を覚ますことはなかった。
